steps

「SMOKIN’ IN THE PIT」(NYC RECORDS NYC6727−2)
STEPS

 1曲目の「ティー・バッグ」を聴くと、今でも心がざわめく。かっこえーっ! レコードで持っていたが、CD化にあたり、5曲も追加されたので、買い直さなしゃあない、というわけで、今はCDで聴いている。正直、発売時の私にはブレッカー・ブラザーズよりもこっちのほうがハマッた。スタジオミュージシャン(!)が4ビートに挑戦、という感じで話題になったのだが、そういう認識があまりに浅薄なものだったというのは今になったら丸わかりだが、あのころはそんな風に言われていたのだった。スタジオミュージシャンとかフュージョンのひととか4ビートとかスーパーテクニシャンを集めたとか……そんなことはどうでもいいわけで、実際、このひとたちはどんなことでも楽々できるのだ。挑戦でもなんでもない。この演奏の意義は、「めちゃくちゃ凄腕のミュージシャンだけど普段はこんな風にがっつり集まって演奏しない連中を集めてバンドにしてみた」という点であって、いつもは渡された譜面を見て、バーン! と最高のソロをして、それじゃさいなら、と帰っていたところを、ひとつのグループとして機能させてみたらこんなめちゃくちゃ凄いことになった、あー、やっぱりな、ということなのである。もちろんそういう試みがうまくいかないこともあるだろうが、このグループは人選の面で5人が完璧に融合し、最高の結果が出た。本当に画期的なライヴだったし、アルバムだったと思います。当時から、スティーヴ・ガッドの4ビートは4ビートじゃない、ジャズがわかってない、とか言われていて、たしかにアクセントのつけかたとかはすごく独特だが、これはガッドの個性というだけだ。1曲目の凄まじいバッキングを聴いて、これはジャズじゃない、とかよく言えたもんだなー。最近はさすがにそんなことを言うやつはいないだろうとネットをうろついてみたら、うーん、いまだに批判的な意見がけっこう目について驚いた。水を得た魚のように鬼のブロウを展開するブレッカーとそれを煽りまくるガッドを聴くだけで、私はコーフンのあまり失禁しそうになる(今でも)。4ビートだからとかそうじゃないからとかどーでもいいのである。あまりに聴きどころが多いのでここに曲については触れないが、「ティー・バッグ」「フォルティ・テナーズ」「ヤング・アンド・ファイン」「ノット・エチオピア」などのブレッカーの「人間技やないで」的な壮絶なテナー(多種多様なテクニックの数々を組み合わせたものなのであるが、もちろんひとつひとつのテクニック(ブレッカーが発明したものもあるはず)の習得が容易でないだけでなく、その組み合わせ方がすばらしいし画期的なのである。ブレッカーは音色も最高で本当にほれぼれする演奏ばかりである。もちろんほかのメンバーもすばらしい演奏で、エディ・ゴメスのベースは強靭でベースの王道でもある弾き方なのにものすごく繊細というか先鋭的なものを併せ持っており(と私がここで力説しなくてもだれでも知ってることだが)、このグループに最大級に貢献しているし、ドン・グロルニックとマイク・マイニエリはソロイストとしても多くの曲で耳に残るエキサイティングなソロをぶちかますが、おそらくアレンジ面でもいろいろ活躍したにちがいない。そして、ガッドのドラムがそれぞれのソロに対して変幻自在の絶妙の演奏で対応しているあたりも聴いているとぞくぞくする点である。こういうことはすべて「情念」とか「思い入れ」だけではできないことで、それを具体的なものにする技術力が必要であって、そういう意味でステップスは画期的であり、なおかつ必然的に出現したグループなのだった。なお、「ノット・エチオピア」のマスターテイクだけ渡辺賀津美が参加している(ステップスの面々とタメを張るソロだが、いわゆるゴリゴリのソロである)。スタンダード系からの選曲である「ラヴァー・マン」「ソウル・アイズ」「リコーダミー(8ビート)」や、マイニエリのヒット曲「ティー・バッグ」「サラズ・タッチ」、ブレッカーの過激な名曲「ノット・エチオピア」……といった選曲センスの良さもこの2枚組を際立たせている。こののちステップスは紆余曲折を経てステップス・アヘッドになり、メンバーもいろいろ入れ替わり、コンセプトも多少変化したと思われるが、原点はここにある。1980年の時点で、その後のジャズの展開を見据えた内容。若いミュージシャンたちの意欲とパワーが理想的な形で詰め込まれた、いつ聴いてもスカッとするし、やる気がかきたてられる傑作。