sonny stitt

「SUPER STITT」(PHOENIX JAZZ RECORDS LP15)
SONNY STITT

 スーパーマンの格好をしてテナーを持ったスティットが空を飛んでいる絵が、白黒で描かれているというめちゃめちゃ安っぽいジャケットだが、中身は最高。ライヴだと思うが拍手が聴こえない(声は聴こえる)。よくわからない音源だ。このころのスティットは、まだまだアルトがちゃんとしていたようで、一曲目のアルトでの「ハウ・ハイ・ザ・ムーン」はすごくいい。イマジネイティヴなロングフレーズがわき出てくる様は圧巻。でもなぜか途中でテナーに持ち替える(テナーソロもいいが)。「ペニーズ・フロム・ヘブン」もめちゃめちゃすごい。B面一曲目のおなじみ「エヴリタブ」も、よどみないフレーズのオンパレードで、しかも勢いが止まらない感じでかっこいい。海賊盤らしく、途中で明らかに無音になる部分があるがすごい。54年のライヴ。サイドは無名。バリトーンを吹いている曲もあるが、あまり電気的にゆがめていないので、さほど効果はあがっていない。「ブルー・アンド・センチメンタル」も泣かせます。

「SONNY STITT WITH THE NEW YORKERS」(ROOST LP226)
SONNY STITT

 このアルバム、死ぬほど聴いた。基本的にルーストのスティットはどれもいいのだが、本作はスタンダードの選曲が渋い。「ザ・ベスト・シングス・イン・ライフ・アー・フリー」とか「アイ・ディドント・ノウ・ファット・タイム・イット・ワズ」とか「ピープル・ウィル・セイ・ウィー・アー・イン・ラヴ」とか(リチャード・ロジャースの曲が多い)。後年はよれよれになるスティットのアルトも、このころは音色も太くて輝かしく、音程もしっかりしているし、フレーズも最高。ライナーの記載にアルトだけしか載ってなくても、たいがいテナーを何曲か吹いている場合が多いが、ほんまにこのアルバムではテナーを吹いておらず、アルトに徹している。でも、スティットのアルトといわれると首を傾げてしまう私でも満足できる出来ばえ。どの曲もよくて、アルバム全体の水準がものすごく高い。「チェロキー」は凄まじい反面、安定感もあり、完璧。バラードも文句なし。ひとりだけ浮いてるかなあ、と思っていたシャドウ・ウィルソンのドラムも案外古くさくなく、ちゃんと合ってる。ハンク・ジョーンズ、ウェンデル・マーシャルと、サイドもばっちり。アルトを持つジャケットもかっこいい。名盤ですなあ。こういうアルバムを完コピしたら、さぞうまくなるだろうな。

「MY MOTHER’S EYES」(PACIFIC JAZZ PJ−71)
SONNY STITT

 黒いバックにスティットの黒い顔がドーンと大写しになっているジャケットがよい。こういう盤を見ると、CDのジャケがしょぼく思えてくる。このころのオルガン+スティットだと、たいがいバラードとかを二曲ほどアルトに持ち替えているのが普通だが、本作はテナーのみ。チャールズ・カイナード(なんとこのアルバムが初レコーディング)のオルガントリオがバック。スティットとしてはめずらしいパシフィック原盤だ。二曲のバラードと、スタンダード一曲(「マイ・ブルー・スカイ」……このテーマの吹き方がかっこいいのだ)をのぞき、一曲めの「サマー・スペシャル」からブルースと循環ばかりが並ぶ(タイトルチューンの「マイ・マザーズ・アイズ」はバラードだが、オルガンのせいか、まるでゴスペルのように敬虔な雰囲気の演奏である)。どの曲も、おいしいフレーズばかりで、二曲ほど丸コピーした。適度に熱く、適度に冷静な、落ち着きはらった演奏で、本人としては軽い感じの録音だったのかもしれないが、コピーさせてもらったということで私には忘れがたいアルバム。でも、日本語ライナーの岩波洋三が書いているような「ぼくは躊躇することなく、スティットの代表作にあげる」ようなことはしないけど。

「SONNY STITT SONNY STITT SONNY STITT SONNY STITT SONNY STITT」(ROOST LP2208)
SONNY STITT

 タイトルは裏ジャケにある「SONNY STITT PLAYS」だと思っているひとも多いようだが、たぶんそうではない。ジャケットの表には「SONNY STITT」という言葉が5つ並べて印刷してあるだけだ。5つ目がミュージシャン名ということで、4つ目までがタイトルなのかもしれないが、とりあえずここでは5つ並んだ状態がタイトルということにしておく。紫煙のなか、横を向いてアルトを吹くスティットの雄姿は、髪の毛を短く刈っているし、デコが出ているせいか、坂田明そっくりである。「ウィズ・ザ・ニューヨーカーズ」とは別の日の録音だが、メンバーはほぼいっしょで、なぜかフレディ・グリーンのリズムギターが加わっている。なぜこのメンバーにフレディ・グリーン? もちろんソロをとるわけでもないのに、よくわからん人選である。A面1曲目の「アナザー・ユー」やB面1曲目の「アフターアワーズ」など、聴いているだけでわくわくするような、スティットの輝かしいアルトはこのあたりの時代がいちばん凄かったと思う。バラードも感情豊かだが、決して過多にならず、音の艶やかさといい、なにもいうことはない。後年のスティットのアルトは、高音がフラットし、音もしょぼくなっていくが(その分、テナーがすごくなる)、この時代のテナーは線が細く、アルトのほうがずっといい。でも、岩波洋三の日本語ライナーの「得意の連音譜を用いてパーカースタイルに根ざしたアドリブを展開している」という文章の意味はまったくわからん。連音譜ってなんやねん。

「SONNY STITT」(CADET LP629)
SONNY STITT

 デコがぎらりと光るスティットの顔の大写しが印象的なジャケット(オットーリンクのメタルマウスピースをくわえている)。こういうのはCDサイズにしてしまったらまったく迫力が失せる。1曲目、いきなりどスローブルースではじまる。アルトでの演奏だが、この頃のアルトはよい。自由自在で、飛翔感があり、聴いていると胸がすっとするようなすがすがしさがある。こういう感じは、同じパーカーフォロワーのなかでも、ルー・ドナルドソンやチャールズ・マクファーソン……といった連中では味わえないもので、スティットはひたすらがんがんサックスを吹きまくっているだけなのだが、その結果として、安定性とチャレンジ精神のじつにバランスがとれた、完璧なジャズにしあがっている。これは、この時期のスティットが持っていた「時分の花」であり、本人が自覚してそうしていたというわけではなく、たぶんサックスをくわえて吹くだけで、それだけのものが勝手に沸き上がってくる、という感じだったのだと思う。テナーを吹いている曲もあるが、この時期のスティットのテナーは、あまりテナーっぽくはない(悪くはない。というか、すごくいいんだけど、比べてみるとやはりアルトのほうがいい)。60年代以降になると、アルトの輝きが失せる一方、テナーがどんどん太く、ソウルフルになっていく。バリー・ハリストリオがバックだが、とにかく吹きまくるスティットが凄すぎて、ピアノなんか聴いてません、私。同時期のものとしては、熱狂的なソロが聴けるルースト盤のほうが好きだが、本作も非常に充実している。でも、8曲中4曲がブルースってどうよ。

「THE BUBBA’S SESSIONS」(ATLAS RECORDS AE27−7001)
SONNY STITT

 死ぬ一年前のライヴだが非常に充実している。とくにA面1曲目の「ソニーズ・ブルース」はB♭のミディアムテンポの曲だが、ふつうのソロ部分はもちろん最後にテーマ後に逆循になって、「パーディド」や「スプランキー」のテーマを引用するあたりも含めてフレーズが全部おいしくて、学生のころ、完コピして、あるセッションで演ったら、そこにいたひとのほとんどがこのレコードを聴いていて、えらい恥をかいたことがある。でも、とにかくめちゃめちゃ聴きまくった一枚で、思い出ぶかい。アルトでバラードを2曲吹いているが、やはりテナーに比べると音程がうわずるし、音も全盛期とは比べようがない。でも、しみじみ心にひびく。2曲で、ロックジョウとハリー・スイーツ・エディソンがゲスト参加していて、その2曲はJATP的な大味な、荒いセッションになっているが、これはこれでよい。フロントの3人とも今は個人だと思うと感慨深いなあ。なんとドラムがダフィー・ジャクソンで、こういうコンボもやるんやなあ(あたりまえか)。

「GOOD LIFE」(TRIO PAP25015)
SONNY STITT WITH HANK JONES TRIO

 ハンク・ジョーンズ・トリオを従えたソニー・スティットの作品。じつはかつてハンク・ジョーンズ・トリオが来日したとき、ソニー・スティットがゲストで、私は高校3年のときにそのコンサートの模様をラジオで聴いた。解説のいそのてるお(だったっけ?)が、コルトレーンよりもすごいサックスの神様、という紹介をしたので、高校生の私はムカッとして、コルトレーンよりすごい? そんなやつおるんか、とけんか腰でラジオを聴き、なるほど、スタイルはぜんぜんちがうが、ある意味すごいなあ、と感心した。以来、そのときのエアチェックは私の宝物だが、正規のアルバムにおいては、ハンク・ジョーンズとスティットという組み合わせは、なかなかあのときのような白熱の演奏にならず、どちらかというと洒脱な大人のジャズになってしまう。本作もそうで、まあ、そこそこ面白いが、それ以上のものではない。あのときのコンサートのライブ盤が出れば、ぜったいすごいのに。

「SONNY’S BACK」(MUSE RECORDS MR5204)
SONNY STITT

 バリー・ハリストリオをバックにしたミューズのスティットである。死去の2年前とは思えない元気さだが、内容はかつてのあの凄味はなく、リラックスしまくった内容。リッキー・フォードが3曲ほど客演しているが、いわゆるテナーバトルではなく、単に順番にソロをするだけで、なんのためにいるのかはいまいちよくわからない。プロデューサーはボステナーズの再現を意図したのかもしれないが、あまりに貫祿がちがいすぎるもんね。スティットのテナーは快調で、リッキー・フォードもそれなりにがんばっているが、スティットのほうが全編歌になっており、頭ひとつ勝っている感じ。でも、どうしてこのアルバムが好きなのかというと、B面1曲目の「ダッジ・シティ」というブルースを完コピしたからで、まさにスティットフレーズオンパレードのすばらしい演奏なのだ。まあ、そういう個人的な思い入れは別として、やはり、晩年、のんびり吹いたというような雰囲気のアルバムではありますね。

「SONNY STITT SITS IN WITH THE OSCAR PETERSON TRIO」(VERVE 18MJ9014)
SONNY STITT WITH OSCAR PETERSON TRIO

 スティットとピーターソン。どちらも手数の多い超弩級のテクニシャンでブルースに根ざした理屈抜きにスウィングしまくる演奏で定評があるが、どちらかというとあまりにうますぎて深みがないと一般には考えられているようだ。そんな両者の、ありそうでなかったがっぷり4つの共演盤。リラックスしつつも、迫真性がある。めちゃめちゃ好きなアルバムで、かつて完コピしたA面一曲目の「オウ・プリバーブ」や5曲目の「スクラップル〜」はテーマの吹き方から、ソロから、なにからなにまで好きだし、バラードやスタンダードでの、畳みかけるような16分音符の吹きかたの圧倒的な凄さなど、目が眩むようだ。このころのスティットは、テナーはそこそこだが、アルトが爆発しており、ドライブしまくるフレーズのオンパレードには、普段フリーしか聴かない私でも目を剥く。選曲もよく、深みってなに? 重みってなに? これだけやったら文句あるまい……と言いたくなるような、本物だけが持つ輝かしさにあふれまくった名盤。アルトが快調なA面にくらべ、ベイシーに捧げたというB面はテナーでの演奏が多く、ふだんはあまり聴かないが、たまに聴いてみるとこっちもいい。ちょっとアルトからテナーへの過渡期の演奏といえるかもしれない。

「’NUTHER FU’THER」(PRESTIGE 7452)
SONNY STITT WITH BROTHER JACK MCDUFF

 サングラスをかけたスティットの強面ジャケットがかっこいい。アモンズも強面だが、相棒のスティットもなかなかのもんである。オルガントリオをバックにしたテナー作品を彼は60年代に腐るほど残しており、私もいっぱい持っているが、これはその典型(ただし、レイ・バレットのコンガが入ってる)。このあたりの時期になると、完全にアルト吹きというよりテナー吹きで、テナーを太い音でうねらせ、昔はむりやり鳴らしている感じのあった高音部も自在である。かっこええ! スティットはアルトだ、というやつはこういう時期のオルガン+スティットを聴いて、目からうろこを落としてほしい。まあ、どの曲がどう、ということもないし、ある意味、気楽な吹き込みなのだが、そこがええやんか! 私がもっとも愛する時代のスティットの雄姿がここにある。

「SONNY STITT−BUD POWELL−J.J.JOHNSON」(PRESTIGE LP7024)
SONNY STITT

「スティット、パウエル・アンド・JJジョンソン」と記載されることが多いようだが、正式なアルバムタイトルは上記のとおり。ジャケットのどこにも、略された表記などないのである。これはほんまに死ぬほど聴いたアルバムだが、今回あらためて聞き返してみて、ちがった感想を持つかと思ったりもしたのだが、いやーやっぱり傑作ですわ。49年、50年という、スティットがテナーを吹いたアルバムとしては最も初期のものなのだが、この時点ですでにテナー吹奏が完璧であることに驚かされる。おかしいなあ……もうちょっとあとのアルバムだと、アルトは凄いけどテナーはまだまだ「アルト吹きのテナーだなあ」という感じなのだが、本作はなぜかテナー奏者としてパーフェクトなスティットが聴ける。これは、理由はよくわからん。そのときのコンディションや、マウスピース、リードなどの相性のせいか……まあ、とにかく、スティットは圧倒的に快調なのだが、共演者がパウエルやマックス・ローチという点も本作のテンションを高めている。リラックスしたセッションというより、くつろぎつつもぴりぴりした雰囲気のなか、傑作をつくろう、という気合いがぴーんと感じられるのだ。とにかく主役と同じぐらいに御大パウエルが快調なので、たとえばオスカー・ピーターソンなどと作ったアルバムとはちがったレベルというかステージの作品に仕上がっている。一曲目の「オール・ガッズ・チレン・ガット・リズム」(神の子はみな踊る)は、私がかつて、長編のタイトルに使った曲だが、これがいいんですよねー。でも、ほかの曲も全部好き。スティットのテナーはなあ……とかいうやつは、このアルバムを聴いてみろ、といいたくなるような傑作。JJジョンソン参加の5曲もなかなかよいが、張りつめた雰囲気という点でパウエル参加の9曲に一歩譲るか? でも、どちらにしても名演ぞろいの宝物である。選曲もよく、スティットの「ストライク・アップ・ザ・バンド」とか「アイ・ウァント・トゥ・ビー・ハッピー」とか、ここでしか聴けんやろ。B面2曲目の「テイキン・ア・チャンス・オブ・ラヴ」は私の大好きな曲で、このスティットのバージョンも昔コピーした。聞き返すと、あまりの懐かしさに滂沱の涙。でも、ワーデル・グレイのライヴバージョンもすごくよくて、そっちもコピーしました。というような、個人的感情でも忘れがたいアルバム。

「SONNY STITT AT THE D.J.ROUNGE」(ARGO LPS683)
SONNY STITT

 いかにもアーゴ風な、シカゴ録音でオルガン入りのライヴだが、テナーのジョン・ボードという、よく知らないひとが加わっている点が、ほかのオルガン+スティットとちょっとちがう点だ。ギターは入っておらず、オルガンとドラムのみをバックに、ふたりのサックスが吹きあう。この、いいかげんな、なんのデータもジャケットには書いていないアルバム(うちにある盤は、裏ジャケットは表ジャケットと同じというめちゃくちゃさ)が、めっちゃすばらしいのである。モダンジャズってこれだよね、ライヴのジャズってこんな感じだようね、という、リアルで、ある意味ええかげんで、テンションがちょっと高いこの雰囲気は、なにものにもかえがたいジャズの現場のエアである。さて、このアルバム、スティットはアルトもテナーも絶好調なのだが、このジョン・ボードというテナーサックスがめちゃめちゃよくて、びっくりする。ほとんどスティットとためをはっている。どうやらR&Bやソウル系で活躍していたひとで、純ジャズの吹き込みはあまりないようなのだが、このアルバムを聴くと、そのことが惜しく感じられるほどにうまい。めっちゃうまい。たしかに、ソウルフルなフレーズも顔をのぞかせるが、基本的にはバップで、歌いまくるし、音もいい。いやー、こんなひとがいるんですね。というわけで、このアルバム、スティットはもちろん、ジョン・ボードもすばらしくて、一枚で二度おいしい傑作なのである。最近では評価も高くなっているようだが、かつては誰も知らなかった名盤であった。

「SOUL IN THE NIGHT」(CADET CA770)
SONNY STITT/BUNKY GREEN

 この時期のスティットがアルトだけで演奏している、というのはじつはあまり食指が動かなかったが、オルガンも入っているのでなんとなく購入してみると、これが大当たり。ふえーっ、めちゃめちゃええやん。スティットは根性入りまくりのソロだし、相手役としてはかなり格落ちのバンキー・グリーンがものすごくがんばり、肩を並べるほどのすごい演奏をしている。これは、買って大正解だったなあ、と大喜びし、ひそかに愛聴していたら、コテコテデラックスなどで喧伝され、すっかりメジャーなアルバムになってしまった。うー、残念。でも、そういう希少性とか関係なく、いい作品だ。ファンキーな曲、バラード、哀愁漂うマイナー曲など選曲もバラエティ豊かだし、とにかく主役のふたりのアルトがうますぎる。スティットには、こいつめ、という気持ちがあっただろうし、バンキー・グリーンにはなにくそ、という張り合う気持ちがあったであろうことは容易に想像できるし、スタジオ録音にもかかわらず、演奏は非常に熱い。これこそバトルです。4バース、8バースで盛り上がるだけがバトルではない。精神的なサックスバトルなのだ。でも、やっぱりバンキー・グリーンのアルトの音やアーティキュレイションは、個人的にはやや苦手なので、スティットがいたからこそ私が面白がれたというところはあるな。カデットというチェスの傍系レーベルなので、当然シカゴ録音。オルガンはあのオーデル・ブラウン、ドラムはモーリス・ホワイトと、サイドもすごいメンツ。A面もB面も楽しいので、あっというまに両面聴きとおしてしまいます。傑作。

「MY MAIN MAN」(CADET LP−744)
SONNY STITT AND BENNIE GREEN

 パッと聴きには、オルガン入りの気楽なセッションかよ、と思われるかもしれないが、聴いてみると、じつにすみずみにまで神経のいきわたった好演奏である。なかでもベニー・グリーンが全曲にわたって、レイドバックした、すばらしいとしかいいようがないソロを展開する。ブルースの塊であり、少し割れたような音色の圧倒的な存在感は、彼がJJジョンソンやカーティス・フラーではなく、偉大なビッグバンドトロンボーン奏者の末裔であり、ゲイリー・バレンテやレイ・アンダーソン、ジョー・ボウイ、大原裕へと連なる系譜の人間であることを示している。これをおとぼけジャズとなどとぬかすやつは……あ、もういいですか。相棒のスティットも最高の演奏でベニーに応えているし、マジでいいアルバムである。ギターのジョー・ディオリオとかいうひとも、すごい後ノリでいい感じ。ときどき、ふっと思い出したように聴くアルバム。ええやんええやん。

「SONNY STITT PLAYS JIMMY GIUFFRE ARRANGEMENT」(AMERICAN JAZZ CLASSICS 99007)
SONNY STITT

ジミー・ジュフリーのアレンジによる小編成バンドをバックにスティットが吹きまくるアルバム「プレイズ・ジミー・ジュフリー・アレンジメント」におまけ(?)として「ア・リトル・ビット・オブ・スティット」がまるごと入っているという超お買い得アルバム。ようするに、カップリングといってしまえばいいのでは? いやいや、あくまで「ア・リトル・ビット・オブ……」のほうは「ボーナストラック」扱いなのです。ようわからん。「ア・リトル・ビット……」のほうはLPでもよく見かけた、アルトサックスを吹いているところが写っているジャケットのやつだが、このジュフリーのアレンジをバックに吹いてるほうは聴いたことがなかったので購入してみた。スティットとオケというと、例のペン・オブ・クインシーが有名だが、あれはたしかにいいけど、スティットという自由奔放なソロイストをきっちり枠にはめてしまったところが名盤なわけで、それはスティット本来の勝手気ままにバックがだれだろうと関係なくひとりで吹きまくるみたいな荒馬的な良さとはちがう。本作はどうなのか。結論からいうと、あれほどかっちりとはしていないが、やはりスティット自身は「バックなんかいらん。もっと勝手に吹かせろ」といってるような気がする。小編成だし、アレンジャーのジュフリーがスティットとバトルをしたりして、そういったあたりがおもしろいといえばおもしろいし、ぐだぐだといえばぐだぐだで、スティットとジュフリーという水と油ぐらいちがう個性をもったサックス奏者が妙な因果でバトルをしているのが笑える。肝心の内容だが、もちろん悪いはずはありません。スティットは、まだまだアルトもすごかった時代の吹き込みで、テナーもアルトも両方すばらしい。「ア・リトル・ビット……」のほうは、よくも悪くもいつものスティットで、個人的にはこういう普段着のスティットのほうがしっくりくる。普段着といってもそうとうすごいんですが。

「37 MINUTES AND 48 SECONDS」(TOSHIBA−EMI LIMITED TOJC−6298)
SONNY STITT

 スティットは大好きで、しかもこのころ(56年)のルーレット期なんだから悪いはずがないと思ってたけど、聴いてみると、なぜかいまいち入り込めなかった。私が、こういう音楽をあまり聴かなくなっていることもあるのかもしれないが、なんかこう空虚に響く。60年代に入るとよれよれになっていくスティットのアルトだが(入れかわるようにテナーがめっちゃよくなっていく)、このころのアルトは音の艶やかさといい音程といいリズムといい輝かしい時代なので、なんの問題もない。1曲目のソロとかおいしいフレーズ連発で、まるごとコピーしたらさぞかしいろいろ勉強になるだろうとは思ったが、それ以上の興味がわかない。これはたぶん、音を聴くよりまえに、ライナーを読んでしまったせいもあるかもしれない。CDの盤面に大きく監修者の名まえの千社札みたいなのがでかでかと書いてあるのも、どうかしてほしいと真剣に思うが(スティットの名前よりもずっとでかいんですよ。どうかしてるぜ)、ライナーノートはそれよりもひどくて、なにを考えてこんな長い尺を使ってなにをだらだらとどうでもいいことを書いているのかと思う。推論の部分も、はあ? と思うようなことで、あまりに鬱陶しいので捨てようかと思ったが、今のCDは、ライナーを捨てるとジャケットがなくなってしまうのでそれもできない。昔のLPはよかったなあ。ライナーとレコードは(たいがい)別になっていたので、腹立たしい日本語ライナーは全部捨ててしまうことができた。そういう話はさておき、このアルバムの演奏はどれも本当に見事としかいいようがない。歌心というのはこういうものですよ、とスティットが「お勉強」させてくれているような錯覚に陥る。なんでこんなにうまいのか。しかも、嫌味ではない。フィル・ウッズとかになると、信じられないようなアップテンポで「どうです、このテンポでここまでできるなんてすごいでしょう」感がちょっと……と思うこともあるが、スティットについてはそういうことはあんまり思わんなあ。なんぼほど「フレーズ」を知っているのだろう。怖いぐらいだ。文字通りの意味で、バップフレーズの百科事典だと思う。16分音符での「速吹き」ではなく「歌」になっている感じはちょっとほかのひとではないレベルですよねー。どの曲でも、ちょっとした箇所のフレーズで、「はあ……うまい」とため息をつくような瞬間がいくらでもある。ひたすらスティットを聴くべきアルバムではあるが、ドロ・コーカーのピアノもエドガー・ウィリスというひとのベースも悪くない。でも、あまり愛聴盤にはありそうにないのです。スタンダードからバップナンバー、スローブルースまで入ってて、どの曲がどう、という感想が無意味なぐらい、どの演奏も同じぐらいのハイレベルで安定しているのだが、唯一、「ハーレム・ノクターン」が入っていて(アルトですが)、それがいい意味で本作の「重石」のようになっている。これがないと、たぶん、ちゃんと聴いているつもりでも、途中でこちらの集中力が切れて、ざーっと聞き流してしまっているような聴き方になって、あれ? もう終わってたの? みたいになる可能性があるが、この曲のおかげで、一種の異物感ができてアルバムとしての個性ができたと思う。嫌なら、CDなので飛ばして聴けばいいけど、笑って聴けますよ。

「BROTHERS−4」(PRESTIGE RECORDS PRCD−24261−2)
SONNY STITT & DON PATTERSON

 スティットといえばいまだに「パーカー存命中は比較されるのを嫌がってテナーを吹いていたこともある」とか書いてる評論家がいたりして、アホちゃうかと思うわけだが、スティットといえばテナーなのである。そして、スティットといえばオルガンなのである。なので、60〜70年代に山ほど出されたこの手のアルバムは全部おもろいのである。こういう「一丁上がり」的な録音なればこそ、超リラックスしたスティットのアドリブプレイヤーとしての凄みや奔放さや楽しさがドーンと前面に出てきてめちゃくちゃ美味しいのである。しかも、ギターはグラント・グリーンなのでもう言うことはありません。どの曲もスティットがひたすら歌いまくり、パターソンとグリーンがノリノリで弾きまくる。スティットというひとはどんなキーでも歌心あふれるフレーズをいくらでも吹けるひとで、おなじバップフレーズでもパーカーのようなエキセントリックな音の飛び方はせず、耳なじみのいいソロを吹いて吹いて吹き倒す。ある評論家が(随分前のことです)、70年代のスティットは不調で、気楽に吹いているだけ、とか書いていたが、リラックスしているのと気楽に吹いているのは全然違う。気楽に吹いているというのはたとえばルー・ドナルドソンみたいなやつのことでは?(それが悪いとは言わん)。本作では、とくにグラント・グリーンが絶好調のようで、主役を食うようなすばらしいプレイを連発する(バッキングもすごいよ)。あと、スティットが「セント・トーマス」をやるというのはかなり珍しいのではないかと思うが、

「BACK TO MY OWN HOME TOWN」(BLACK & BLUE CDSOL−40605)
SONNY STITT

 とにかくスティットが好きで好きでどうしようもないのだが、ブラック・アンド・ブルーからスティットのこういうタイトルのアルバムが出てると知って聴きたくてしかたなかった。それがやっと聞けた! ソリッドはえらい! 79年の録音だが、「70年代のスティットは全部低調」と決めつけたジャズ評論家もいて、アホやなあと思ったことがある。低調かどうか、このアルバムを聞けばすぐわかることだ。以前、ネットで「スティットというひとはすべてパーカーのパクリで、それに気づいたとき、スティットのアルバムは全部売った」と書いてるひとがいたが、それもまあ、個人の勝手ではあるが、スティットが生涯を通じて受け続けていた非難というか十字架なのだろうと思う。このアルバムのライナーにも書いてあるが、パーカーとはじめて出会ったときのエピソードが、43年にパーカーというすごいやつがいると聞いて聞きに行こうとしたスティットはばったり街角で出くわし、「あんたがパーカーか?」とたずね、そのままふたりでセッションをした。パーカーが「なんてこった。まるで俺の音みたいだ」「俺はこのサウンドが好きだし、こういう風にしか吹けないんだ」……というやりとりがあったというエピソードは好きだ。ほんまかあ? と思うひともいるかもしれないが、音楽の世界にはそういうこといくらでもある。その後、スティットはパーカーのエピゴーネンというレッテルをはられ、その後は死ぬまで、いや、死んでもそのレッテルははがされることはなかったのだ。先述のネットのひともしかりで、スティット没後これだけの年数が経っているにもかかわらず、その評価は「パクリ」なのだ。悲しいにもほどかある。言いたいことはもっとあるのだが、ここでぐずぐず言ってもはじまらない。本作は、珍しくアルト主体で、テナーは2、3曲目とラストの8曲目だけだがめちゃくちゃかっこいい。とくに3曲目のバラードは、後年ならアルトで吹くところだろうが、サブトーンもまじえた見事としか言いようのない吹きっぷりで、「パーカーのパクリ」と言ってるひとはこういう演奏をしっかり聴いてほしいです。スティットのボーカルも聞けて、お得(しかも上手い)。「マイ・リトル・スウェード・シューズ」はラテンリズムのテーマがソロに入ると突然4ビートになるのもお約束だが、スティットの力強いアルトソロは、この時期ならではのもの。このあとはピッチが上ずったりするようになるからね。そして、つづく「アナザー・ユー」も、スティットの得意のナンバーだが、これもアルトで圧倒的なブロウを展開する。ルーストの傑作群にも迫る勢いである。もちろん(私としては)スティットはテナーのほうがしっくり来るわけだが、このアルバムでのアルトでのがんばりはすばらしい。このころのスティットはどうしてもワンマンバンドになりがちで、テーマもソロもすべて自分が吹く、という感じになりがちだが、本作ではピアノ、ベースもすごくて、7曲目のスローブルースのイントロのピアノなど、美味しすぎる感じ。見過ごされがちなアルバムだろうが、めちゃくちゃ美味しいですよ、スティットファンの皆さん。スティットはパクリだから全部売る、といってたひとのアルバムは全部買いたい(持ってないやつがあればね)。

「JUST THE WAY IT WAS」(LABEL M 5703)
SONNY STITT & HIS ELECTRIC SAXOHONE LIVE AT THE LEFT BANK

 めちゃくちゃ凄い。タイトルにもあるようにスティットは基本的にずっとバリトーン(サックスの音を電気的に加工する楽器)を吹いていて、これがスティットのすばらしい生音をちょっと聞きにくくしている感もあきにしもあらずなのだが、まあ、そんなものは気にしなければいい、というか、なんか録音悪いなあ、ぐらいに思っていればいいのであって、それのせいでこの凄まじいアドリブの嵐というか竜巻というか台風というか怒涛の演奏を聴かないのはもったいない(とはいえ、なぜスティットがこの日の演奏でバリトーンを吹いたのかはよくわからん。全然効果をあげていない曲が多いからなあ……)。ドン・パターソンもすごいし、フレーズに敏感に反応して二人をプッシュしまくるビリー・ジェイムズのドラムもすばらしい。たった三人でここまでの音楽をその場でバーッと作っちゃうひとたちには驚くしかない。オルガンジャズというとベースがいない分、ギターがいたり、もうひとり管がいたりするものだが、三人というシンプルつーか削ぎ落した編成で、「四人目雇う金がないけんねー」というような家庭の事情があるのかないのかわからないが、そういう事情に対してちゃんと三人でバリバリ聴かせるのがほんとすごい。私はオルガンジャズは、オルガン奏者がフットペダルでちゃんとベースラインを踏めないならベースを入れろよ、と思うタイプだが、ジミー・スミスなんかはそのへんものすごいと思う。しかし、たとえオルガン奏者がベースを踏めなくて、左手でベースがわりのラインを弾いたり、コードを弾いたりするだけだったとしても、サックス奏者が単音のラインでチェンジをちゃんと感じさせるフレーズが吹ければなんの問題もない。パターソンはフットペダルもきっちり踏んでいるし、ノリもしっかりしている。曲はおなじみの「デューセズ・ワイルド」にはじまり、「オルフェのサンバ」「クライ・ミー・ア・リヴァー」……と続く。5曲目はジャズでもときどきとりあげられる「おーたまじゃくしはかえるのこー」だが、ここでは超硬派な演奏になっていて凄まじい。スティットの汲めども尽きぬ怒涛のアドリブフレーズは、「スティットはパーカーのイミテーターで……」とか「パーカーが生きているときは遠慮してテナーを……」とか言ってる馬鹿どもはほんと耳がおかしいとしか言いようがない。最初から最後までブロウにつぐブロウで、最後に逆循になってからも吹きに吹きまくる。パターソンもひたすらノリにのっていて、客から何度も歓声が上がる。6曲目は「いそしぎ」だが、このバラードをスティットは火山が噴火しているかのような猛烈な吹きまくりで聴衆を圧倒する。最後のカデンツァはバリトーンがオクターブの音を鳴らしていて笑える。そしてラストは「ひとりブルース・アップ・アンド・ダウン」で、ブロウの権化と化したスティットは超アップテンポのこの曲を、共演者も客もスタッフも吹き飛ばせ、というぐらいの勢いで吹きまくる。サックスのベルが溶けるのではないか、と思うほどのすごさである。あー、最高。と言うわけで、すばらしいライヴであります! 英文ライナーもなんかおかしいノリで面白いので読んでくださいませ。

「FORECAST:SONNY & RED+PARTNERS SONNY AND RED」(CATALYST RECORDS CAT−7608)
SONNY STITT WITH RED HOLLOWAY

 スティットとホロウェイによる2サックスチームの邂逅をとらえたカタリストの二枚のアルバムをカップリングしたもの。まず1枚目だが、超快演の連続で驚愕。スティットはテナーのみでホロウェイがアルトとテナーとなっているが、聴き分けはなかなかむずかしく一筋縄ではいかない。ライナーにはどっちがスティットでどっちがホロウェイか識別する意味はない、ようなことが書かれているのだが、なんの責任もない私はとりあえず自分の判断を書いてみたいと思う。なぜ、そんなことにこだわるのか、というと、即興というものが重要視されるジャズにおいて、同種楽器のバトルの場合、どっちがどっちのソロであるか、ということはきわめて重要だと思うからである。そんな「聴き分け」なんかやっていないで、素直に演奏全体を味わえばよい、という考えもわかるが、どうしても聴き分けたいのだ。聞き分けがないのはいやなのだ。ホロウェイというひとはかなりグロウルするひとで、とくにGのフラジオあたりの音色に特色があると思うが、本作ではほぼグロウルを封印している。スティットは16分での細かいフレーズを入れるあたりが特徴だと思うが、これがまた、どちらもそういう感じのプレイをしており、ややこしい。リンクメタル期のスティットのテナーは細身でエッジが効いているので音色でわかるのだが、本作ではたぶんラバーにしたころだと思われるので、音色での判別もなかなかむずい。正直言って、ふたりともスティットに聴こえるのだ。たぶん、スティットとの共演ということで、ホロウェイがバップ寄りの吹き方をしているからだと思うのだが……。同じフレーズを使ったりしている(スティットがB♭の曲でよく使うフレーズをどっちも使ってたり……)。今回、久しぶりに聴き直し、アホみたいに延々と聴き返した結果の個人的な見解でいうと、左ホロウェイ右スティット(左ヒラメで右カレイみたいですが)ではないでしょうか。つまり、軽くて明るい音色のほうがスティットで、やや潰れた感じの音色のほうがホロウェイということで聴いてみました。1曲目「ザ・ウェイ・ユー・ルック・トゥナイト」は先発(右)がスティットのテナーと思われ、後発(左)のテナーがホロウェイということでどうでしょうか。途中、2テナーとドラムの凄まじい4バースがフィーチュアされる。2曲目のブルースは、先発(左)がホロウェイで後発(右)がスティットでは? 3曲目のバラードメドレーでのユードントノウのアルト(右)はスティットで、アイムゲッティングのテナーはホロウェイ(左)でスティットもアルトをちょろっと吹いているのだと思う。スティットはテナーしか吹いてないことになっているジャケットの表記がたぶん全体の誤解を呼ぶもとなのでは。これはたぶん間違いない、というのは、スティットはこの曲を取り上げるときはたいがいアルトで吹くし、スティット個人のアルバムでのピアノのイントロがここでも使われているからだ。いずれにしてもすばらしい演奏である。ということは(このテナーがホロウェイだと仮定すると、音色における判断から)「レスター・リープス・イン」の先発はスティット(右)で、後発がホロウェイ(左)では? どちらのソロもめちゃくちゃ快調である。なぜか4バースは順番が逆になっている。なんでや? 5曲目の「ジャスト・フレンズ」は4バースではじまるのだが、先発は左のホロウェイ、つぎが右のスティットだと思う。でも、最後の左のテナーのカデンツァを聴くと、え? スティットか? と心が揺らぐ。ラストの6曲目「神の子はみな踊る」(「スティット・パウエル・アンド・JJ」でやってましたねえ)。先発の右がスティット、アルコソロを挟んでの延々続く4バースでも、先に吹く左がホロウェイ、つぎがスティットということで。こうして聴いてみると、やはり一番わからんのは、アルバムジャケットにスティットはテナーのみ、ホロウェイがアルトとテナー、ということになっている点だ。そうするとこのアルバムで唯一アルトが聴かれる3曲目のバラードメドレーにおける「ユー・ドント・ノウ・ファット・ラヴ・イズ」におけるアルトは当然ホロウェイということになるが、どう聴いてもアルトがスティット、ホロウェイがテナーではないか、と思うのだが……。邦文ライナーでも「ユー・ドント・ノウ……」はホロウェイで、「アイム・ゲッティング……」をスティットとしており、ここが一番ひっかかる。この手の演奏には詳しいはずの原田さんのライナーなのだが……。そもそもスティットはこの曲(「ユー・ドント・ノウ……」)をレパートリーにしていて、たいがいアルトで吹くのだ。うーん、だれか謎解きをしてもらえませんか。ということで、2枚目の「パートナーズ」に移るが、これまた聴き分けがむずかしい演奏である。1枚目とはまったくちがった世界で、ファンクジャズ的な演奏。いきなり1曲目で、「俺はソニーだ」「俺はレッドだ」という宣言(?)とともに幕が開き(スティットが、ようこんなことやったなあと思う)、ギターのファンキーなカッティングとともにブラスセクションが派手にぶちあげるノリノリのブルースナンバーである。先発(左)がスティットで、途中、4バースを挟んで、後発(右)がホロウェイではないでしょうか。根拠としては、音色の問題もあるのだが、後発のほうがよりファンキーなフレージング連発で、こういうタイプのノリに順応しているような気がする。そのあとふたたびバースになるが、正直、どっちがどっちかはほんまによくわからん。2曲目はいきなりビバップに戻って(?)4ビートの曲である。コンガが効いている。この曲はもしかしてスティットひとりで吹いてるのか? とにかく見事としか言いようがないロングソロである。ギターソロ、エレピ(作曲者)のソロも秀逸。3曲目は「スティッツ・イット」というタイトルになっているが、ようするに「ブルース・ウォーク」である。これも先発の左がスティットで右がホロウェイではないかと思う。4バースのあと、右のテナー(たぶんホロウェイ)がソロをする。ピアノソロを挟んで、左のテナーがたぶんスティットだと思う(おなじみのフレーズも出てくるからたぶん間違いないと思うけど……とにかくめちゃくちゃすばらしいソロ)。4曲目はまたまたファンキーなギターのカッティングではじまる「マドリードの夕べ」という曲(2曲目に続いてキーボードのフランク・ストラツェリが曲を提供している)。ソロはスティットのみだと思うが、めちゃくちゃすばらしいソロでひたすら聞き惚れる。作曲者のエレピソロも(短いけど)かっこいい。最後に2テナーが同時に吹きまくるエンディングもすばらしい。5曲目はごく普通の4ビートのブルースで、先発はホロウェイではないでしょうか。つづく左がスティットでよくない? この曲の聴き分けはほんとに難しい。ラストの6曲目はバラードメドレーで、最初のアルトはスティット、つづくバリトンがホロウェイ(これはまちがいない)。これもまたひたすら聞き惚れる演奏で、まあ、正直、どっちがどっち……とかどうでもよくなる。とくにホロウェイのバリトンのふくよかな音色とサブトーン、楽器コントロールを聴いていると本当に上手いひとだなあと思う。エンディングではスティットのアルトがからむ。傑作。

「SONNY STITT PLAYS ARRANGEMENTS FROM THE PEN OF QUINCY JONES」(ROOST RECORDS ROOST LP2204)
SONNY STITT

 傑作としか言いようがない。スティットはワンホーンのコンボで自由に吹きまくるのが最高である……とは思うが、本作の完成度の高さは圧倒的で、クインシー・ジョーンズの才能を感じざるを得ない。ビッグバンドにスティットをフィーチュアした、というのではなく、あくまでスティットのソロにスポットライトを当て、それをホーンセクションが包み込むようにバックアップする、という雰囲気で、スティットの奔放ぶりを型にはめようとしていない。スティットはいつもどおり自在に飛翔しているのだか、アレンジはそれをさらに高みへ押し上げている。
 1曲目の「マイ・ファニー・バレンタイン」からいきなり感動的な演奏が繰り広げられる。スティットが凄いのは、アルトの音色が水が滴るような芳醇で、のびやかに鳴りまくっているようなロングトーンが聴いているものの心をぎゅーっと絞るが、そういった美しくも壮絶なロングトーンの音色を聴かせる部分と、めちゃくちゃ速いバップフレーズの超人的なフレージングを聴かせる部分が交互にめまぐるしくフィーチュアされるところだ。そこにゴージャスなオケが響き、フレディ・グリーンのリズムギターが空気を震わせる……となると感動するしかないではないか。もちろん第一に賞賛されるべきはスティットだろうが、すべての効果を計算したうえで提示しているクインシーもめちゃくちゃ凄い。もちろんクインシーはスティットがどういうプレイヤーで、どういうところが凄いのかをちゃんとわかったうえでそれをもっとも効果的に使えるようにアレンジしているわけだ。いやー、もう何度聴いてもいいですよね。この曲は後年アート・ペッパーとの共演作や「グッド・ライフ(同じくハンク・ジョーンズがピアノ)」でも取り上げている。2曲目のミディアムの循環「ソニーズ・バニー」というのも、シンプルなリフを膨らませただけのアレンジだが、それがかえってスティットの見事すぎるソロを前面に押し出す結果になっており、ひたすら至芸を堪能できる。このあたりの呼吸というか駆け引きもクインシーは心得ている。ノッティンガムの溌剌としたソロやハンク・ジョーンズのリラックスしたソロもいい。3曲目「カム・レイン・オア・カム・シャイン」もテーマを吹くスティットとそれを包み込むようなバック……という図式のアレンジだが、スティットのテーマの崩し方があまりにすばらしいので、耳がアルトに釘付けになってしまい、その背後からときおりアンサンブルが立ち上がる……というような感じで、ずぶずぶとクインシーのペンにはまってしまう。4曲目「ラヴ・ウォークド・イン」は軽快にスウィングするベイシー風のアレンジで、スティットのアルトがリードするテーマとそれに続く小技をきかせたソロが快演。5曲目「イフ・ユー・クッド・シー・ミー・ナウ」はスティットのアルトの鳴りが堪能できる一曲で、ロングトーンのときのビブラートとかダイナミクスとかアーティキュレイションとか……なにもかも自信にあふれていて舌を巻く。6曲目はクインシーが自分の名前をつけた「クインス」というミディアムのブルースで、飄々としたベイシー風のノリの楽しい曲。冒頭のハンク・ジョーンズのピアノからリラックスしまくりの演奏。こういうベイシーっぽい感じというのは、クインシーが本作と同じくルーレットにおけるベイシーアルバムのアレンジを手掛けていたり(この曲「クインス」も録音されている)、サド・ジョーンズ、ジョー・ニューマン、フレディ・グリーン(!)、ジョー・ジョーンズ(!)といったコテコテのベイシーメンバーが参加しているということもあるのだろう。7曲目は「マイ・ファニー……」と並ぶ本作の目玉である「スターダスト」でため息が漏れるような美しい演奏である。冒頭、アルコベースのバックに張り詰めたような音色で飛び出してくるアルトがテーマを崩しながら吹くだけで、もう十分という気になる。なんというか、感情に溺れないクールな演奏でいいですね。ラストの「ラヴァー」はアップテンポで、アンサンブルを引っ張りまくり、ときには合間を縫うようにして、噴出するアルトが超かっこいい。ツボを押さえたクインシーのアレンジも見事。エンディングの短いカデンツァもいい。CDにはボーナストラックとして「カム・レイン……」「クインス」「スターダスト」の別テイクが入っているが、どれもOKテイクと比べても遜色のない出来。
 オーケストラのメンバーはめちゃくちゃ豪華で、トランペットがジミー・ノッティンガム、アーニー・ロイヤル、サド・ジョーンズ、ジョー・ニューマン、トロンボーンがJJジョンソン、ジミー・クリーブランド、サックスがアンソニー・オルテガ、セルダン・パウエル、セシル・ペイン、ピアノがハンク・ジョーンズ、ギターがフレディ・グリーン、ベースがオスカー・ペティフォード、ドラムがジョー・ジョーンズ……というため息が出るようなすごい面子だが、ソロが与えられないひとも当然いるわけで、一国一城の主たちをそういうぜいたくな使い方をして、動じることなく堂々と「俺が一番」とばかりに吹きまくるのがスティットのスティットたるところである。もちろん、メンバーもクインシーもそんなスティットを盛り立てるつもりでこの日は集まっているのだからなんの問題もない。
 テナーとアルト両方を吹くことが多いスティットだが、本作はアルトにしぼったところもよい。この時期のスティットのアルトは本当に最高なのである。小編成での奔放なソロにこそ真価があるスティットだが、クインシーのアレンジはそれを枠のなかに押し込めることなく、スティットの自由さと最高のオーケストレイションを同居させ、一段高いステージに押し上げた点がスティットもクインシーもすごいといえる。傑作!

「WHEN SONNY BLOWS BLUE」(JAMAL/P−VINE RECORDS PCD−94114)
SONNY STITT

 こんなアルバム、聴いたことがなかった、というか存在すら知らなかった。アーマッド・ジャマルの個人レーベルからリリースされたものだそうである。1970年の録音で、スティットにしては珍しく、かなりジャズロックというかポップジャズに寄せてきている。ブルースというかファンクというかR&B的というか、そういうアルバムはあったけど、ここまで思い切ったものはほかにあまりないのではないか。しかも、メンバーがハービー・ハンコック、ロン・カーター、グラディ・テイトというリズムセクションにヴィブラホンと複数のギタリスト(そのうちのひとりはジョン・ピザレリ)という、生粋のバッパーであるスティットのレコーディングメンバーにしてはかなり異色ではないかと思う(豪華ではあるが)。1曲目は「アウト・オブ・ディス・ワールド」をファンクっぽくアレンジしたものだが、スティットはソロになるとバックのリズム関係なくスティット節を吹きまくる。当然、演奏としては変な乖離のあるものになるのだが、なぜか違和感は感じず、スティットの凄みは失われていないのが不思議である。スティットの音はなんとなくボケた感じになっているが、電気的な加工がおこなわれているのだろう。2曲目はリフのブルースで、いつものスティットであるが、やはりリズムが微妙に普通の4ビートよりもモダンな感じに聴こえる(CTIの4ビートみたいな感じ?)。3曲目はアルトによるテーマの吹き方が絶妙で、さすがは歌ものが得意なスティットだけのことはあって、こういう曲でテーマを吹くだけでかっこよさを感じさせる。4曲はハンコックがローズを弾いているが、めちゃく普通のブルース。ただし、スティットの音は加工されている。5曲目は「サマータイム」のファンクバージョン(?)で、この曲はマイナー一発みたいなものだから、こういうアレンジでもばっちり合うのだ。スティットはアルトで飄々とのびやかにテーマを吹いているが、ソロになるとリズムとか関係なくいつものバップ的なスティット節である。しかし、そのあとに出てくるハンコックのピアノソロはさすがに新鮮に聴こえる。でも、どっちもかっこいいんだよね。6曲目は16ビートで「サニー」である。ソニー・クリスもやっていたこのR&Bの大ヒット曲をスティットはテナーで吹くが、とにかくめちゃくちゃ凄まじい吹きまくりで、バップフレーズの洪水がこの曲に完璧にあっているというのが驚異である。アーティキュレイションも見事で、この曲が本作の白眉であろうと思う。7曲目はタイトルにもなっている「ウェン・サニー・ブロウズ・ブルー」で、要するに「サニー・ゲッツ・ブルー」なのだが、見事な歌い上げの曲になっている。スティットの上手さは、こういう曲における16分音符の完璧な指使いでの羅列とそれに合いの手のように入るファンキーな「見得」みたいなフレーズの組み合わせを聴いたときに強く感じる。本当にバップの、音楽の、サックスの申し子みたいなひとなんだよねー。だれやいまだにパーカーの亜流とか言うてるやつは、ちょっとまえに出なさい!ラストは「オパス 1」で、キーが変わるたびにスティットがそれに合わせてお手本のようなフレーズを吹きまくり、しかも破綻がないので、ひたすら感心するばかり。でも、これは我々が知ってるあの「オパス 1」とは別の曲である。まあ、妙なアルバムではあるが、スティットの良さ、上手さ、すばらしさは失われていないし、リズムセクションはさすがにハッとさせるような瞬間があちこちにあり、かっこいい。スティットの音は、ときどきバリトーンかなにかをかましているみたいで、変に太くなったり、ぼやけたりしているが、これが「良し」とされていたのは不思議だ。加工しない生音のほうが100倍いいのになー。

「PERSONAL APPEARANCE」(VERVE RECORDS/UNIVERSAL MUSIC UCCU−9322)
THE SONNY STITT QUARTET

 このころのスティットはアルトもテナーも最高で、とくにアルトがぶりぶりの時期で、ピッチもよくて、フレーズはバップの権化だし、もう言うことのないすばらしさ。本作ではアルトよりテナーの使用率のほうが高いが、それでもアルト使用の曲は輝いている。しかし、アルトとテナーの併用に違和感がないのは、スティットの(この時期の)テナーの音が細身で芯があり、引き締まった鋭いものだからで、パッと聴くと、アルトだかテナーだかわからない感じなのである。一部のひとはこういうスティットのテナーの音を(たとえばアモンズとかと比較して)軽いとかアルト吹きのテナーの音などと評するが、そうではないのであります。スティットは後年、もっと太い音に変化したが、この時期のテナーはさっきも書いたが「音のすべてが芯」というような独特の音だ。デクスター・ゴードンやアモンズ、ベン・ウエブスター、ロリンズ、バディ・テイト……といった豪快なテナー奏者のサブトーンを基調にしたサウンドとは違う硬質な音色はバップ時代のテナーという印象である。スティットの場合は、そういう音のテナーでアルトと同様の音数を吹きまくり、アーティキュレイションもばっちりというか人間離れした見事さなので凄いのである。ティモンズとの唯一の共演作であることが本作の売りらしく、帯でもライナーでもすごくそこを強調してあるが、例によってスティットのワンホーン作はスティットひとりが主役であって、ここでのティモンズはかなりソロスペースを与えられているほうだとは思うが、スティット以上に目立つことはありえない。それにしても全曲スティットのプレイは瑞々しく、溌剌としており、しかもシリアスで、よく指と舌がこんなに動くよねー、と言いたくなるほどの凄まじいフレーズの奔流が押し寄せてくるような演奏ばかりで、ほとんどあきれる。そして、とんでもないリズム感なのである。この時期のスティットのアルバムに外れはない……と思うが、そんななかでも本作は相当な傑作であります。録音も、サックスがマイクからやや遠い感じに聴こえるのもなかなか味わい深い。なお、本作のライナーでも「スティットはパーカーとの比較を避けるため、パーカー存命中はアルトをやめてテナーを吹いていた」説がまことしやかに書かれているが、そんな話はとうに否定されたのだと思っていた。あと、スティットを賛美しようとするあまりか、ライナー(べつのひと)で、パーカーの演奏は幾何学的で抽象的、聴く者の感情移入を拒む音楽、と書かれているのはまったく納得いかない。聴く者の感情移入を拒む音楽であるかどうかは「聴く者」それぞれの感覚だが、その理由が「パーカーが幾何学的で抽象的」だから、というのは理解できません。パーカーの音楽はものすごく人間的で具体的で非幾何学的だと思うが。