「HOW MANY CLOUDS CAN YOU SEE?」(DREAM 844 882−2)
JOHN SURMAN
ある欧州ジャズ評論家があちこちで大絶賛しているので、ずっと探していたのだが、LPではついに見つからず、CDで再発されてやっと入手したアルバム。そういう経緯なので、異常な期待のもとに聴いてみたが、うーん、たしかに力作だし、かっこええのだが、「とにかく1曲目「ガラタブリッジ」のソロを聴け!」みたいな煽りかたをその評論家がしていたその「ガラタブリッジ」にしろ、ほかの曲にしろ、ジョン・サーマンのソロに関しては、やっぱり「ザ・トリオ」のもの凄さに比べると、短めだし、やや物足りない。逆に、アラン・スキッドモアのソロがけっこう行くところまで行ってる感じ(個人の好みですが)。期待しすぎたかと何度も何度も聞き直してみたが、たしかに当時のヨーロッパジャズの金字塔的言われかたをするのもわかるけど、今の耳では、「ザ・トリオ」の過激さ、自由さ、緊密さ、徹底さ……などに軍配をあげざるをえない。でも、曲はかっこいいし、ソロはサーマンはもちろん、全員できがいいし、構成もきちっとまとまっているので、この先も何度も聞き返すだろう。数曲聴いただけでへとへとになる「ザ・トリオ」より、聞きやすいという意味ではこっちが好きという人がいてもおかしくはない。
「FLASH POINT:NDR JAZZ WORKSHOP−APRIL ’69」(CUNEIFORM RECORDS
RUNE315/316)
JOHN SURMAN
CDとDVDの二枚組だが、どちらも同じときの音源。きっちりしたアンサンブルとそれに乗るソロ、というごくあたりまえのジャズのルーティンが展開するだけだが、それがこれだけおもしろく、かっこよく、興味が途切れないというのは、(今から考えると)超オールスターバンドともいうべきメンバーの実力だけでなく、やはりリーダーのジョン・サーマンの仕切りだろう。DVDを見ると、その仕切ぶりがよくわかっておもしろい。ベースの立ち位置というか演奏へのアプローチがやはりかなり新しい感じで、それが大所帯に独特の浮遊感を与え、オーケストラのような即興コンボのような自由さがつねに感じられてよい。個人的には「動くアラン・スキッドモア」を愉しみにしていたのだが、グルーチョ・マルクスのような容貌で、ラバーのラーセンっぽいマウスピースで渋く丁寧に、しかし身体を揺すって激しくブロウする。かーーーーーっこいい! いやー、いろいろ学びました。大御所のロニー・スコットとテナーの席を分け合っている(ロニー・スコットも四曲目でフィーチュアされるが、やはり伝統的なモードジャズの範疇のソロである。もちろんかっこいいが。マウピはリンクのメタル)。マイク・オズボーンのマウピがたぶんセルマーだとわかる点もありがたい(超うまい)。若きケニー・ウィーラー(もちろん全員「若き」だが、とくにイケメンなので)の溌剌としたフリューゲルも聞きものだが、音色はトランペットとほとんど差がない。そして、リーダーのサーマンはソプラノでもバリサク(ロートンのメタル?)でも身体を前後にゆらしながら熱いソロを展開する(とくにソプラノはずっとフルトーン。あまりにうまくて驚く)。そのソロは、ソロをしているときはそれに専念し、オーケストラに溶け込む、といったタイプのものではなく、つねに全体のつぎの動き、音楽の向かう先を示唆するような、明確な方向性のあるものだ。とにかく、かっこいいことこのうえないし、このときの映像がこれほど鮮明に残っていたというのは画期的だ。加熱するホーン陣に比して、リズムセクションは見かけはすばらしくクールだが、でてくる音自体は熱いのだ(ドラムもえげつないほど叩きまくる。このひとは前衛というにはちょっと古いスタイルかもしれないが、アグレッシブですごいなあ。このひとがしっかりしているのでみんな暴れられるのだ。ベースの人の禿げかたもなかなか)。とまあぐだぐだ書いていても伝わらないと思うが、いっぺん映像のほうを見てください。たぶん当時の「息吹き」みたいなもんが感じられて、「おっ」と思うはずだから。曲間のメンバー同士の会話や、「こうだよ、」みたいなジョン・サーマンのサジェスチョンや、煙草を吸ったりするところや、咳とかもなんとなく絵になる。三曲目の「パズル」という曲はトロンボーンのエーリッヒ・クラインシュースター(と読むのか?)の曲で、カウントも彼が出して、いきなりえぐいテーマからボントロソロに入るが、これがまたかっこいいのだ。もうひとりの長身のトロンボーン(マルコーム・グリフィスというひと)も荒くて情熱的なソロを展開。最後の超アップテンポの曲で、マイク・オズボーンの情熱的なソロを受けて豪快にブロウしまくるアラン・スキッドモアの圧倒的迫力には脱帽。そして煙草の紫煙のなかにラストのジョン・サーマンがバリトンを吹きまくる。ひえーっ、かっこええっ。いやー、拍手です。とにかくいろんな意味で「参考になる」というレベルでもこれぐらい参考になる映像はないですよ。音楽的レベルはめちゃめちゃ高いし、躍動感あふれるすばらしい演奏のつまった玉手箱のようなアルバム。ぜったいみんな見る(聴く)べきだと思う。めちゃめちゃ興奮するよ。もうひとつ思うことは、当時のイギリスの流行りなのか、禿げかマッシュルームカットが多いなあとも思います。
「WAY BACK WHEN」(CUNEIFORM RECORDS RUNE200)
JOHN SURMAN
69年録音のジョン・サーマンのカルテット作品。つまり「ザ・トリオ」を結成するまえの演奏である。この時期ジョン・サーマンは、けっこうコルトレーンの影響下にある普通のモードジャズをやっていた……のかと思ったら、そうではなかった。さすがに、一癖も二癖もある、個性的な音楽でありました。エレピはジョン・テイラー。ドラムはジョン・マーシャル。ベースは知らんひと。1〜4曲目までは組曲。5曲目と6曲目にマイク・オズボーンがゲストで入っている。1曲目はタイトなドラムに、エレベがファンキーなパターンを刻むうえをサーマンのソプラノが舞い踊る。エレピは、ときにエレキギターのように、ときにエレクトリックヴィブラホンのように、コードを弾くというより効果音的な音響を付け加える。サーマンは、ひたすらソロに徹して、言いたいことが出尽くすまでソロをやめない、とでもいう風に、ひたむきに吹きまくる。ドラムもベースもピアノもおんなじことしかしていないので(もちろんわざとだろう)、サーマンのソロイスト性が浮き彫りになる。そういう演奏だ。ある意味、マイナスワンで吹いているような感じすらする。2曲目は、4ビートのモードナンバー。これもソプラノ。ドラムめっちゃうまい。この曲も、1曲目よりははるかにメンバー感のインタープレイがあって、いわゆる「ジャズ的」な演奏ではあるが、サーマンのソプラノがただただソロを繰り広げる、という意味では共通している。3曲目は、ビートは細かいが、全体のノリはゆったりとした感じの演奏で、エレピがいろいろな要素を組み合わせたようなソロを繰り広げる。サーマンは休み。4曲目は、またサーマンのソプラノによってテーマが奏でられるモーダルな4ビートの演奏。サーマンのソロは、ソプラノから出てくるあらゆるフレーズを順番にもれなく試そうとしているかのようだ。5曲目はコード進行などがけっこうな難曲のように思われる。マイク・オズボーンがゲストに入っており、冒頭からソロをする。くにゃくにゃしたつかみどころのないソロだ。つづくサーマンのバリサクソロも自由自在というわけにはいかないようだが、オズボーンよりは説得力のある力強いソロを聴かせる。このアルバムで一番長尺の演奏だが、ちょっとダレぎみか。6曲目は、マイナーのモードっぽい曲。日本盤ライナーでは「ハード・バップ・ナンバー」となっているが、あまりそういう空気は感じられない。サーマンのソロはひたすら猛烈な勢いで吹きまくる感じの豪放かつテクニカルなもので、この直後に訪れる「ザ・トリオ」期を彷彿とさせる。アーティキュレイションも一瞬の乱れもなく、完璧だ。ドライヴ感もすごい。つづくオズボーンのソロは、やはりくにゃくにゃ、くねくねしているが、フリークトーンを飛ばしたりとかなりがんばっている。エレピのソロを経てテーマ。なかなか愛すべき作品でありました。
「THE TRIO」(BEAT GOES ON RECORDS BGOCD231)
JOHN SURMAN
名盤のほまれ高き傑作2枚組。たった3人でよくもまあこれだけのことをやってのけましたなあと感心するしかない。どの曲もハードでへヴィで濃厚で、ずっと聴いているとへとへとになる。それぐらい密度が濃い。サーマンやアラン・スキッドモアらに共通するのはコルトレーンの露骨な影響だろうが、たまにはフリーキーなブロウもするが、基本的にフリーに行かず、どれだけドラムが煽り、ベースが盛り上げても、サーマン自身はひたすらフレーズをものすごい過激さで積み上げていく。まさに灼熱の溶岩が噴出するような熱いソロで、ぐちゃぐちゃのフリーにならないところがかえって狂気を感じさせ、信じられないボルテージに登り詰めていく。このトリオがこういう表現を選んだのは、第一に、彼らが技術的にうますぎるということがあると思う。普通のミュージシャンなら、どんどん盛り上がって、これ以上はない、という表現の限界に達したとき、一種のカタルシスとしてフリーキーな演奏になっていく……というところを、彼らは、そうなることなくもっと凄いフレージングその他で表現をより積み上げられるだけの技術がある。そうできるだけの、根本的な楽器の習熟がベースにあり、しかも、ジャズとしての熱気も失わないというのがこのころのヨーロッパフリー(?)ジャズの特徴で、さっきもあげたアラン・スキッドモアやゲルト・デュデュク、マンゲルスドルフやマンフレッド・ショーフ、エンリコ・ラヴァ、ケニー・ホイーラー……といったひとたちがだいたいそういう表現法をとったのだと言ってもかまわないように思う。それを、がさっと踏み越えたのが、ブロッツマンやエヴァン・パーカー、ウィレム・ブロイカー……といった「マシンガン」組だ……というのはがさつすぎる意見だろうか(かもね)。とにかく、この2枚組は全曲あまりに濃くて凄すぎるので、ぼーっと聴いていると集中力が途切れ、途中でわけわからなくなって、全部同じに聞こえてしまう危険があるので、一日に5曲ずつぐらいにしたほうがいいのではないか。いや、1日3曲ぐらいに絞ったほうが、1曲1曲をしっかり味わえるかも……などと大きなお世話的なことを言いたくなるのも、本作でのサーマントリオがあまりに充実しているからである。よく聴くと、どの曲もバラエティにとんでおり、しかもトリオとして最大限のアレンジも施されており、(多少の)ユーモアセンスもあって、じつによくバランスのとれた17曲なのである。このあと、サーマンがECMでの諸作のような表現をとっていくのも、ヤクザなキッタハッタのインプロヴァイザーとしては、このトリオですべてを成し遂げてしまったと考えれば、自然だ。ベースもドラムも凄すぎて、すべてが小気味よいほど決まりまくる演奏ばかり。サーマンはバリトンも、ソプラノも、バスクラも全部神がかっている。右チャンネルと左チャンネルのバランスが異常なところがあるが、それさえ気にしなければなんら問題ない。傑作。