kang taehwan

「SEVEN BREATH」(NEWS ENTERTAINMENT)
KANG TAEHWAN ALTO SAXOPHONE−SOLO

 いやー、とにかくカン・テーファンをはじめて生で聴いたときはぶっとびました。それまでアルバムを聴いたこともなく、そのときのライブではじめてその演奏に接したわけだが、だからこそ衝撃が大きかった。内橋さんと芳垣さんの5デイズ(だったと思う)をビッグアップルでやるという企画があって、そのときたまたま副島さんがカン・テーファンを連れて全国ツアーをしていたので、カン・テーファン・ウィズ・内橋・芳垣というトリオを急遽しつらえたのだが、実は主催者側も内橋さんたち共演者も、誰もカン・テーファンがどういう演奏をするのか聴いたことはなかった。第一部はカン・テーファン・ソロ、第二部でトリオ、第三部は副島さんの作った映像をバックにした即興……というプログラムが決まり、とりあえずみんなで第一部のソロを聴くことになった。カンさんが椅子のうえにあぐらをかいて座り、アルトを吹きだしたのを耳にした瞬間の驚きよ。猛烈な突風が、ちんまりと座布団のうえに座ったおっさんの抱えたアルトのベルから噴き出したのだ。その突風はどんどん激しさを増し、とてもサックスから出ているとは信じがたいほどの凄まじい音量にまで高まり、ごうごうと台風のように店内を荒れ狂った。延々たるノンブレス奏法にも驚いたが、技術とかそういったこざかしいものを超えた圧倒的な即興音楽がそこにあった。いまだに、あの、エレキギターのボリュームペダルをぐうっと踏んだみたいな、サックスの限界を超えた音量変化は、自分もサックス吹きのはしくれだが、何がどうなっとるのかわからない(後日、近藤さんに、そのときカン・テーファンが忘れていったリードを見せてもらったが、真っ黒に変色するほど使い込まれていて、たぶんもう普通のサックス奏者ならとうに捨ててしまうようなよれよれ状態の柔らかーくなったものだったと思われる。ボーゼン)。私は、どっからどう聴いても、エヴァン・パーカーを徹底的に研究したとしか思えないその演奏が、パーカーとはまるで無縁の、前衛ジャズの情報が極端に少ない韓国で、彼独自の音楽観、練習法その他に基づいて「勝手に」作り上げられたと知って、驚愕というかなんちゅうか……涙が出てきそうなほどの感動を得た。第一部を聞き終えた芳垣さんと内橋さんが、「すごい!」「あんなんと共演なんかでけへんわ」と口々に言い合ったあげく、「でも……やらなしゃあないな」と呟きつつステージに向かった姿が印象に残っている。それぐらいすごかったんです。そして、それぐらい……自己完結した音楽だった。案の定、二部はいまひとつぎこちなく、というか、その後CDなどで聴くカン・テーファンと誰かの共演なるものは、たいがいさぐり合いに終始するか、カン・テーファンの一人勝ち(なにしろ相手によってスタイルをどんどん変えるというタイプの音楽ではない)に終わるかのどっちかで、ミッシェル・ドネダとの共演も、なんかそんな感じの(デュオとしては)不完全燃焼におわった観があった(でも、それはそれでドキュメントとしておもしろいのがフリーミュージックのいいとこ。唯一の例外は、カンなんとかという超美人の二鼓奏者とのデュオで、これは双子のような息のあった演奏だった)。で、何が言いたいかというと、このアルバムは、フリーインプロヴィゼイションといいつつ、エヴァン・パーカーとは微妙にちがっていて(パーカーが、ソロのときとそれ以外で、演奏形態をちがえているのを見てもわかる)、共演者を排するような演奏スタイルのカン・テーファンが、自分の音楽を文字通りとことんまでやり尽くした最高の演奏がおさめられているということだ。「モノセロス」や「シックス・オブ・ワン」にも匹敵する、いや、そういった比較が無意味な傑作である。

「KOREAN FREE MUSIC LIVE IMPROVISATION」(YEH EUM RECORDS YPDL8004)
KANG TAE HWAN

 カン・テーファンのアルバムはけっこうな枚数出ていると思うが、本作はA−1が韓国で率いていたドラム〜トランペットとのトリオによるもので、ドラムの呪術的な通奏低音やトランペットの輝かしく鋭い響きにブレンドする自身のハーモニクス、そして、きちんとしたテーマがあることなども興味深いし、A−2はパーカッション奏者高田みどりとのデュオをたっぷり聴かせる。B−1は、カン・テーファンが出現(?)したときにだれもが思った、エヴァン・パーカーとのデュエットを実現させたものだが、いつものペースのエヴァンにくらべて、カン・テーファンはやや緊張気味に聞こえる。それもまたよし。B−2のソロが結局いちばんカン・テーファンの音楽スタイルを伝えたトラックだと思う。というわけで、本作に収められている4曲はどれもカン・テーファンのさまざまな面をうまく表しており、しかもどれも興味深く、質の高い演奏ばかりで、カン・テーファンという稀代のサックス奏者〜インプロヴァイザーの入門編というか、デビュー作(だと思うんだけど)としては、異例のハイレベルの、ひじょうに適切なものができあがったなあと思う。とにかくいまだに、このひとが胡座をかいてアルトを吹くときの、あの「ボリュームペダルを踏んだような」音量がぐわああああっとあがるダイナミクスは、どういう風に演奏しているのかわからないのである。すごいひとがいるもんだよなあ。

「TOKEBI」(ビクター音楽産業 VICG8025)
KANG TAE HWAN

 この力強い音楽を聴いた喜びをどう表現すればいいのか。アルバムの1曲目(30分近い1曲目は、カン・テファンの無伴奏ソロ。2曲しか入っていない)の冒頭の、アルトサックスの中音域が太く豊饒な音色で、ずずず……と吹き鳴らされたときの感動と、それが循環呼吸のなかで次第に千変万化していき、およそアルトサックスにおいて考えられるかぎりのテクニックを駆使しつつ、そんなことをつゆ感じさせぬような呪詛のごとき延々とつづく音列に戦慄する。しかも、緩やかな音楽のようでいて、実際はものすごいスピード感と場面転換とテンションを伴っている。2曲目は、韓国的なのか、マイナーの5音階を使ったプリミティヴなテーマをカン・テファンが無伴奏で延々と吹く。それが通奏低音となり、そこへキム・ソクチュルの胡笛(ホジョク)が高音でからんでくる。音だけ聴いて判断するかぎりでは、ダブルリードの民族楽器なのだろうか。これが、かなり過激なソロで、カン・テファンの吹くベースラインとは音程的にもリズム的にもまったく関係ないような、ノイズのような、怪鳥の叫びのようなソロをぶちかます。めちゃめちゃおもろい! カン・テファンって、こんなに普通にメロディを吹くひとだったのね。しかし、そのベースライン的な演奏が途中で変化していき、個性を発揮しはじめると、演奏は別の場面へと突入する。このあたりもものすごく面白いし、盛り上がりまくる。いやー、凄いです。そこからまたカン・テファンの無伴奏ソロになり、野太く、ひび割れたような音を出したあたりから、キム・ヨンテクのパーカッション(杖鼓、チャングというらしい)が入っている。ここでのカン・テファンはまさにノイズの権化で、これだよなー、はじめて生で観たときにどうやってるのかわからなかった、人間ボリュームコントローラーみたいな音は。えげつない必殺技だ。デュエットのときはわかりにくかったが、このパーカッションのひと、ソロになったら途端にめちゃくちゃうまいことがわかった。というわけで、カン・テファンはソロ作品が最上だと思っていたら、人選次第ではこういうトリオとかもすばらしいことがよくわかった。傑作だと思います。

「I THINK SO」(IMA SHIZUOKA IMA−SSZOK−01)
KAN TAE HWAN LIVE RECORDING

 カン・テーファンの作品のなかで、これがもっとも、普段のライヴのままという気がする。よく言う「普段着」の演奏だが、もし本作ではじめてカン氏の演奏に接する人がいたら、これが普段着かよ! と驚愕するだろう。めちゃくちゃすごいし、開いた口がふさがらない。このひとはおそらく常に全力投球なので、演奏はいつもこれぐらいのクオリティを保っており、この日が突出して出来が良かったというわけでもないだろう。とにかくいつもすごいのだ。このひとはどんなときもたいへんな集中力で、真摯な演奏をする。30分を超える演奏が2つ入っているが、2つといっても、そのなかには山あり谷あり池あり海あり森あり林ありで、とんでもない即興ドラマが詰まっているから、多くの部分に区分できるし、また全体をひとつと考えることもできる。しかも、音が停滞したような即興も多いなか、このひとの演奏はジェットコースターのように転がっていくので、あっという間に聴き終えてしまう。いや、演奏に胸倉をつかまれてぐいぐいひっぱっていかれるような力強さを感じる。もしかすると本人は、非常に静謐で精神性の高い演奏をしているつもりなのかもしれないが、私には、腰を落ち着けてのんびり聴いていられないようなものすごいエネルギーと躍動感を感じる。しかも、ライナーノートによると、この2曲はどちらも作曲されたものだそうで、どこがコンポジションなのか聴いてもわからないが、おそらくそれはカン氏にしかわからないやり方があるのだろう。入手困難なのが残念な、言うまでもない傑作であります。

(別のところに書いた文章も載せておきます)

 2002年の静岡でのライヴ。いつもの、というのも変だが、ライヴで聴くこのひとの音楽というのはこうだよな、という感じに近いとは思うが、唯一、異なる点があるとしたら、たいへんメロディックなテーマというかモチーフ(?)が感じられるということだろう。コンポジションの部分がとても前面に出てきていて、はっきりとした組曲的なものがあるように思える(あくまで「思える」だけなのでちがうかもしれないけど)。カン・テーファンを聴く喜びはアルトサックスを聴く喜びであり、管楽器を聴く喜びであり、空気の振動を聴く喜びであり、その場の震えを聴く喜びであり、人間というものの凄さ・素晴らしさを聴く喜びでもある。エヴァン・パーカーもそうだが、サキソフォンという楽器から、おそらく発明者アドルフ・サックスが予想もしなかっただろうこのような驚異的な音楽を引きずり出した偉大なイノベーターに、(変な話だが)私は「2001年宇宙の旅」で猿人が空中にほうり上げた骨が宇宙船になったときのような興奮を感じるのです。とにかくいつもながらストイックな音楽であって、特殊な演奏技術と信じられない集中力、それらが肉体に及ぼす負荷などを考えると、一期一会としか言いようがない「音楽」だと思う。ミュージシャンとして、演奏しながらいいフレーズが出たり、共演者とバッチリ息が合ったとき、どうしようもなくノリノリになって昂揚したときなどに、ニヤリと笑ったり、自分の演奏を楽しんだり……そういったものとは無縁の、いらないものを削ぎ落した、ひたすら求道的な演奏だとは思うが、やはりそういうなかにこのひとなりの「ニヤリ」があるのだと信じたい。でないとしんどすぎる。カン・テーファンの演奏を聴いて、表面的にはまるで似ていないのだが、どうしても想起するのはコルトレーンであって、ストイックさが同じレベルだと思う。しかし、コルトレーンだって絶対に「ニヤリ」はあったはずですよね。傑作。

「SOREIA」(AUDIOGUY RECORDS AGCD0031)
KANG TAE WHAN

 2010年韓国録音の二枚組アルトソロ。かなり長いライナーが全部韓国語なのでなにが書いてあるのかさっぱりわからない(英文はちょっとしかなくて、ほぼプロフィールだけ)。しかし、聴いてみればわかるが、大傑作である。カン・テーファンというひとは、初期のころから同じようなソロをずーっと続けてきたように思われているかもしれないが、じつはめちゃくちゃ進化・深化しているのは本作を聴いてもはっきりとわかる。何度も生で聴いたが、とにかく聴くたびに口をあんぐりと開けてボーゼンとなってしまうので、正直、ライヴのときはきちんと聴けているのかどうか(自分が自分で)疑わしい。こうして録音されたものに接すると、なるほど……と思う。つまり、「美しい」のである。力強くて、超絶技巧で、個性の塊のような演奏であることは変わらないのだが、とにかく美しい。美しすぎるぐらいである。1曲目にそれは顕著で、まるで周到に用意されたクラシックの曲のように響く。聴いていてうっとりする。これがアルトサックス一本での演奏で、循環呼吸とハーモニクスなどによって演奏されている……ということを忘れてしまうぐらいの完璧さだ。そして、1曲目以外の曲も、トリッキーなテーマや不協和音、変なリズムなどを持った、従来どおりのものも多いのだが、それらもなぜか美しい。もともとカン・テーファンの音楽は、その場その場の即興というより、事前に入念に準備され、サーキュラーとハーモニクスをきちんと組み合わせ、ここをこういう風にしたらこういう音が出る、ということを完全に把握していて、それを圧倒的に高いレベルでそれをオーケストレイションしている……という感じに思えていた。エヴァン・パーカーも(ソロでは)そういうところがあるが、瞬間瞬間の斬りあいのような即興というより、音の細片をとてつもない技術力と集中力と構成力によって積み上げていき、巨大な建造物を作る作業なのだ。そして、カン・テーファンの作る建造物は、パーカーのそれとちがい、どんどん美しい芸術工芸品のようになっていったのかもしれない。ここまで美しいともうため息をつくしかない。積み上げられた美しい楼閣は、一見堅固のように思えるが、所詮は机上の楼閣。やがて蜃気楼のように消えてしまう。しかし、その消え去り際の一音さえも美しい。――そんなアルバムでした。傑作!

「LIVE」(FREE IMPROVISATION NETWORK RECORDS FIN CD−9301)
KANG TAE HWAN & SAINKHO NAMTCHYLAK

 カン・テーファンとサインホのデュオ……どういう演奏になるか聞くまえからわかっとるわい、という声が聞こえてきそうだが、正直、そうだとしてもこの演奏のすばらしさはゆるがない。5つの即興(そのうちふたつはそれぞれのソロ)が収められているが、カン・テーファンの音楽というのは基本的に自己完結したものなので、こういうデュオだと、完全に自分のペースで突き進み、相手がおいてきぼりになるか、相手に合わそうとするあまり無難な演奏になるか……ということも考えられ(実際そういう演奏に接したこともある)、どうなるんだろうなあと思っていると、うーん、ちょうどいい! カン・テーファンとしてはぐっと自分を抑え、少ない音数で、しかも言うべきことは言う的な演奏になっており、それが結果として、必要最小限のすごくシンプルななかで言い尽くすような、すごくいい簡潔な表現になっていると思う。どちらかというとサインホはいつものパフォーマンスだと思うが、これも(印象ですんませんが)たとえばネッド・ローゼンバーグやエヴァン・パーカーとの共演に比べるとやや抑え気味かも。というわけで、長い演奏でもまるでその長さを感じさせない、揺蕩うような心地よいものになっていて、いつものアグレッシヴで、もうお腹いっぱいですすいません、というようなへヴィなサウンドとはちょっとちがう。その分、2曲のソロではどちらも爆発していて、アルバム全体のバランスも非常にいい感じである(カン・テーファンのソロは25分近くある)。

「姜泰煥」(ちゃぷちゃぷレコード POCS−9349)
KANG TAE HWAN

 1曲目がソロ、2曲目がカンとネッド・ローゼンバーグのデュオ。3曲目がカンと大友良英とのデュオ。4曲目がソロ。5曲目が3人によるトリオという構成である。2曲のソロはいつもながら圧倒的だ。聴けば聴くほど味わいがあり、独特のメロディラインやフレーズも聞き取れ、全体を構築する意志も感じられ、非常にしっかりした「まとまり」がある。しかも、(ソロなので)駆け引きは自由で、本人の狙ったとおりの効果が演出できている。姜泰煥の真骨頂がこうしたソロにあることはまちがいないと思うが、ソロだけのひとではなく、他者と共演においてもすばらしい音楽を作り上げることもある。ただし、それは相手が姜泰煥の気に入った人、という言い方がおかしければ「共演可能なひと」の場合であって、そうでないときはけっこう露骨に自分を閉ざすような感じになる(ときもある)。もちろん本作のふたりは、そういうことにはならず、見事な交感を見せているが、(エヴァン・パーカーもそうだが)ソロのときと、それ以外とではアプローチががらりと異なる。ソロだと、さっきも書いたがある種の予定調和的な構築美を示すのに、デュオやトリオだと、相手がいるわけで、そういったものをかなぐりすてて、ひとりの即興演奏家であることを垣間見せてくれる。リスナーとしてはそのあたりが楽しい。それはソロほど完成したものではないかもしれないが、姜泰煥という音楽家のいろいろな部分を知ることができて面白い。なにしろ共演のふたりは斬り合い的な即興の達人だからね。ネッドとの演奏はたがいに自己主張をしながらの見事な協調で、感動的だ。大友さん(ターンテーブルのみ)とのデュオも、微細な音から大音量までのダイナミクスを自在に使った、精神的な部分にまで踏み込んだようなデュオで、これも手探りのようなところも含めてとても興味深い。最後のトリオはたがいにバランスを考えながらの演奏だからか、破綻や暴走がないというか、いまひとつ盛り上がらないかもしれないが、それもまたよしではないでしょうか。

「IMPROVISED MEMORIES」(TAWON ACCESS/GOOD INTERNATIONALGOOD3069)
TAEHWAN KANG/MIYEON/JECHUN PARK

 2002年の韓国録音。カン・テーファンとミヨンのピアノ、パク・チェチュンのパーカッションというトリオ。カン・テーファンというひとは、基本的にはソロのひとであって、共演者がいるとそちらに合わそうとしてしまうか、逆に共演者がなにをしようと関係なくわが道を行くか……いずれにせようまくいかないことがけっこうあるような気がする(私も二度ばかりそういうライヴに接した。あくまで私見ですが)。では、このアルバムはどうか。それが、めっちゃしっくりいってるのだ。カン・テーファンのアルトはいつもどおりまったく容赦なくびゅんびゅん吹きまくっているし、そこにピアノとパーカッションがうまい具合にカウンターを入れたり、支えたりして、見事に溶け合っている。これはどういうことだろう。思うに、このアルバムにおけるトリオは、いわゆるトライアングルではなく、カン・テーファンがやや突出した感じのバランスになっていて、アルトは存分に徹底的に吹いて、それにあとのふたりが合わせるというかバックアップするような形なのではないか。これは実力差とかそういうことではなく、カン・テーファンの音楽性をそこなうことなく押し出すための選択なのだと思う。結果としてものすごくすばらしい音楽ができあがっている。さっきも書いたが、これは私見なので、実際にはそうではないのかもしれないが、聴いた印象としてはそんな感じです。傑作。