「LIVE AT THE VILLAGE VANGUARD」(SOLID STATE TOCJ−50045 SS18016)
THAD JONES−MEL LEWIS ORCHESTRA
本作なんかは、サドメル信者にとっては神と思われてるんだろうな。私も、学生時代にこのアルバムに入っている曲を何曲か演奏したことがあって、そのときにはしつこく聴いたが、それ以来、ジャズ喫茶でかかってるときに聴くぐらいで、サドメルに関してはまったくよい聴き手ではない。「プレゼンティング」がいちばん好きだが、おそらく世間的には本作がいちばん知られているのではないかと思う(たぶん、全曲、学生ビッグバンドのレパートリーとして譜面が出回ってるはず)。正直、ビッグバンドにおける矛盾というものがあって、
・ソロスペースが短すぎ、アレンジ過多で、ジャズとしてはどうか。
・だから、ソロはソロイストに好き勝手にやらせてみました。
・すると、どうしてもダレるときがある。
・ダレをごまかす、いや、解消するためにいろいろやってみたけど……うーん……。
というのが近年の、「ジャズ的に真摯な」ビッグバンドの通る道だと思う。名盤、傑作として知られている本盤においても「ダレ」はいかんともしがたい。しかし、そこはライヴならではの熱気とか、熟練のソロイストの技とか、リフをいれたり……といった工夫で乗り切っているのだ。そういう意味で、サドメルというのは、たしかにあくまで「ジャズであろうとした」グループだなあと思う。大所帯のビッグバンドをちゃんと音楽的に聴かせようという思いと、ジャズ的即興的に真摯でありたいという思い……本作はそういった矛盾をはらんだハードバップ期ビッグバンドの最高傑作なのである。ベイシーのように、何コーラスと決めて、いいフレーズが出なかったら、つぎの展開へ……というならわかる。敏子タバキンのように、スタジオミュージシャンとしても一流のメンバーを集めて、ダレるなんてありえない、プロなんだから、コーラス数決まってるなら、ここで盛り上げてここで落とす的な起承転結まで考えてちゃんと吹きなさいよ、というやりかたもわかる。サドメルとかギル・エヴァンスというのは、コンボの良さと大編成の良さを両方取り入れようというぜいたくな試みだが、正直言って、さっきも書いたように、いいフレーズが出なかったり、空回りしたりする瞬間がある。しかし、そういう瞬間も含めての「ジャズ」ではないか。いいソロだけを編集してつなげたような演奏なんて、音楽としてはよいかもしれないが、熱気とか自然さとか、大事な物が失われている……というような考え方もあり、サドメルとかギルはまさにそういう考えを具現化しているバンドなのだ。久しぶりに聴いて、やっぱり名作だなあと思いました。
「LIVE IN TOKYO」(日本コロンビア YP−7046−N)
THAD JONES−MEL LEWIS & THE JAZZ ORCHESTRA
サドメルは、まあ、正直にいうと、名盤と呼ばれているものでも、けっこうダルい箇所があるので、すべてを万人にすすめるというわけにはいかないが、そのなかでも、これなら、と思うのはデビュー作でスタジオ録音の「プレゼンティング」、2作目でだれもが認める傑作「ライヴ・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード」、そして本作であろうと思う。「コンサメーション」や「セントラル・パーク・ノース」は、サドメルの音楽が内包するそういったダレる部分もよしとして愛するファンるとっては垂涎だし、それこそがサドメルだという言い方もできるだろうが、一般性という意味ではさっきあげた3作が頂点だと思う。本作は、とにかく信じがたい豪華絢爛なメンバーである。もし、このとき東京でこのライヴを生で聴いていたとしたら、どんなにサドメルが嫌いでも、掌を返すようにサドメルファンになっていたこと請け合いであるが、残念ながら私ももちろん現場にいなかったので、こうしてレコードで追体験するしかないのである。まずはおなじみの「ワンス・アラウンド」はセシル・ブリッジウォーターの真っ当なソロのあと、ペッパー・アダムスが豪快のようで超バカテクかつ細かいところにまで意識の行き届いた最高のソロをする。そのあとのメル・ルイスはビッグバンドドラマーとは思えない抽象的なソロで、これが良くも悪くもサドメルの特徴であり、モダンさを感じさせる要因のひとつだ。「バック・ボーン」はジェリー・ダジオンのすごいアルトソロが耳をひく。ローランド・ハナも快調。ふたりのトロンボーンはとくにジミー・ネッパーが「?」だがライヴなので、その荒さもまあアリですか。ドラムはこれまた妙なソロで、おもしろいといえばおもしろい。サドの作曲〜アレンジのなかでも最高傑作のひとつと思う「ミーン・ファッツ・ユー・セイ」はピアノ〜バリサクは筆舌につくしがたいほどすばらしい。リーダーであるサド・ジョーンズのコルネットもよいが、テナーのロン・ブリッジウォーターは音色がかたく、フィンガリングもいまいちで、ちょっと微妙。ラストのこれもおなじみの「リトル・ピキシー」はソロ廻しの曲にしてはハードルが高すぎるよなあ。ビリー・ハーパーはごついソロ。いソノてるヲのライナーによると、「きわめて前衛的」と評されているが、エグいだけで、めちゃめちゃ普通(このライナーはトロンボーンのことを全部「トロムボーン」と表記していたり、「オーケストラル・ジャズ」とか「コムボ」とか「滋味くみすべきピアノ」とか、とにかく表現が古くて笑ってしまう。あと、かなりきっちり書いてあるアレンジを「ヘッドアレンジ」とか書いてあるのもすごい)。エディ・ヒクエスのアルト、ロンのテナーは印象薄し。バリサクはすばらしい。そのほかもたくさんのソロイストがチェイスするが、印象に残るのはローランド・ハナがブレイクで無伴奏になるところのかっこよさである。アルバム全体として、ペッパーアダムスとローランド・ハナの快調さが光る。傑作。
「ALL MY YESTERDAYS」(RESONANCE RECORDS HCD−2023)
THAD JONES MEL LEWIS ORCHESTRA
サドメルの未発表音源2枚組だが、あのデビュー作にして傑作「プレゼンティング」よりもまえの、本当のデビュー音源であり、しかも超クリアな音質である。「オープニング・ナイト」というタイトルで海賊盤としてでていたものと比べると、収録曲数も多い。「プレゼンティング」が5月録音で、本作が2月と3月の録音だから、「プレゼンティング」は案外、熟成された状態でのレコーディングだったわけだ。とくにディスク1に収められているのは初日の演奏、まさにデビュー当日の初々しい音……のはずだが、聴いたかぎりではめちゃめちゃ細部まできちんと行き届いた演奏で、驚くほかない。しかし、なんという幸せなことであろうか。カウント・ベイシーもデューク・エリントンもギル・エヴァンスも、初ライヴの音源がレコードになっていたりしないのだ。そして、それをこうして家で楽しめる我々もなんと幸せなのだろうか。サドメルの最大の長所は、私は「ダレることを怖れないビッグバンド」であることだと思っている。よく「コンボとビッグバンドの融合」「コンボの良さとビッグバンドの良さをあわせもった」などと評されるビッグバンドがあるが、じつはこれはなかなかむずかしいことなのだ。ビッグバンドには譜面という金科玉条的な「掟」があり、それを無視することは(普通は)できない。しかし、それだとソロコーラス数が決まってしまい、自由なソロをするわけにはいかない。いや、好きなだけ吹いてもらって、合図してくれたら次のリフに入るから……みたいな場合もあるだろうし、リーダーがソロイストの様子をみて適当に次の場面に行くこともあるだろうが、それはコンボのような自由さとはちがう。あくまでだんどりの範囲内である。ビッグバンドの場合、ソリストがフレーズが出なかったら指揮者がすぐにリフを入れて次のソリストと交替させることもあるが、それはそのソリストのダメなソロによって曲全体の雰囲気が下降してしまうことを防ぐためだ。短くカットすることで、そのソロも曲の一部としてまあ是認される。しかし、サドメルは違うのだ。ソリストがフレーズが出てこなくて四苦八苦し、それなのに「そのうちなんとかなるかもしれない」的に失敗を取り戻そうとしてあがいているような場合も、どーぞご自由に……だ。それによってかなり演奏はダレる。そのあとどれだけすごいアンサンブルやテュッティが来ようと、である。でもサドはやらせる。本人がやめようとするまで。また逆に、ソロイストがのりまくりすぎて延々吹き続けると、かえって曲が壊れてしまう場合もある。終わってみるとそのソロイストのソロしか印象に残らず、えーとどんな曲だっけ……となるわけだ。つまり、「ビッグバンド」においては「ちょうどいい長さのソロ」というのがあって、そのなかで自分を表現するのがコンポジション〜アレンジに対してはベストなのだが、そういう概念をぶち破ったのがサドメルなのである。ダレてもいいよ、というサドの考えは、後年になるにつれてどんどんはっきりした形でアルバムにも反映するようになる。それがサドメルの凄いところでもあり、ある意味短所でもある。サドメルの熱狂的なファンは、「そこがええんやないか。わかってないなあ」となるし、普通のビッグバンド好きは「サドメルもええけど、ソロが長すぎるし中だるみするからなあ」となる。ところが、「プレゼンティング」というデビューアルバムは、まだバンド結成直後ということもあってか、そういうコテコテ感が(後年に比べると)と希薄であり、普通のビッグバンドファンにも聴きやすい。しかももちんろ内容は最高のアレンジと最高のリズムセクションと最高のソロイストが集まっているのだから悪いわけはない。というわけで、私はサドメルのなかではずっと「プレゼンティング」こそ最高と言い張っていたのである。正直、本作がリリースされると聞いたときは、「プレゼンティング」派の私としては「そんなもん出すより『プレゼンティング』を再発しろよ」と思ったものだが、聴いてみて180度、いやもう一周して540度考えをあらためた。これは大傑作であります。それも、「プレゼンティング」と並ぶ、いや、それ以上に充実した作品ではないか(二枚組だけあって、曲数も多いし)。今後は、サドメルでなにか一枚と言われたら、本作を推める……というぐらいに凄いアルバムだと思うよ、ほんと。1枚目の1曲目「バックボーン」からもうサドメルらしさ爆発。いきなり冒頭ジェリー・ダジオンのかなり長い無伴奏ソロからはじまり、どうなるんだろうと思っていると、いきなりどどーんとフルバンドの迫力で場内が満たされるというオープニングで、当日のヴィレッジヴァンガードの客はこの新バンドに完全に掴まれてしまったはずだ。その後のボブ・ブルックマイヤーのバルブトロンボーンソロ→ガーネット・ブラウンとの2管による絡みのあたりで「ああ、こんなバンドはこれまでなかった。俺たちが待っていたモダンジャズビッグバンドはこれだ!」と客席全体が叫んでいるのが聞こえるような気さえする。ソロのバックのリフも「ああ、サドメルやなあ」と感嘆するようなやつばかりだし、変なソリもあって、この一曲の中にサドメルのすべてが入っているといっても過言ではない。そして2曲目はタイトルにもなっているバラード「オール・マイ・イエスタデイ」だが、低音の使い方やハモリがいかにもサド好みである。3曲目は、ジェローム・リチャードソンのアルトとジミー・ノッティンガムのトランペットが無伴奏デュオからテーマに入り、そこにリフがついていくあたりでぞくぞくしてくる。ハンクのピアノがコロコロとブルースを奏ではじめると、これも「サドメル」気分が横溢するこってりした変形ブルース。ソロもオープンで自由で、後ろでサドやメンバーたちによる掛け声や手拍子が聞こえる。そして、続くサックスソロもライヴの場であることを強く感じさせる奔放なものですばらしい。4曲目はラテンっぽいパーカッションがずっと鳴っている明るい曲で、このころはまだテナーが主だったエディ・ダニエルズの渾身のソロが聴ける。かっこいい! 5曲目はおなじみ「リトル・ピキシー」で、まさにサドの曲っていう感じの循環。サックスセクションとブラスセクションの壮絶な掛け合いとその重ね方がたまらん。そして、そういうコテコテのなかからスーッと出てくるハンクの長いピアノソロが一服の清涼剤となって、じつにいい。私が「プレゼンティング」好きなのもハンクがピアノだからというのが理由のひとつで、たぶんミュージシャン的資質としてはローランド・ハナのほうが合っているのだろうが、それではコテコテ+コテコテなのである。ハンクのピアノはいくら長く弾いても颯爽として涼やかだ。ジェローム・リチャードソンのアルトソロも強烈で、ほとんどフリージャズ一歩手前の激演。すばらしい。この曲でのメル・ルイスのドラムはコンボとビッグバンドの両方のいいところをとった最高の演奏だと思う。サドをはじめメンバーたちの「歌(?)」やみょうちきりんなリフもいいっすねー。6曲目は3曲にもやった「ビッグ・ディパー」で、リチャードソンとノッティンガムの冒頭でのデュオはますますおふざけ度を増して、バンドがノリノリなのがよくわかる。アルトソロは3曲目同様太い音色でぐいぐい聞かせる。というわけで2枚目に移りましょう。1曲目は「ロウ・ダウン」という、ちょっと「ミーン・ファッチュー・セイ」を思わせる曲でサドメル的なアレンジがたっぷり聴ける。フィーチュアされるのはサドのトランペットだけで、あとはひたすらアレンジを聴かせる贅沢な曲。かっこいい。2曲目はサドメルバラードの極致ともいうべき、これもおなじみの「ラヴァーマン」で、ジョー・ファレルの圧倒的なテナーソロとともに、この変態的かつゴージャスなアレンジを堪能しようではありませんか。3曲目はこれもおなじみの「ア・ザッツ・フリーダム」で、トロンボーンソロをフィーチュアした変形ブルース。相当変わったアレンジだが、めちゃめちゃかっこよく大好きな曲(作曲はヘンリー・ウィリアム・ジョーンズとなっているが、これはハンクのことである)。冒頭のピアノソロのときにだれかがなにかを叫んでいるが、サドかも。低音楽器がザックザックとリズムを刻んでいき、そこにトランペットやフルートによるテーマが乗る。トロンボーンソロはトム・マッキントッシュというひとらしい(「ライヴ・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード」はガーネット・ブラウンだったと思ったけど、もしかしたら違ってるかもね)。いかにもサドらしいサックスソリもある。「ライヴ・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード」での同曲より爆発力は少ないかもしれないが、いい感じ。4曲目はボサっぽいテイストの洒落た曲。ダニー・スタイルズというひとのトランペット(テーマ→ソロ)とジョー・ファレルのフルートがフィーチュアされる。どちらもいいソロでした。5曲目はこれもサドメル的にもおなじみの「ウィロー・ウィープ・フォー・ミー」で、テーマを切々とサドが歌い上げるが、これがもうたまらん。バックが入ってくるあたりでのトランペットソロがかなり過激で笑ってしまう。それを淡々とした感じでトム・マッキントッシュのトロンボーンが引き継ぐ。最後にもう一度出てくるサドのソロは、これは完全に笑いをとりにいっている。ライヴ感のある不思議な演奏。6曲目は「ミーン・ファッチュー・セイ」。この曲はめちゃくちゃ好き。サドの代表的アレンジだと思います。ほんとうに素晴らしすぎるアレンジで、もう、音符のすみずみまで舐めたいような気になる。サドの吹きまくるソロのバックで、オケがそれとほぼ同じ比重で演奏しているアレンジを聞かなければ、この曲を味わったことにならない。だから一回ぐらい聴いてもたぶんわからない。二度、三度と聞いて、本当は一度演奏してみて、はじめてその秘密がわかる……といっても過言ではない。何度聴いても味わい深いアレンジで、聞くたびに感心する。名曲。7曲目はこれも「プレゼンティング」の1曲目ということで有名な「ワンス・アラウンド」。一度廻れば……と言われると日本人は「金毘羅船船」と歌い出したくなるが、アップテンポのマイナー一発系の曲だが、この曲もトランペットソロのあとのサックスソリのかっこよさは筆舌に尽くしがたい。メル・ルイスのドラムも炸裂しまくっている。最初はアブストラクトな感じのペッパー・アダムスのソロが次第に白熱していき、メル・ルイスのドラムとデュオになってヒートアップし、それがベースとのデュオになり……というあたりの展開はまさにコンボ的である。本当にキラボシのようなソロイストが集まったものだよなあ。ついにはバリトンの無伴奏ソロになるところやそのバッキングを入れるあたりの緊張感など素晴らしすぎる。そのあとはまたハンクのソロが一服の清涼剤、あ、このフレーズはまえにも書きましたね。ブレイクでストライドピアノみたいな技を見せたり、いやー、ほんとこのバンドは自由自在で、ハンクもそれを楽しんでいるようである。ちょっとモードジャズ的なリフがあり、テーマに戻るのだが、そのあたりもかっこよすぎる。メル・ルイスのソロも好き勝手だ。それでちゃんと戻るのだからライヴバンドやねえ。8曲目は「ポルカ・ドッツ・アンド・ムーン・ビームス」で、基本的にはハンクのソロナンバー。途中でちょっとベースとドラムが入るが、また消えてしまい、ピアノソロになってエンディング(そこだけ管楽器がちょろっと入る洒落た演奏だが、これもハンクの腕が合ってこそである)。9曲目は1枚目の4曲目でもやっていた「モーニン・リヴァレンド」という曲でエディ・ダニエルズの豪快かつバカテクなテナーがフィーチュアされるのは同じ。10曲目も1枚目に入っていたタイトル曲「オール・マイ・イエスタデイ」。1枚目よりもテーマのアルトのリードが強烈に歌い上げているし、ジョー・ファレルのテナーソロも熱くてかっこいい。いやー、この曲のアレンジも見事ですね。よく聴かないとわからない……というやつです。そしていよいよ最後の曲は、1枚目の1曲目でもあった「バックボーン」だが、ソロイストがやや変わっており、ボブではなくトム・マッキントッシュのトロンボーンが大きくフィーチュアされる(冒頭を延々と無伴奏でジェリー・ダジオンが吹きまくるのは同じ)。メル・ルイスの躍動感あるドラムがたまらん。マッキントッシュのトロンボーンソロの途中から、いろんな管楽器がちょっかいを出す感じで加わってきて、コレクティヴインプロヴィゼイションのようになるが、こういう自由さもサドメルならでは。
というわけで、買ってから何回聴きかえしたかわからんこのアルバム。正規盤として発売されたのは大事件ではないかと思う。「ライヴ・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード」に入っている曲(「リトル・ピキシー」「ラヴァーマン」「ア・ザッツ・フリーダム」など)がじつはこのデビュー時にすでにレパートリーだったことがわかる。サドの聴けば聴くほどスルメのように味わいの増すすばらしいアレンジ、メル・ルイスの、キメに合わせてるんだか合わせてないんだかわからないが、じつはちゃんと合わせている謎のドラム、そして豪華すぎるソロイスト……など聞きどころが多すぎて困るのだが、本2枚組の本当の聴きどころは、この偉大にして空前絶後のビッグバンドが生まれたそのときの異常なまでの高揚感(ミュージシャンも客も)を今の我々がそっくりそのまま味わえることではないかと思う。凄すぎる。ビッグバンド好きは絶対聴かなきゃダメっすよ。傑作。超豪華ブックレットもついてるよ。
「PARIS 1969−VOL.1」(JEAL RECORDS RJD511)
THAD JONES/MEL LEWIS ORCHESTRA
VOL.1があるのだから当然VOL.2も出たのだろうと思っていたが、どうやら出ていないような気がする。しかし、このときの演奏はじつはコンプリート盤が出ていて、それには3曲が追加されているのだが、3曲だけでVOL.2が作れたとは思えないので、そのあたりが出なかった理由かも。そして、そのコンプリート盤は74年のノルウェイでのライヴも収録した2枚組なのだが、持っていない。なので、とりあえずこのアルバムに絞ってレビューさせていただきます。全曲、サドメルファンには美味しすぎる選曲で、「ALL MY YESTERDAYS」にも入ってる「LOW DOWN」で幕を開け、伝統的なビッグバンドらしさを見せつけておいてから、「PRESENTING」や「ALL MY YESTERDAYS」でも演奏しているおなじみのバラード「DON’T EVER LEAVE ME」でベースとピアノのからみを存分にフィーチュアしたうえ、ヘンテコなアンサンブルと美しいソロをぐにゃっと融合させる。これぞサドメルというサウンドだ。そして、「PRESENTING」「LIVE IN TOKYO」「ALL MY YESTERDAYS」などにも入っているサドの大傑作「MEAN WHAT YOU SAY」は、ローランド・ハナの圧巻のピアノソロで開幕し、これってソロピアノのコンサートだっけ、と思うような長尺のピアノの全音域を駆使したようなすばらしいソロをたっぷり聴かせまくったあと、ノリノリのピアノトリオになり、そして、だれが思いつくねん、というようなイントロからすばらしいアレンジのテーマがはじまる。何度聴いても大好き曲で、ビッグバンド史上に残る名アレンジだと思う。トランペットソロのあと、エディ・ダニエルズのすばらしいテナーのロングソロがフィーチュアされる。ゴリゴリのソロと美しく、また迫力あるアンサンブルとの対比が本当にかっこいい。ドラムとのデュオ、ピアノとのデュオなどいろいろな見せ場が用意されていて、とてもビッグバンドとは思えない自由さ。「LIVE AT THE VILLAGE VANGUARD」でもやってるブルックマイヤーのアレンジによる「WILLOW TREE」。トランペットソロに続いて、リチャード・デイヴィスのゴツくて躍動感あふれるベースがフィーチュアされ、聴いていると全身を持っていかれる感じ。ヴァイブレーションというんですか、とにかくエネルギーに満ちてうねりまくっている。それは、このサドメルというバンドのこの時期の演奏全てに当てはまるかもしれない。そして、「ONCE AROUND」。「PRESENTING」「LIVE IN TOKYO」でも演奏している。これも本当にかっこいい曲ですよねー。サド・ジョーンズは天才だと思う。輝かしいトランペットソロはダニー・ムーアだそうである。ド迫力のテュッティのあとペッパー・アダムスがフィーチュアされ、途中でピアノ以外全部消えてバリトンが吹きまくる、という展開もお約束。ドラムとのデュオやブレイクなど、いろいろ仕掛けがあるが、それらをすべてこなしてしまう。ここでのアダムスの化け物じみたソロは見事すぎて言葉が出ないほどすごい。基本的には8分音符を並べているだけなのに強烈な音色とリズム感、アーティキュレイションなどのせいで圧倒的な印象を与える。かなり癖の強い、一度聴いたら忘れがたいピアノソロ(途中で無伴奏になる。上手いなあ……)のあと、メル・ルイスのドラムソロもフィーチュアされる。エンディングはいつもながら不思議な感じである。ラストの「DON’T GIT SASSY」は「LIVE AT THE VILLAGE VANGUARD」だ。テーマの音の重ね方などは、リズムがノリノリなので気づきにくいが、まさにサド・ジョーンズ。ローランド・ハナのピアノソロは最初こそコード主体の軽快な感じと見せかけて、途中のブレイクから個性丸出しのえげつないもの。こういうのを軽々とやってのけるハナはすごい。学生時代からずっと聴いているからあたりまえのように思えているが、久々に聴くとこのソリなんかかなりエグいよなあ。トランペットソロ(だれ?)、ジョー・ヘンダーソンの長いテナーソロ(途中でブレイクしてめちゃくちゃ過激でかっちょええブロウを展開する。いやー、渾身のブロウとはこのことですね)などがフィーチュアされるが、魅力がいっぱい詰まった演奏で、何度も聞き直さずにはおれない。こういう離れ業はサドメルがソロイスト集団であり、同時に完璧なセクションミュージシャンであるからこそできることなのだ。同じ曲なのに、ソロイストが変わったり、ソロの変化によって、バッキングも大きく変わって、まるでちがったアレンジのように聞こえたりする。ビッグバンドを多少でもやったことがあるひとならわかると思うが、そんなことはなかなかできることではないのだ。サドメルの凄さは、最初からそういう「アレンジがかっちりあるのに、ソロによって変化するビッグバンド」という矛盾する音楽性を狙ったところにあるのだ。それは本当に、腕のあるミュージシャンでないと対応できない。録音も、正規盤としてはともかく十分視聴に耐えるもので、よくぞ録音してくれていた、と涙する一枚。