sun ra

「FEATURING PHAROAH SANDERS & BLACK HAROLD」(ESP−DISK 4054)
SUN RA

 いやー、ちかごろこれほど期待したアルバムもないですなあ。サン・ラとファラオ・サンダースの共演盤。しかも、未発表だけでもアルバム一枚分ぐらいが付け加わっているのだ。すげー! というわけで、ものすごく楽しみにしていたが、その期待は半分裏切られ、半分叶った。勇んで聴いてみると、うーん、悪くない。というか、かなりいい。サン・ラのアルバムは、正直、なんやようわからんなあ、とか、ダレるなあ、とか、これはハッタリやなあ、と思うものが大半をしめているわけだが、本作はサン・ラ自身のピアノも含めてけっこう聴かせる。パット・パトリックのバリサク、マーシャル・アレンのキチガイじみたアルト、ボントロ、ラッパ、ふたりのパーカッション……どれもノリまくった、いい演奏をしている。これは予想外だった。しかし、問題はファラオ・サンダースで、これがどうもいまいちパッとしない。まだコルトレーンクインテットに参加するまえなので、テナー奏者としてもまだ無名に近いはずで、演奏にも自信がなかったはずである。ハードバップ〜モードジャズ的な演奏とフリークトーンを駆使した変幻自在の絶叫マシーンとしての姿とのちょうど「あいだ」に位置する時期であろうから、こんな感じになるのもわかるが、なにしろアルバムの副題が「フィーチュアリング・ファロア・サンダース」だから期待しないというほうが無理。でも、さっきも書いたようにパット・パトリックをはじめ、ほかの連中の演奏は悪くないので、買って損した……という気持ちにはならなかった。なお、もうひとりフィーチュアされているのが、ブラック・ハロルドというフルート奏者だが、このひとのフルートソロの途中であきらかにもう一本フルート(かピッコロ)が聞こえてくるが、これはやっぱりファラオが吹いているんですかねえ。

「BLACK MYTH/OUT IN SPACE」(MPS RECORDS 557656−2)
SUN RA & HIS INTERGALACTIC RESEARCH ARKESTRA

 サン・ラの「イッツ・アフター・ジ・エンド・オブ・ザ・ワールド」に収録されているドナウエッシンゲンとベルリンのライヴにそれぞれ未発表曲を足して完全盤としたもので、前者を「ブラック・ミス」、後者を「アウト・イン・スペース」と名付けたうえで二枚組のカップリングにしたもの……という解釈で合っているでしょうか。この時期のサン・ラはほんとうにすばらしく、個々のメンバーのソロとグループエクスプレッションが見事に融合しており、全体のキチガイ度合も最高で、しかもジャズ的な切れ味もある、という奇跡的な状態にあると思う……と書いたが、私はサン・ラについては良い聴き手ではなく、その理由のほとんどすべては「テナーがなあ……」ということなのだ。基本的にサン・ラ・バンドはテナーはずっとジョン・ギルモアなので(本作では1曲だけパット・パトリックがテナーに持ちかえてソロをしているようだが)、そのあたりで興味が失せてしまう(会社員だったころ、サターンのLPをいろいろ買って、そのたびに「わけわからん!」とため息をついた過去があるのです)本当はそういう聞き方はサン・ラにはもっともダメな聞き方だと思うが、仕方ないのです。でも、このころのサン・ラは好きだ。アコースティックな楽器で必死にノイズを出そうとするメンバー、グルーヴしたりファンキーだったりロックだったりアフロだったりと相当どさくさなリズム、それぞれのソロ、おもちゃみたいな使い方をしたシンセによる変態的な子供じみたアプローチ、宇宙的で神話的で発狂的な音楽観に基づいた曲の数々、ベイシーみたいなリフ、(これもサン・ラの特徴だが)バリサクの大活躍、でたらめのようで妙に心を刺激するパーカッション群、スーパーインポーズのように唐突に挿入される(それなりにかっこいい)4ビートのピアノトリオ的ジャズ演奏、弦楽器の狂乱、そしてなによりわけのわからん歌やヴォイス(歌こそがサン・ラのサン・ラたる部分だとさえ思ってしまう)と深夜の喫茶店での○○商法への勧誘のようにいかがわしい語り……この二枚組ライヴアルバムに収録された演奏にはそれらすべてが、すごくいい形で入っている。ソロのなかにはすばらしい部分もあるし(とくにリード楽器の猛者たち)、ものすごーく稚拙な部分もあるが、それらすべてをひっくるめた生ぬるい狂気と驚喜の世界がサン・ラなのだ。そして、生ぬるいと思えていたその世界が、じつは足を踏み入れるとずぶずぶと深い底なし沼で、一度入ったらとうてい抜け出せないほど恐ろしく暗く凄まじいブラックミュージックの混沌なのだということも、サン・ラ好きのひとたちは当然わかっているわけで、いやー、私はいつも、サン・ラ好きのひとを見ると、「一周回ってここに来てるよなあ」と思う。私はとてもではないがそんな真似はできないが、こうやってたまに、私にでも十分(フリージャズ的にもいろいろ的にも)楽しめるアルバムをちょこっと買っては楽しんでおります。申しわけない。本作は、サン・ラ・フリークではない私のようなものでもめちゃめちゃ凄いなあと思える傑作であります。ふるーいタイプのフリージャズを一番面白い形で見せているのがサン・ラだという気もするし、いやいや、そんなものではなく、これはもっとわけのわかんなへんてこな音楽なのだ、という気もするし、これになんの意味があるの? という気もするし、意味など求めるとはあさはかだと言われているような気もする。永遠に謎のままなのがサン・ラなのである(2枚目の8曲目「スペース・チャント・メドレー」を聴けば、謎は謎のままがいいやろなあと思ってしまう。これに耽るのは危険すぎるって)。

「DISCO 3000−COMPLETE MILAN CONCERT 1978−」(P−VINE RECORDS PCD−27024/5)
SUN RA

 昔からサン・ラーにはあまり興味がなく、たぶん家にあるアルバムはレコード、CD合わせても10枚ぐらいだろう(サターンのやつとかもほとんど売ってしまった。もったいなーい)。しかし、先日、湯浅学さんの「てなもんやサン・ラー伝」という驚異のサン・ラー本が発売され、ミュージック・マガジンで連載時にたまには読んでいたのだが、まとめて読むとその奥の深さ、洞察、慧眼、面白さなどに瞠目しまくり状態になった(連載時は、正直、そのサン・ラーへの思いの深さや莫大な知識と情報、アルバムの膨大さなどに圧倒されて、ビビッてしまっていた。それぐらいとんでもない試みだったと思う)。とにかくむちゃくちゃ面白い本で、私がこれまでわからなかったサン・ラーの魅力が180パーセントよくわかったし、同時になぜ私がサン・ラーにあまり関心がなかったかもわかったのである。それは、テナーサックスにしか興味がないからで、サン・ラー・アーケストラのテナーは、基本的には初期から最後期まで結局ずーっとジョン・ギルモアなのである。ギルモアはいわゆるフリージャズのミュージシャンではない(そういう言い方をすれば、サン・ラーのメンバーはみんなそうなのかもしれない)。コルトレーン的なワンコード一発もの的なソロやフリークトーンも効果音的に使ったりするが、ファラオ・サンダース(彼もサン・ラーのメンバーだったわけだが)のようにそれを極めるという方向には行かず、やはりハードバッパーなのである。ファラオに、ハードバップ的なアドリブを求めることはできないが、ギルモアは楽勝でハンク・モブレー的コード分解のソロが吹けるひとだ。つまり、私がいちばん興味がないタイプのテナーだということで、これまであまりサン・ラーを聴きたいと熱心に思わなかったのだ。以上、自己分析でした。で、本作は名前しか聞いたことがなくて、なんでもとんでもないアルバムだという噂だけ知っていたが、それが同日のライヴをコンプリートな形で収めた2枚組CDとして発売されるというのだから、そりゃあいくら私でも聴きたくなりますよ。というわけで、何度か聴いてみたが、やはり耳が行くのは、サン・ラーのめちゃくちゃなシンセと安っぽいリズムボックスで、一曲目の初期テクノのアマチュアバンドみたいな繰り返しとそこに乗るサン・ラーのきらきら、ちゃらちゃらしたキーボードにはほんと、ある意味度肝を抜かれる。こどもが遊びでやってる録音みたいなチープさだが、同時にまさにこどもが遊んでいるようなおおらかさもあって、これがもう何とも言えない絶妙の面白さなのだ。たぶんシンセに熟練していなかった時期のサン・ラーだからできたのだろう。ときどきダブのように音が左右に飛んだりするのも、思い切った遊び心による実験なのだろう。とにかく、このポコポコいう、初期ヒカシューやプラスチックスでも使わないようなリズムボックスのアホみたいな感じをドーンと前面に出し、しかもそこにジョン・ギルモアやマイケル・レイによる「ちゃんとした」ソロが乗り、フリージャズの要素も時々突発的に顔を出し、そのうえいつものサン・ラーのあのボーカルリフレインもしっかりとフィーチュアされる。そして、驚いたことにこの二枚組はライヴ録音で、しかもカルテット、つまりベースがいないので、低音部がスカスカ状態なのである。いやー、これでよくライヴ二枚組を作ったなあ。サン・ラーのそういうあたりの感覚はじつにぶっ飛んでいて、尊敬するしかない。サン・ラーの例のシンセめちゃくちゃ弾きもあり、まあ、とにかくさまざまなぶっ飛んだ要素をつぎはぎしたような音の暴走状態であって、「ディスコ3000」というタイトルから連想されるような音楽ではまるでない。すごいぞ、すごすぎるぞサン・ラー。この演奏がなにに似ているかといわれると困るが、いちばん似ているのは私が高校生のとき、スタジオに入って、はじめてシンセキーボードやシンセパーカッションなどを手にして2時間も3時間も遊んだのをラジカセで録音したテープがあるのだが、それが最も似ているような気がする。そして、このサン・ラーはそういう「はじめての楽器を手にした中学〜高校生」の喜びあふれる稚拙な演奏……みたいなものを臆面もなく舞台で堂々と披露しているわけで、やっぱりサン・ラーはただものではない。そして、この演奏のすごいところは、先行きがまったく読めない点で、とにかくこのあとどういう風になっていくのか、まるでわからないのだ。真のフリージャズと言ってもいいかもしれない。ジョン・ギルモアのモーダルというのか、ひとつのスケールで繰り広げられる、熱いがスクリームしないソロ、マイケル・レイのやたらと上手い、ハイノートを駆使したソロなどのパートと、わけのわからないチープな部分との対比が極端すぎて笑えてしまう。マイケルのラッパと掛け合いで、だれかが「ワオ! ワオ!」と叫んでいるがあれは誰? ラッパソロのあと突然出てくるシンセも唐突すぎて、逆にかっこいい。最後はギルモアのテナーが先導する妙な展開からシンセとドラムのデュオ(?)になり、そこにテナーとラッパが加わって、「いったいこれはなに?」という、いつも私がサン・ラーの音楽に感じる疑問をまたしても感じつつ、ドラムソロが長々続いてなんとなく演奏は終わる。なんじゃこりゃー! と怒ってもしかたがない。なにしろこのアルバムは完全盤だから二枚組。まだまだ演奏は1曲目なのだ。というわけで、あとは簡単に触れていくと、2曲目はシンセの荒くれ乱れ弾きからはじまり、ドラムとのデュオでそれが延々続く。もう、なにをやっているのかさっぱりわからないような演奏で度肝を抜かれる。ドラムが消えてシンセソロになってもそのポテンシャルは変わらず、まあ、めちゃくちゃですわ。ほんますごいよなー。私は昔(学生時代)、サン・ラーのこういうところが受け入れられず、「でたらめにもほどがある」と思っていたわけだが、今ならはっきり言える。「でたらめはすばらしい」と。5分を過ぎたあたりでようやくギルモアとレイが入ってくる。まずはギルモアの咆哮とシンセのきゅるきゅる、ひゅるひゅるという音が作り出す地獄絵図。この演奏はどこに向かっているのだろう……まるで聴き手に手がかりを与えない、すさまじいデュオである。これはすごい。つづいてレイとも同様にデュオを展開。いやー、このふたつのデュオがめちゃ面白いんですわ。3曲目はアコースティックピアノのソロではじまり、おや? 2曲目までとはまるでちがうやん、と思わせる演奏。このメリハリの露骨なつけかたもいいなあ。抒情的なピアノに、ギルモアのサックスがまったく違ったキーで入っていき、おっ、と思った瞬間、溶け込んでいくあたりも、さすがわかりあったふたり。カルテットだとギルモアのテナーがたっぷり聴けるからよい。4曲目はドラムとサン・ラーのデュオで、一瞬、ベースがいるかと錯覚する。サン・ラーのピアノがしっかりと堪能できます。超独特だが、変ではない、不思議なピアノスタイルだ。シンセを弾くと……ああなりますが。そこにマイケル・レイのトランペットが加わり、見事なベースレスのトリオが構築される。マイケル・レイがジャズトランぺッターとして上手いということはもちろんだが、サン・ラーの左手が強力なのだ。サン・ラーのピアノソロに引き継がれたあと、ラスト近くになってギルモアのテナーが出てくるが、これはテーマリフを延々吹くだけの役割。5曲目はサン・ラー作のファンキーなブルース。ただのリフではなく、案外ちゃんとした曲。ベースがいないのに、こういうファンキーな曲調のブルースをやってしまうところがサン・ラーのすごさかも。トランペットもソロをするが、とくにギルモアのハードバッピッシュなソロがさすがの上手さでかなり大々的にフィーチュアされる。サン・ラーのピアノソロは一種のショウケースでいろいろなスタイルを織り交ぜて聴かせる。エンディングはテーマに戻らない。6曲目はサン・ラーのフリーな感じのピアノソロからはじまり、そのまま強烈な左手が激しくラインを刻む、モード風のテーマに突入。それが終わると、ふたたびサン・ラーのソロピアノによる幻想的な演奏。そこへドラムとミューとトランペットが加わり、なんだかよくわからないまま終わっていく。2枚目に移り、1曲目は、ジャズっぽい曲だが、ベースがいないせいか、よくわからん。テナーソロはモードというか、ひとつのスケールに固執しているっぽい。途中、ドラムとテナーのデュオになるが、かなり真っ当な吹きっぷりで、あまり「すげーっ」とかそういう展開ではなく、しみじみと真面目かつ熱い演奏である。だんだんと説得力が増していく。さすがギルモア。そのままドラムソロになり、ピアノがそれを受け継ぐ。そして、テーマに入って、ぐじゃぐじゃっとなって終わり。ギルモアをフィーチュアした演奏でした。2曲目は、これぞ一枚目1曲目の「ディスコ3000」と並ぶ、リズムボックス使用のちょっとやみつきになりそうなビートとベースラインが延々と続き、そこにドラムが味付けし、サン・ラーのシンセとオルガンが炸裂する。演奏のダイナミクスは機械的に大きくなったり小さくなったりして、それがまた妙な感じをかもしだす。サン・ラーはそこにさまざまな音を載せたり、消したりしていく。足し算引き算みたいに、遊んでいるようだ。いや、マジで遊んでいるのかもしれない。自分でも「このあとどーなるのかなー」と思いつつ演奏しているのかも。これをひとまえでやったとはなあ。大物としか言いようがない。今なら何千円かのキーボード一台で素人でもできるような演奏かもしれないが、これをはじめてやったというのは画期的である。3曲目は、曲調は違うが、これもシンセが暴れる曲で、二台(以上?)のキーボードを同時に弾いている。サン・ラーは、シンセのぴらぴらぴらぴら……という音を面白がっているようで、シンセをはじめて触った子供が楽器屋の店先でやってることとさほど変わらない。ええなあ、この感じ。マイケル・レイのトランペットが高音連発のソロをかなり長いあいだ吹きまくり、サン・ラーの気味悪いバッキング(?)がそれをプッシュ(?)する。いやー、変な音楽じゃー。そのあとのサン・ラーのソロも、もう音色のチョイスが変過ぎて、まったく頭に入ってこんわ。まさにやりたい放題の演奏で最後もフェイドアウトして終わる(自主的なフェイドアウトです)。4曲目はドラムソロではじまり、オルガンが入ってから2管によるテーマ。非常にジャズっぽい。トランペットソロはこの二枚組中いちばんいい。とてもハードバップなソロ。ベースがいたらなあ。そのあとジョン・ギルモアの無伴奏テナーソロになり、延々と吹きまくる。ここが、私的には本作の白眉といえるでしょうか。そのあと無理矢理テーマが入って終了。5曲目はボーカル入りのいつものやつ。歌が終わると、シンセの曲弾き(?)がはじまり、迫力というか怪しさ満点。サン・ラーのソロ部分はもう、むちゃくちゃすぎて怖いぐらい。本アルバムのなかでもっとも迫力のある場面かもしれない。いやー、すごいっす。頭がおかしいとしか言いようがない。そのあと集団即興による混沌とした展開になるが、やはりサン・ラーのシンセが無理矢理に場面をひきずりまわしていて面白い。ラストでアコースティックピアノのソロになり、「オーバー・ザ・レインボー」が演奏される(ライナーには、4曲目が「インクルーディング・オーバー・ザ・レインボー」と書いてあるが5曲目の誤り)。ラストはマーチっぽいリズムに乗せて、「ウィ・トラヴェル・ザ・スペースウェイズ・フロム・プラネット・トゥ・プラネット……」という子供が書いたような歌詞のリフレインをひたすら延々と歌い続けるという拷問のような曲。これを好きにならなければサン・ラーのファンになることは難しい。というわけで、購入してから何か月かで、10回ぐらい聴いたが、なかなかすごいといえばすごい、わけわからんといえばわけわからん、変態的な魅力のあるアルバムでした。

「MONORAILS AND SATELLITES」(EVIDENCE ECD−22013−2)
SUN RA

 じつはサン・ラーのソロはだいぶまえにジャズ喫茶で聴いたことがあるだけで(そのときも、だれだかわからず、ジャケットを見て、へーっ、これがサン・ラーか、とびっくりした記憶がある)、アルバムを買ったのはこれがはじめてである。アーケストラだと、シンセをめちゃくちゃに弾き倒したりとパフォーマンスの面も目立つが、こうしてソロで聴くと、ピアニストとしてのすばらしさが際立ってわかる。フレーズがどうとかいうより、全体のサウンドというか響きというかハーモニーというか、「聞こえ方」にすごく意を払っている感じで、そのあたりはなるほどオーケストラのひとだなあ、と思ったりした。すごく面白くて、続けて何度も聴き直したが飽きなかった。何日間か、このアルバムばっかり聴いていたような気がする。ブギウギとかストライドとかスウィングスタイルピアノとかの影響もあったりするのかもしれないが、なんか、聴いてるとそういう分析はどうでもよくなってくる。サン・ラーはサン・ラーでしかない。どんな曲でも自分に引きつけて演奏してしまうのがサン・ラーのサン・ラーたるところだが、そういうやり方はこのソロピアノでも生きていて、すべてがサン・ラー色に染め上げられてしまう。そして、アーケストラのようにアクが強くなく、とても楽しく、聴きやすい。いいアルバムでした。