「ORNETTE COLEMAN ANTHOLOGY」(INTAKT RECORDS CD129)
AKI TAKASE−SILKE EBERHARD
高瀬アキのピアノとシルケ・エバーハルト(と読むのか?)のクラリネットのデュオによる、全編オーネット・コールマンの曲ばかりを演奏した二枚組(高瀬のオーネットへのデディケイト作も含むが)。その名も「オーネット・コールマン・アンソロジー」。おそらく傑作だろう、と思って購入したら、やはり傑作でした。それも大傑作。全33曲。こうしてあらためて並べて聴いてみると、オーネットの作曲家としての凄みを再確認できる。もちろん、高瀬とエバーハルトの技量をあってのことだが、それにしてもこれだけずらずら並べあげても、オーネットの曲は聴いて飽きないし、かぶりがない。並々ならぬ作曲能力である。サックスでなく、クラリネットとのデュオである、という点も、コンポーザー・オーネットの個性が結果的に際だつ結果になっており、高瀬アキの着眼点の秀逸さを思い知る。ぐちゃぐちゃのフリーに突入する曲はあんがい少なく、もしかしたら一般のジャズファンも十分楽しめる作品となっているのかもしれない。とにかく私はものすごく気に入りました。もっともっと話題になってもいいのに。これこそ「ジャズ」ですよね、ちがう?
「SOMETHING SWEET,SOMETHING TENDER」(ENJA CD9188)
AKI TAKASE
いやー、ピアノソロということで恐れをなしていたが、聴いてみたらめちゃめちゃよかった。膨大な蓄積と強烈な技術が、フリージャズというフィルターを通して、演奏に徹底的に奉仕しており、その結果、凄まじいことになっている。聴いて感じるのは、音楽性や前進意欲はもちろんだが、いちばん「おおっ」と思うのは、その衰えをしらないパワフルなタッチであって、ここまではっきりした力強さをリスナーに与えるには、単なる力任せではなくて、心に「躊躇」があっては伝わらないだろう。おそらく高瀬アキはこのアルバムの演奏をするに際して、絶対的な自信をもって吹き込んだにちがいない。よしんば、ある種のためらいや恐れ、迷いがあったとしても、ピアノの前に座ったときには、それらを完全に払拭してから演奏に入ったと思われる。あまりにシリアスな音楽なのに、一曲目の冒頭の一音のテンションを浴びてしまったら最後、ラストの「蛍の光」まで一直線に聴き入ってしまう。そんなパワーと深さの同居した傑作。
「THE DESSERT」(LEO RECORDS CDLR370)
AKI TAKASE/RUDI MAHALL
ほんとにすばらしいアルバムを聴いたときは、なーんにも書くことがないなあ。書けば書くほど、音楽が手の指の間からこぼれていくような気がする。高瀬アキとルディ_マハールは相手がリーダーのときは自分がサイドにまわり……というぐらいにしょっちゅう一緒に演奏している仲だが、この超ユニークピアニストとバスクラ吹きの相性のよさは毎度のことながら驚く。明らかにマハールはドルフィーの影響を受けていると思うが、とにかくすばらしい作曲、すばらしいインプロヴィゼイション、すばらしいインタープレイが珠玉の演奏となって展開し、ここにぎゅーーーーーーっと収められている。それを可能にしているのは、ふたりのもつ類い希な演奏技術とリズム感、そして互いを聴きあえる耳の良さと反応力なわけだが、そういったことが些末に思えてくるほど、このふたりのデュオはすばらしい。ライナー(詩?)をアレキサンダー・フォン・シュリッペンバッハが書いている。
「LIVE AT WILLISAU JAZZ FESTIVAL」(JAZZ WERKSTATT049)
AKI AND GOOD BOYS
スイスでのライヴ。高瀬アキがリーダーになって若手を集めた、という感じのグループだが、コンポジションがしっかりしていて(ルディ・マハールの曲も半分近くあり、彼がこのバンドにおいて重要な役割であることがわかる)、全員が緊密なコラボレーションをしていることがよくわかる。サウンドは、もろ「ジャズ」であって、フリーというより、ジャズ。モンクやドルフィーを感じさせる、ああいった「ひねくりまわした」ようなシニカルな作曲を、メンバーがシリアスにソロを重ねてつむいでいく。やはり、なんといってもバスクラのルディ・マハールがかっこよくて、このひとのバスクラは独特の音だなあ、アルトのようでもあり、ソプラノのようでもあり、もちろんクラリネットのようでもあり、そしてバスクラそのものでもある。めちゃめちゃうまい。そして、もうひとりの管、トビアス・デリウスのテナーもすばらしい。キラキラした金属的なサウンドは、太くて重厚で、生で一度聴いたときのことを思い出す。テクニックもすごいひとなので、モーダルなものからブロッツマン的なフリーまでどんな演奏もできるが、ここではルディとともに、知的かつ豪快なフレーズを吹いている。御大(?)高瀬アキのピアノはさすがで、聞き惚れる。夜中に外出しているときにヘッドホンで聴いていたのだが、家に帰ってからもう一度聴いた。ノンシャランなようで、じつは溶鉱炉のようにどろどろと熱く煮えたぎっている……そんなところが聞き物のアルバム。めっちゃ普通のジャズもあってびっくりした。
「EVERGREEN」(INTACT RECORDS INTACT CD 152)
AKI TAKASE/RUDI MAHALL
もう楽しみで楽しみで、届くのが待ちきれない思いをしたアルバムだが、聴いてみて、その期待はまったく裏切られなかった。このふたりのデュオは鉄壁だ。ルディ・マハールと高瀬アキのふたりが、オリジナルではなく、有名なスタンダードばかりを演奏しているのだが、さすがに一筋縄ではいかぬ演奏ではあるが、パロディというか妙にひねった、という感じは一切なく、ごく自然にバスクラとピアノが、彼らの資質を素直に出して、いい音楽をいい解釈で演奏しました、というストレートかつ楽しく、おもしろく、かっこいい演奏が詰まっていて、ほんと何度聴いても飽きない。こういうのが「珠玉」ということなんだよなあ、としみじみ思いながら、焼酎を飲みつつ、今夜も聴くのです。なにしろ選曲が「ムード・インディゴ」ではじまり、「アイル・リメンバー・エイプリル」「ティ・フォー・トゥー」「あなたと夜と音楽と」「クレオパトラの夢」「トゥー・スリーピー・ピープル(この曲、めっちゃ好き。とくにファッツ・ワーラーのバージョン)」、「グッド・ベイト」「イッツ・オンリー・ア・ペイパー・ムーン」etc……なのだから、もう美味しいことは保証付き。このアルバムの発売記念ツアーで来日するらしいが、どうも行けそうにもない場所ばかり。近所のひとがうらやましいです。
「ORIENTAL EXPRESS」(OMAGATOKI SC−7109)
THE TAKASE AKI SEPTET
ミンガスやドルフィーの音楽をうまく咀嚼してアンサンブル化し、個々のメンバーの個性的なソロでそれを分割して表現しているみたいな気がする。すごく狙いが露骨というかバーンとはっきりしているので、わかりやすく、パワーもストレートに感じられる。名盤だと思う。とくに板谷博の奔放かつ押さえるべきところは押さえた、圧倒的な音圧でのブロウは最高で、何度も何度も繰り返し聴いた。そして、聴けば聴くほど逆に悲しくなっていくのだ。音楽というのは不思議だ。
「BEAUTY IS THE THING」(DOUBTMUSIC DMF141)
KANON
このかっこよさをどう表現すればいいのか(べつに表現しなくてもいいんだけど)。いわゆるフリージャズやフリーインプロヴィゼイションをやりつくした3人が、そういうある意味手あかのついた、やりなれてしまった、こっちも聞き慣れてしまったはずの表現をすっかり新鮮で斬新でいきいきしたものにひっくり返してみせた、というすごいアルバムだと思う。30分を超える一曲目で三人それぞれの個性が爆発し、それがブレンドしてひとつのうねりを作り出す。大河ドラマのような、いや、ちょっとちがうな、何幕もあるオペラのようなドラマチックな展開で、何回か終止感があって、そこからまたちがう演奏がはじまる。一種の即興組曲みたいなものかも。演奏全体を「美しさ」が貫いている。ノイズっぽい音やダーティな音が出現しても、美しさは保たれている(いや、それによって倍加している)。たとえば17分過ぎぐらいからはじまるピアノ主体の演奏に、あとのふたりがからんでいくあたりの緊張感とワクワク感はハンパない。録音もよくて、3人がなにをやってるのかよくわかるのもよい。内橋和久はあくまでエレクトリックなノイズっぽい即興(今回、かなり渋いが、押さえるところは押さえ、出るところは出ていて、もう惚れます)、アクセル・ドナーはここではアコースティックでジャズっぽい(というかジャズの、と言い切ってしまってもいいかも。このひとの音量変化によるダイナミクスのつけかたはほんとうにかっこいい)即興、高瀬アキは基本はアコースティックでジャズっぽいがクラシックや現代音楽の匂いもする(ピアノという楽器の化身のように思えてくる)……みたいな感じになっている。本当はなんでもどんな演奏でもできる彼らなのだが、このグループにおいては、それぞれの立ち位置というかカラーをある程度決めているようにも思える。そのカラーは、まったくちがう、融解しそうにない3色で、ちょっと聴くと衝突してしまうような三者のこのバンドでの方法が、たがいに得意技を出しまくっているにもかかわらず、しっかり手を握りあった、かっこよすぎる音楽を作りだしているというのは、3人がきっと「このメンバーならうまくいく」と思ったんだろうなー。音楽とは不思議なもんだなー。3人が、それぞれの音楽的言語を通じて、決してひとつに溶け合わずに(悪い意味ではありません)、はっきりと3人の音が確認できる状態で重なり合って、万華鏡が回すに連れていい場面を刻々作っていくようにどんどん変化していき、新しい場面がつぎつぎ訪れる……そんな印象です。なにを言ってるのかわからん? はい、私にもわかりません。悪いか。とにかく気に入ったのだ。リズムがみんなしっかりしていて、ドラムやパーカッションがいないのに、それぞれが「リズムを武器としてぶつけてくる」みたいな感じなのだ。なにを言ってるのかまたわからん? うーん、これはわかってもらえると思ったのだが。なにしろ3人とも「リズム」がすごいのである。それも、相手のリズムに乗る、というより、俺のリズムに乗れ、といって提示してくるみたいな。そして、3人ともアイデアが明確でシンプルで、「間」の魔術師でもある。ライナーもなにもないので、予備知識なく聴いたひとはとまどうかもしれないが、これは、だれが聴いてもとまどうことのないタイプの音楽なので、まったく問題ありません。2曲目はユーモアのあるピアノと内橋さんのデュオではじまる。こどもがたわむれているような演奏で、ピアノは練習曲をずっと弾いているような、内橋さんはずっとこどもがひとりでいちびっているような、そこになぜかハードでリアルなトランペットが登場して即興が転がっていく。3人がそれぞれにからんでいるような、ひとりずつかってにやっているような、でも、じつはめちゃめちゃ深くからんでいるような……そんなふわふわした、そしてクールな演奏が、最後にはとんでもないところに行き着く。3曲目はギターとトランペットのリアルトーンでのデュオにはじまり、ピアノが加わっていくストレートアヘッドなアコースティック即興。深く深く沈み込んでいくような奥行きがある。4曲目はエレクトロニクスが使われているが、印象としてはアコースティックな、力強くすがすがしい演奏。全部で1時間もある即興音絵巻。心が疲れたときにまた聴こう。3者対等のアルバムだと思うが、便宜上高瀬アキの項に入れました。
「SO LONG,ERIC! HOMAGE TO ERIC DOLPHY」(INTAKT RECORDS INTAKT CD 239)
AKI TAKASE−ALEXANDER VON SCHLIPPENBACH
これまでもドルフィーを視野に入れた作品を発表している高瀬アキとシュリッペンバッハだが、本作はかなりストレートなドルフィーへのトリビュート作品である。メンバーが凄くて、高瀬アキ〜シュリッペンバッハの2ピアノに、カール・ベルガーのヴィブラホン、ルディ・マハールのバスクラ、トビアス・デリウスのテナー、アクセル・ドナーのトランペット、ハン・ベニンクのドラム……など列挙するだけでうれしくなってくるメンバー。全曲ドルフィーのオリジナルで、それを高瀬アキとシュリッペンバッハがアレンジしているわけだが、彼らがこれまで行ってきたドルフィーへのトリビュートの決定盤的なものだろうと思う。だからこそちょっと考えてみたいのだが、ドルフィーというミュージシャンにはさまざまな顔があり、そのひとつがコンポジション〜アレンジであり、もうひとつがソロ能力だと思うが、ドルフィーのソロというのはまさに破壊力抜群で、どんなバンドに加わっても彼のソロになると時空が歪み、大地が震撼し、天が崩れるほどの凄まじく圧倒的な表現力を見せつけられた。しかし、コンポジション〜アレンジ力については、彼がリーダーのバンドにおいてのみ発揮されたものであり、しかもその最高の結実は「アウト・トゥ・ランチ」であることは衆目が一致すると思うが、メンバー全員がドルフィの意図を完璧に理解して、その達成に向けて一丸となっているのはあれ一作かもしれない。ほかは、まだまだドルフィを理解できていないメンバーが若干名いるなかで、ドルフィーが必死にがんばる……というものも多かったのではないか。そう考えると、ドルフィーの音楽を今に……というプロジェクトにおいては、実際は「ドルフィーのコンポジションを今に」という感じのものが多いと思われるが、ドルフィーのソロを今に受け継ぐ……というものはあまり見られないと思う。なかには本当にドルフィーの影響をもろに受けて、トリビュートアルバムを作り、ドルフィー的なソロに挑戦しているひともいないではないが、どうしても「真似」に聞こえてしまうので、なかなかむずかしいのだろう。ソロを真似ることはなく、ドルフィーの精神を受け継ぐことが重要なのだ、ということだろうか。でも、コルトレーンにしろパーカーにしろ、その「ソロスタイル」やフレーズのひとつひとつを皆継承して影響をつなげていったわけで、ドルフィーほどの超スタイリストでオリジナルなソロイストのソロがクローズアップされないのは不思議だ。バスクラについては、とても似ているひとがいっぱいいるのだが、アルトのあの跳躍しまくるフレーズは、パロディっぽく聴こえてしまうからなのかなあ……。というわけで、本作もドルフィーのコンポジションにスポットライトを当てた作品だが、じつはドルフィーのコンポジションを取り上げることで、(ソロも含めた)ドルフィーの音楽そのものへのトリビュートになっているのは、これはほかのドルフィートリビュート作品も同じで、その理由は(あたりまえだが)ドルフィののコンポジションとソロは切っても切れない関係にあり、作曲のなかにドルフィー的要素が詰まっているからなのだ。と、すごくあたりまえのことをぐだぐだ書いたのにはわけがあって、ここに集うキラボシのようなソロイストのなかで、ひとりとしてドルフィーライクなソロをするひとはいない。それなのに全体として ドルフィーの音楽に聞こえる。ソロイストが自分のオリジナリティにこだわったソロをすればするほど全体のドルフィー感が際立つというのは、コルトレーンやパーカーにはあまり感じられないことなのだ。というわけで、コンサートのライヴ録音だという本作を聴いてみると、1曲目は「レス」は、ヘンリク・ワルスドルフのアルトを中心にしたアンサンブルではじまるが、ワルスドルフのアルトソロは実に「アルト!」という感じのきっちりしたソロですばらしい。そのあとマハールのブレイク多用のバスクラソロに続き、シュリッペンバッハの短いピアノソロにベースソロ→テーマ。という一曲目としては、全体の顔見せ的な内容か。2曲目は「ハット・アンド・ベアード」。痙攣するような重いピアノの打鍵のなかからおなじみのベースラインが浮かび上がり、それをバスクラとトロンボーンが引き継ぐ。やはりドルフィーの曲はかっこいい。カール・ベルガーの硬質なヴァイブがドラムとともにすごくいい味を出している。トロンボーンとドナーのトランペットが高音と低音で絡み合うよヴなソロ。全員消えて高瀬のピアノとマハールのバスクラのデュオになり、テンポがゆっくりになって、また元のテンポでのテーマに戻り、一種の集団即興のようになってまたテーマ。ベースふたりの弓弾きが延々フィーチュアされ、第二のベースラインが浮かび上がって、またテーマ……という、なかなか構造的にもかっこいいアレンジ。3曲目は「ザ・プロフェット」で、マハールとドナーとトビアスがフィーチュアされたあと、トロンボーンのニルス・ウォグラムの朗々たる無伴奏ソロがたっぷりと聴ける。エンディングもすばらしい。4曲目は「17ウエスト」で、高瀬アキとルディ・マハールのデュオ。このふたりはしょっちゅうやってるような気がするが、手垢がつくことなく瑞々しい演奏。こういうコンサートには、さまざまな組み合わせがあったほうが風が変わっていいよね。それにしても上手いな、マハールは。5曲目「シレーネ」は、管楽器5人だけによるアンサンブル。これもチェンジ・オブ・ペース。まるでエリントンのような深くてゴスペル的なサウンド。マハールすばらしい。6曲目「ミス・アン」は、大勢でやるのでテーマの疾走感が若干削がれているような気もするが、重いピアノのイントロに導かれるようにしてこの弾けるテーマが出てくるとやはり「うわっ」となる。マハールのソロ(やっぱりドルフィーには一番似てるな)のあと、トビアス・デリウスの、ちょっと片山さんを連想させるような、いい感じのソロ。このひとは生で見たときもこんな感じだったなあ。硬質な音で、一音一音のパッションがすごい。ピアノが爆発し、アルトとドラムのデュオになる。かなりフリーな演奏になるが、そこからテーマ。7曲目は「サムシング・スイート、サムシング・テンダー」。高瀬アキのピアノのあとに出てくるテーマは、いかにもビッグバンドジャズといった感じのアレンジ。ベルガーのヴァイブも、またまたええ感じのクールネス。ドナーのトランペットも、ジャズ的なリリシズムあふれるソロをする。8曲目「アウト・ゼア」は最初ずっとシュリッペンバッハのソロピアノ。そこにアルトとリズムセクションが加わってテーマ。カルテットによる演奏になり、ワルスドルフがリズムを崩さず、フリーキーにもならず、絶妙のクールさを保ったソロ。シュリッペンバッハのソロのあと、ボルギーニのベースソロ。ここで拍手が来る。ラストを飾るのは「アウト・トゥ・ランチ」。ベニンクのすばらしい表現力のあるソロではじまり、それがマーチングになり、テーマへと突入。全員によるフリーインプロヴィゼイション。そこからトロンボーンが暴走ぎみに飛び出してくる。つぎに出てくるのはアレックス・ドナー。さまざまな音色を引き出しつつ、ドラムとのデュオでめちゃくちゃやってくれる。そのつぎはルディ・マハール。これもまた、フラジオの高音をキイキイ言わせるのを中心にしたアグレッシヴなソロ。そして、トビアス・デリウスの豪快なテナーソロ。……というようなソロ回し感もある曲なのだった。というわけで本作はとにかく意欲作である事は間違いないが、シュリッペンバッハ〜高瀬アキの長年のドルフィー研究(そう言いきってもいいだろう)が理想的な形で結実したアルバムだと思う。双頭リーダー作だと思うが、便宜上高瀬アキの項に入れた。
「CHERRY SAKURA」(INTAKT CD 278)
AKI TAKASE DAVID MURRAY
あの傑作「ブルー・モンク」以来23年ぶりのデュオだそうである。「ブルー・モンク」はとにかく選曲の妙というか、選曲自体が主張している感じだったが、本作は「レッツ・クール・ワン」をやっている以外は全部高瀬アキかマレイのオリジナルで固めており、これはもしかしたらたいへんな意欲作ではないかと思って聴いた。私が予想していたのは、かなり緊張感のある雰囲気でのデュオだったのだが、意外にもリラックスした演奏だった。高瀬アキはコンポジションもピアノもさすがの凄さで、リズムといい、テナーへの反応といい、ルディ・マハールとのデュオでもみせる「管楽器とのデュオ」というフォーマットでの輝きがここにもある。一方のマレイは、うーん……曲はいい曲ばっかりなのだが、あれだけ押し付けがましいほど鳴っていた音の張りがなく、高音でピーピーならす感じのフラジオもいまいちパワーがない。これは年齢的なものなのか。だとしたら寂しい。これを抑制された表現と考えることもできるが、音数と圧倒的な鳴りとパワーで吹きまくってきたマレイなので、ちょっと物足りないかもしれない。だが、その「細かいことは気にしない」的な傍若無人な吹き方が賛否がわかれていたわけで、こういう演奏は評価が逆に高まるかもしれない。しかも、なんやかんやといっても百戦錬磨のひとなので、衰えを表現力でカバーしており、クオリティは高い。マレイの近作を聴けば、これがこのアルバムだけの方法論なのかそれともそうではないのかがわかるだろう。ジャケットも美しい。
「DUET FOR ERIC DOLPHY」(ENJA & YELLOWBIRD RCORDS)
AKI TAKASE RUDI MAHALL
傑作としか言いようがない。ルディ・マハールはずいぶん昔から好きで、名前を見ると聴かざるをえない、という感じだが、それがいったいいつからなのかがどうしても思い出せない。このひととの出会いはいったいいつだったのでしょう。あるとき、そのマハールが高瀬アキさんのお気に入りだと知り、さもありなんと思った。本作は、その高瀬〜マハールのつながりとしては最初期にあたるアルバムだが、この時点でもう完璧なコラボレーションができあがっている感じですごい。しかも、取り上げるのがドルフィーの曲、ということで、そのコラボがギューーーーッと集中力を増している感じがする。どの曲も(14曲中、1曲がスタンダードで、3曲が高瀬アキの曲で、残り10曲がドルフィーの曲)ドルフィー好きにはおなじみ、というか、身に染みてよく知っている曲ばかりだろうが、たとえば1曲目の「17 WEST」は3分半しかないのだが、このバスクラリネットはマハール当人が意識しているかどうかわからないが、とにかく強烈にドルフィーを感じさせる。ドルフィーをかんじさせるだけでなく、ルディ・マハール自身をも強く感じさせるので、聴いている我々は安堵するのだ。我々はドルフィーの模倣を聴きたいわけではなく、現代におけるドルフィーの「エコー」が聴きたいのだから。高瀬アキによる強烈なリズムが一見この演奏の主導権を握っているように聞こえるが、じつはこれは完全に対等なデュオであって、ソロ+伴奏……という図式では成立しないぐらい両者がぐいぐいと食い込み合っている。主役がいて、それをサラリと伴奏する……みたいな演奏とは一番遠い、ふたりのミュージシャンがいて、からみあい、刺激し合い、ひとつの高見を目指して進んで行こうという強い意志を感じる演奏。楽器の特性もあって、高瀬アキのピアノはひとりで弾く場面も多いのだが、そのときですら「デュエット」を感じさせる。マハールのバスクラは音程などは完璧だが、音色はときに荒々しく、またサブトーンを交えたりして自在である。こうして俯瞰してみると、ドルフィーの曲は「神域」ではなく、誤解を承知で言うと、決して恐れるに足らない、後進が素材としてこういう風に取り上げて加工することができるものだ、ということがわかるが(それだけの強靭さ、オリジナリティとともに普遍性を持っている)、それはこのふたりがこうしてドルフィーの曲に大きく踏み込んだからだと思う。4曲目は唯一のスタンダードで、さらりと演奏されるので、あまり目立たないが、ここにこの洒落た小唄が挿入されることにはなにか意味があるのだろう。最後は(決めてあったのかそうでないのか)ビートがぐーっと遅くなり、見事に着地。すばらしい。6曲目は高瀬アキの曲で軽妙なブルース。10曲目も高瀬の曲だが、タイトルから考えるとミシャ・メンゲルベルグへの捧げものだろうか。12曲目もモンクの「ルビー・マイ・ディア」をもじった「ルディ・マイ・ビアー!」という変態的な譜割りの曲だが、要するに3拍子系なのか? 名曲だと思います。こういった高瀬のオリジナル4曲が、なんの違和感もなくドルフィーショウケースに入っている、ということはこのふたりの音楽性が……云々という話になるのだが、そういうことは評論家に任せて、ひたすらこのアルバムをなんどもなんどもなんどもなんども聴き返したい。実際、今回、久しぶりに聞き直してそうしたのだが、ただただ楽しいだけだった。めちゃくちゃ傑作であります。ラストの「ミス・アン」は本当に、聴いたらピシーッと目が覚める感じのすばらしい演奏だ。こういう演奏に「グルーヴ」という言葉を使うのは変かもしれないが、そう言いたくなるような前衛+ノリノリの演奏。必聴であります。
「BLUE MONK」(ENJA & YELLOWBIRD RECORDS CDSOL−46433)
AKI TAKASE−DAVID MURRAY
91年という時点のマレイがこれだけすばらしい演奏ができたということはちょっと感動的であります。ちょうど、企画はよくてもマレイ自身がワンパターンの演奏ばかりしているアルバムを大量に連発していたころで、そういうときにこのようなすばらしい内容のアルバムが作れた、ということは、正直、複雑な気持ちである。しかし、とにかく本作はめちゃくちゃいい。テナーとバスクラの音色といい、フレージングといい、リズムといい、モンクの、いや文句のつけようがない。1曲目の「ブルー・モンク」(めちゃ短い)からこちらの期待の斜め上をいかれる。マレイがテナーではなくバスクラで、しかも完璧な演奏である。もうテーマの吹き方からして聴いていてよだれがこぼれるような細部にわたってすばらしい演奏なのである。この1曲目でノックアウトされてしまったので、あとはへろへろと聞くだけだが、とにかく何回聴いてもいいですね。やはり高瀬アキとのデュオというのが重要だったのだろうか。まあ、いろいろ理屈をこねてもしかたないが、本作がマレイと高瀬アキ両者の代表作のひとつであることはまちがいないと思う。モンクの曲(4曲)はどれもよいが(とくに「ブライト・ミシシッピ」という曲)、ブギウギピアノのトレインピースを思わせる高瀬アキのオリジナル「プレストV.H.」、マレイの愛奏曲でもある「ボディ・アンド・ソウル」、ストライドピアノ的な曲調の「エリントニア」(ふたりの共作だそうです。ここでのマレイのバスクラはほんとに珠玉)、「ミスター・ジェリー・ロード」というのはジェリー・ロール・モートンの曲だそうです。9曲目はなんと「回想」。皆さん、あの「回想」ですよ! でも、これは内緒だが、テナーの音域の問題か、マレイの吹き方のせいか、林さんが切々と吹くときのような「あの感じ」はないなあ。本作の出来があまりによかったからなのか25年後にこのふたりは「チェリー・サクラ」というデュオアルバムを吹き込み、世間的にはかなりの高評価だったが、私にはなぜか響きませんでした。本作はとにかく傑作!
「ELLINGTON」(ENJA AND YELLOWBIRD RECORDS CDSOL−46481)
AKI TAKASE−DANIEL ERDMANN
とんでもない傑作でした! 高瀬アキとテナー、ソプラノのダニエル・エルトマンのデュオ。高瀬アキが相方に選ぶ管楽器奏者はルディ・マハールにしてもデヴィッド・マレイにしても、きっちりと楽器を鳴らすことができ、さまざまなジャズの用語にも通じており、アーティキュレイションも自在に操れるようなひとが多いような気がするが、このダニエル・エルトマンもそんな感じで、とにかく上手いので聴いていて気持ちがいい。ゲバルト・ウルマンにも師事し、高瀬アキの生徒でもあったひとだそうで、田中英俊氏のライナーノートにはそのあたりのことやコロナ禍のもとで練習や演奏活動に苦労した話などが書かれているので、ご一読をおすすめします。このデュエットによントン曲集。ジャズミュージシャンならだれでも一度はやりたいと思うような気がするエリントンナンバー集。高瀬アキはこれまで、モンク集、ドルフィー集、オーネット・コールマン集、ファッツ・ウォーラー集……などといった、ひとりのミュージシャンの作品を取り上げたアルバムを発表しているが、それらは管楽器とのデュオの形をとっているものが多いのは、たぶんそういうシンプルな編成にするほうが曲の個性みたいなものが浮る録音は「イズント・イット・ロマンチック?」に続く二作目で、今回はデューク・エリかび上がるからだろうか。そして、高瀬アキが組む管楽器奏者は、これはうまく言えないが、なんとなくよく似た資質のひとが多いような気がする。ルディ・マハール、シルク・エバーハード、ルイ・スクラヴィス……そしてデヴィッド・マレイにもそういう共通点を感じる。箇条書きにすると、
・音色(芯があるが重くない。どちらかというと軽くさえ感じる。でも、楽器は鳴りまくっている)
・アーティキュレイションばっちりで、それだけでも表現できる
・いわゆる伝統的なジャズをきっちりこなせるが、それをふまえて独特の切り口のアプローチをする
・フリーキーにならない(フリージャズ的なスクリーム、ノイズ的奏法をあまり使わない)
・スウィングする演奏もするが、思索的なソロをする
みたいな感じでしょうか(まあ、勝手な印象ですが)。本作での相方であるダニエル・エルンストにも当てはまるような気がするが、正直、そういうタイプのサックスは私は大好きです。
1曲目は「イン・ア・センチメンタル・ムーン」という高瀬アキの曲で、タイトルからわかるように「イン・ア・センチメンタル・ムード」を意識した曲らしいが、雰囲気はまったく違う。フリーな感じのソプラノではじまり、幻想的な感じに終始する。ラストのテーマまえで、またリズムがフリーになってのデュエット部分のからみはすばらしい。そして、最後の最後にある趣向で締めくくられる。かっこいい。2曲目は「パーディド」だが、ほぼ片りんもないようなアレンジになっていて、これも大成功。リズムもメロディも新しく作り直されているのだが、そのなかに「ああ、パーディドだ」というようなものを匂わせるような手法。3曲目はテナーの無伴奏ソロからはじまる「プレリュード・トゥ・ア・キッス」。ピアノが入ってテーマになってからは、高瀬アキの甘美だが毒も感じさせるピアノが活躍する。4曲目は「キャラバン」で、これもテーマをバラバラに解体してあり、めちゃくちゃむずかしいアレンジになっているが、ふたりの演奏は余裕を感じられる。そして、フリーな感じになるが、テナーは現代ジャズっぽいフレーズ、オールドジャズ的なフレーズ、フリージャズ的な自由なフレーズを使いこなして吹きまくる。いかにも、「今のテナー」という感じ。そして、最後はしっかり「キャラバン」なのだった。5曲目は「イン・ナ・メロートーン〜ドント・ゲッテ・アラウンド・マッチ・エニ・モア」となっているのでメドレーかと思いきや、これがこの2曲を混ぜ合わせたようなアレンジになっていて驚く。演奏はそういう洒落っ気を反映したようなラプソディックな雰囲気で楽しい。高瀬のピアノもガンガン行く。6曲目はエルトマンのオリジナルで、なんともいえない個性的なテーマの曲。そのあとテンポが変わってピアノとのリズミックなからみを強調した第二のテーマが現れ、ピアノが低音のスケールを上がったり下りたりするうえをテナーが激しくブロウする。このあたりの手に汗握るスリルはすばらしい。高瀬アキもエルンストも本当に自分の音楽性と技術をはっきりと押し出しながらからみまくる。本作の白眉かも。7曲目は「アフリカン・フラワー」で、ちょっと聴くと変拍子みたいな感じのピアノのアレンジになっていて、めちゃくちゃいい。エルンストのソプラノもいいし、千変万化する高瀬のピアノも最高です。ピアノのカデンツァ(?)も超かっこいい。ピアノソロの最後に「あの曲」のテーマが奏でられてびっくり。そう言われてみれば、この曲のアレンジはそのメロディを誘発(?)する感じになっている。8曲目もエリントンの曲らしいが全然知らん。スウィングするテンポ〜アレンジで、本作中いちばんストレートなジャズ的な演奏かも。9曲目は「カム・サンディ」で、ピアノソロによる演奏で、少ない音数での淡々としたなかに絶妙な美を感じさせる。最後にエルンストのソプラノが登場し、これも淡々とピアノに寄り添いながら独自の歌を歌う。いいですねー。10曲目は「コットン・テイル」でこれもひとひねりしたアレンジ。原曲のイメージとはまるで違う、壮大な大河の流れを連想するようなテーマ。ハープシコードみたいなキラキラした音はオーバーダビングか? 最後までその雰囲気で押し切る。「コットン・テイル」のメロはほんの少し、知ってるひとにはうっすら感じる程度で、これもまたすごい。11曲目はこれも知らない曲かと思ったが、テーマを聴くとなんか聞いたことがあるような気がする。すごくいい曲です。エルンストはソプラノで、スウィングジャズのパロディのような演奏にも聞こえる。最後にふたりが歌を歌ったりするあたりにもそういう遊びの精神が感じられていいですね。ラストは「デューク・エリントンズ・サウンド・オブ・ラヴ」で、もちろんミンガスの曲である。このエリントンの曲でない、エリントンにミンガスが捧げた曲をこのふたりがエリントンに捧げたアルバムの最後に演奏する……という趣向はすばらしく、ひねりもなく、諧謔的な部分も、トゲも針もなく、ただ素直に演奏しているだけなのだが、ふたりの音楽性がよく出た最高の締めくくりになっている。どの曲も全編、アレンジと即興が完全に融合しており、一曲一曲は短いのだが、濃密で凝縮されているので堪能できるし、しかも、その濃密さを感じさせない軽さも兼ね備えていて、ほんとにいいアルバムだと思う。変に「エリントンの曲ばかりやりましたよ。エリントンの精神を受け継いでますよ」と言い立てるところがないのがかえっていいと思う。これはこのふたりの音楽であり、その向こうにうっすらとエリントンが見える……という感じが好ましい。今ごろ、このふたりは来日してライヴをしているはずなので、生で聴けるひとがひたすらうらやましい傑作!