henry threadgill

「EVERYBODYS MOUTH’S ARE BOOK」(PI RECORDINGS PI01)
HENRY THREADGILL & MAKE A MOVE

 世間では、ヘンリー・スレッギルがわからないやつはアホ、というような風潮があるようだが、私にはながいあいだ何がいいんだかさっぱりわからなかった。最初に聴いたのはホワイノットの「エアー・ソング」で、今から20年以上まえのこと。音の薄っぺらい、ぺらぺらのアルトで、タンギングもひどく、なんやねんこいつは、という感じだった(ブラクストンもそうだし、ジョセフ・ジャーマンとかロスコー・ミッチェルとかもそうだ。だいたいオーネット・コールマンにしてからが……と思わずぼやいてしまう私)そのあと、「エアー」、「ニュー・エアー」といろいろ聴いたが、どれもまずスレッギルの「音」に拒否反応が出て、聴いてられないのであった。時はうつり、時代はかわり……とにかくアルバムが出るたびに、「すごい」「傑作」「これがわからんやつは死ね」「日本の馬鹿なジャズ評論家にはわからんが、わしらはちゃーんとわかってるもんね」「アホにはわからん音楽」みたいな評が出るので、あんな音のアルトのどこがええねん、おまえらこそ死ねとずっと思ってた。でも、もしかするとあのあと一大変身をとげ、ミュージシャンとしてもアルト吹きとしてもめちゃめちゃな進化をとげている可能性もある。聴かず嫌いはダメよん。というわけで……今回ついに意を決して最近のものを何枚か購入してみました。そして、おそるおそる聴いてみると……うーん、ええやん。これはすごい。音楽としてすごい。フルートもよくて、すっかり気に入ってしまった。おかしいなあ、やはりあの頃は耳が腐っていたのかもしれない。でも、アルトサックスの音はかなり録音時に加工してあり、しかもグロウルしたりして太くみせているが、基本的には昔と一緒。そのあたり、かえって安心した。うーん、「エアー」関係は全部売っぱらってしまったので、また買い直すか。いや、でも……。

「UP POPPED THE TWO LIPS」(PI RECORDINGS PI02)
HENRY THREADGILL’S ZOID

 45分ほどの短いアルバムだが、そのせいか、冒頭の一音からラストの一音まで緊張感をもって聴きとおすことができる。このアルバムを聴いて、やっと世評の意味がわかった。ヘンリー・スレッギル、すばらしい。最高。天才。いくら讃辞をたてまつってもいい。ああ、なんで今まで聴かなかったのかなあ。「エアー」が悪いのだ。「エアー」のスレッギルはとにかく音がしょぼすぎる。普通のリスナー、楽器をやったことのないリスナーはいいのかもしれないが、我々サックス吹きにとっては、かなりきつい。しかし、ブラクストンでもロスコー・ミッチェル、ジョセフ・ジャーマン、ジュリアス・ヘンフィル、オリバー・レイク……などを聴いて感じることだが、音楽は技術ではない。サックスが下手であっても、トータルな表現には関係ない。まあ、うまいにこしたことはないが、そこだけに注目して音楽を聴いてしまうと、私のように肝心のものを見逃してしまうのである。大反省した私は、これからスレッギルのアルバムを入手できるかぎり聴いていくことを誓ったのである。エアーの諸作も久々に聴いてみましょう。そして、このアルバムでは、アルトの音もすごくよく聞こえる。不思議だなあ。坊主憎けりゃ袈裟まで憎い。惚れて通えばあばたもえくぼ。一度「嫌だ」と思うと、これだけ長いあいだジャズおよびその周辺音楽をいろいろ聴いてるのに、そのひとの音楽全体が嫌になってしまい、冷静に聴けないし、一度「ええやん」と思うと、逆に多少音がしょぼくても「個性、個性」ということになる。人間の耳は絶対ではない。というか、どんなジャズ評論家でもクラシック評論家でも、つねに冷静で絶対的な批評耳をもったひとなど存在しないだろう。

「SPRIT OF NUFF…NUFF」(BLACK SAINT 120134−2)
HENRY THREADGILL VERY VERY CIRCUS

 めちゃめちゃよかった。これはすごい。聴かずぎらいのまま終わらなくてほんとによかった。いやはや、大傑作じゃん。曲とアレンジ、どれも最高。かっこよすぎる。思わせぶりなイントロも、聴いているとぞくぞくするような期待感が高まっていく。ロックっぽい曲やプリースティス的というか伊福部昭的な曲や、どれもこれもびっくりするほどオリジナリティにあふれている。これが、ベースのかわりにチューバを入れたバンドとは、ぱっと聴いただけではなかなか気づかない。ソロもよくて、スレッギルのソロっていわゆるビバップ〜モード〜フリーというジャズの語法とは別のところから来ているのではないだろうか。それぐらい、どのソロも語彙が新鮮で、手あかがついていない。「エアー」のころは大嫌いだった彼のアルトの音色も、まったく気にならない……というか、すごくいい音に聞こえる。不思議だなあ。これってあばたもえくぼ状態か? いや、どう聴いてもいい音だ。昔はわしの耳が腐ってたのか? ボントロがまたいい味を出していて、変なタンギングをしながらつっかえつっかえ吹くソロは、学生バンドのプレイヤーが必死にアドリブに取り組んでいるみたいで笑えるが、じつはこのひとはめちゃめちゃうまいのだ。ああ、ヘンリー・スレッギルのすばらしさがはじめてわかった、というだけで、2006年は意味があったなあ。今まで聴かずに大損してた。やはり世評というのもたまには正しいときがあるのですね、反省反省大反省。

「THIS BRING US TO VOLUMET」(PI RECORDINGS PI31)
HENRY THERADGILL ZOOID

スレッギルに関しては、何度も書いたように「遅れてきたファン」なので、こうして新譜を発売してすぐに味わえるというのはなんともいえないうれしさである。スレッギルの音楽というのは、コンポジションと楽器編成と即興がそれぞれ密接に関係し合っていて、どれかひとつだけ取り出しても無意味である。本作もまさにそんな感じで、とくにギターとチューバの参加が鍵で、このギターとチューバがべつの楽器に替わってしまったら、このサウンドは出ないだろう。本当に「音の魔術師」という感じだなあ。聴いているあいだはまさしくマジックにかかったように、ふら〜っとしてしまう。それぐらい「耽溺」してしまう音だ。しょうもない癒し系とかヒーリングミュージックの「耽溺」とはちがいまっせ。ほかにはまったく存在しない、スレッギルだけが作りだせるこの音楽空間に「浸る」ことで我々はふらふらになってしまうのだ。グレイト! でも、アルトはやっぱりへろへろですなあ。それもまたよし(聴き手としてそういう境地に達した)。あー、volume2が楽しみだよ。それにしても異常なまでにシンプルなジャケットだ。

「SONG OUT OF MY TREES」(BLACK SAINT 120154−2)
HENRY THREADGILL

 こんな美しい音楽があるだろうか。しかも、とんでもない情報量のネタの数々がびっしり詰まっている。その証拠に、もう10回以上真剣に聴いているにもかかわらず、聴くたびに、あれ? こんなイントロついてたっけ、とかこんな場面あったっけ、とか思うことが多い。そして、そういうことを一切感じさせないくらい、楽しく、深く、クラシカルで、民族音楽で、ブラックミュージックで、どことなく哀しく切ない。ヘンリー・スレッジルの最高傑作と言ってもいいと思う。もちろん、「最高傑作」はたくさんあるという前提での話だが。スレッジルの「木の思い出」を音楽的に作品化したものらしいが、なるほど、聴いていてところどころに甘酸っぱい感触があるのはそういうところから来ているのかもしれない。全体にギターを大きくフィーチュアした、というか、ギターという楽器のさまざまな可能性をスレッジルが中心にドーンと置いたような感じがする。そして、5曲中、2曲にスレッジルが参加していないという点もちょっとした驚きだ(コンダクション的に加わっているのだろうけど)。1曲目は、ベースが硬質なハチロクのパターンを弾き、浮遊感のあるギターが乗るというロックな雰囲気ではじまるが、サックスとトランペットが入ってくると、突然硬質な感じがなくなり、自由な空気になる。跳躍の多い、印象的なメロディで、これがなんともいえず美しい。ときに対位法的になっているスコアで、ギターを入れて3管なのに、これだけの広がりがあるアレンジはすばらしいとしか言いようがない。テーマが終わるとベースによる静かで内省的なパートになり、その後、トランペット(テッド・ダニエルズ)が空中に立体を作っていくようなソロ、そしてエレキギターの訥弁なソロのあと、スレッジルの濁った音色のファンキーなソロになる。要するにソロ回しをしているわけだが、いわゆるジャズのルーティーンっぽく聞こえないのは不思議だ。必然がそこにあるように、自然に聞こえるのだ。このアルトソロも不思議感たっぷりですばらしい。それからテーマになり(最初のとは似て非なるやつ)、パーカッションのうえでギターがぐねぐねと弾くパートからフェイドアウトしていく。この1曲目ですっかり心をつかまれてしまう。2曲目はガラッと雰囲気が変わり、ピアノソロ(マイラ・メルフォード)で開幕。そこにアコースティックギターが加わり、ギターが2本になって、3人による、キラキラ輝くような即興が展開される(一台はソプラノギター、もう一台はアルトギターらしい)。最後はかなりフリーな感じになる。なお、スレッジルは参加していない(たぶん、この曲については管楽器は不要と思ったのだろう)。3曲目は2台のチェロ、アコーディオン、ハープシコード、ヴォーカルによる幽玄な演奏に、スレッジルのブラックネスに満ちた力強くフリーキーなアルトがからむ。いくらアルトがブロウしても、バックな泰然として変わらず、大河の流れのようにゆったりと流れていく。水と油なはずのそのふたつのものが見事に融合している。まったく独特の世界だなあ。なんとなくアメリカ南部の田舎の広いフィールドを連想した。スレッジルは、天才といってもいいのではないか。4曲目も、2曲目同様スレッジルは演奏に参加していない。ジェローム・ハリスのベースギターを入れると4本のギターがキラキラしたピッキングでふわっとした空間を構築し、そこにテッド・ダニエルズのハンティングホーンズというから狩猟用のホーンということだろうが、それが乗る。一種の組曲のようになっていて、スパニッシュな雰囲気もある哀愁のパートがそれに続く。やがて、ギター群によって強いリズムが打ち出され、プランジャーによるトランペット、ギターのソロが続いたあと、ふたたびリズムが崩れ、金管が加わってフリーな感じでエンディングを迎える。5曲目は、いきなりアミナ・クローディン・マイヤーズのゴージャスなオルガンのイントロで幕を開け、スレッジルのアルトがどことなく物悲しいが、ドルフィー的でもあるテーマを吹く。エド・チェリーのストレートなギターソロのあと、オルガンがシリアスかつファンキーなところもあるソロを繰り広げる。スレッジルのアルトは小細工なく、ひたすらパワフルな音色でまっすぐに歌い上げる。それを煽るオルガン。ああ、ブラックミュージック的だが、いや、それだけではない。なにかまったくちがう味付けになっていて、この快感はなんとも表現しにくい。もう病みつきですよほんとに。とにかく1曲ごとに曲調ががらりと変わるので、45分ほどの短い演奏だが、壮大な組曲を聴いたような感動がある。たいしたものであります。メンバーも超豪華で、ギターだけ見ても、ブランドン・ロス、ジェームズ・エメリー、エド・チェリーと凄いが、ほかにもベースにあのジェローム・ハリス(ロリンズとやってるひとだよね)、チェロにディードル・マレイ(ハンニバルとやってるひとだよね)が入ってます。大傑作。

「IN FOR A PENNY, IN FOR A POUND」(PI RECORDINGS
HENRY THREADGILL ZOOID

 2枚組だし、事前に「今回のはなかなか手ごわい」みたいなことを耳にしていたので、聴く前にかなり身構えたが、聴いてみたらなんのことはない、スレッジルはスレッジルなのだった。1曲目、フルートが飛び出してくるこの変態即興アンサンブルの心地よさをなんと表現したらよいのだろう。変態なのにスウィングしまくっているのだ。コンポジションの変さ、編成の変さ、そしてそこから出現する音楽の見事さ、ああ、このサウンドにはこの編成がぴったりだわ……と納得させられてしまう、そんな音楽なのである。狙っているところが常人とはちがうので驚くのだが、最終的にはものすごく素直な音楽であることに再度驚く、というのがスレッギルだと思うが、そういうあたりはまったくいつもどおりである。ベースもピアノもいない、サックス〜トロンボーン(チューバ)〜ギター〜バイオリン(チェロ)〜ドラムという編成だが、トロンボーンのホセ・ダヴィラとギターのリヴァティ・エルマンがとくに耳につく。各楽器にスポットライトを当てた架空の劇伴のようなものらしいが、何度聴いてみてもそのあたりのことはとくにわからない。ただ楽しく、ミステリアスな時間が流れていく。コンセプトについての文章も読んでみたのだが、まあ、正直よくわからん。ただ、70歳を過ぎてこのクリエイティヴィティはたいした野郎ではないかという感嘆があるばかりである。今後も、若い連中をうまく使って、バリバリ音楽活動を続けていってほしいものだ。ジャケット裏の写真もまだまだやりまっせ的なオーラがただよっているぜ。
 とか書いているとちょうど、まさに本作でスレッジルがピューリツァー賞を受賞したという情報が伝わってきた。すごいぞスレッジル!

「AIR RAID」(WHY NOT RECORDS/P.J.L MTCJ−2008)
AIR

 AIRについてはちょっと長くなるが、自分語りをぐずぐず書くことになってしまう。学生のころは下手なアルトでフリージャズっぽいことをやっていたので、どうしても「フリーのアルトのひと」を聴かねばならず、とにかく片っ端から聴いた。しかし、なにしろ高校生のとき最初に聴いたのが坂田明さんで、そのつぎに聴いたのが梅津さん、松風鉱一さん、ドルフィー……といった、つまり、「音」がめちゃめちゃ太く、楽器が鳴りまくっていて、フレーズとかリズムもさることながらまずは音の説得力がありまくっているひとたちだったもので、それ以外の海外のアルトのひとを聴くと、どうしてもピンとこない。たとえばロスコー・ミッチェル、ジョセフ・ジャーマン、アンソニー・ブラクストン、オリバー・レイク、ジュリアス・ヘンフィル、マリオン・ブラウン、ジョン・チカイ……そしてヘンリー・スレッギルもいまひとつ良さがわからなかった。そもそもオーネット・コールマンの良さも、あの「音」が邪魔をしてわからなかったぐらいだから相当のアホ耳なのである。それは認める。すまんのー。その後、テナーに転向してしまったので、もうアルトを必死になって聴かんでもええわ、とこれらのひとたちとの付き合い(?)は終わったのだが、社会人になってしばらくたったころ、ふと、こういうひとたちの良さがわからぬままというのは非常にもったいないことではないか、という気がしてきた。そのころはもう、フリーっぽいアルトでも、ティム・バーン、チェカシン、チェイピン、マーティー・アーリック、ジョン・ゾーン、ネッド・ローゼンバーグ……などなどなどなど、凄まじい音のひとたちが続出していたからなおさら、「音が苦手だというだけで、世間がみんなもてはやすああいうひとたちがわからんというのは情けない」と思い、それらのひとたちの新作をどんどん聴いてみた。すると驚くべし。全員すごいということがわかった。やはり人間の耳というのは成長するのだ。なかでも、スレッギルとヘンフィルの音楽家としてのすごさがようやく認識でき、瞠目しながらも大ファンとなった。世間の評価というのは案外あてになるもんだということもわかった。なので、それ以降は自分の耳を信じることなく、世評に合わせている。――というのはもちろん嘘で、結局は自分の耳しか信じるものはないのだが、それはそのときそのときの耳ということで、耳は進歩もすれば退歩もするということを念頭に置いておかないとヤバい、という話です。まあ、そんなこんなで今はいろいろなフリーのアルト吹きを満喫している私だが、スレッギルとヘンフィルはアルト吹きというよりトータルミュージシャンとしての存在のほうがすごいかもしれない。――と、そこでこのAIRである。学生のときに聴いたのは、ホワイノットでの1枚目を最初に聴き、そしてこのAIR RAID、NEW AIR……と聴き進んでいってやめたのだ。あれから○十年。スレッギルのAIR以降の作品にはすっかりはまってしまった私だが、はたしてAIRはどうなのか、というのが今回の実験(?)である。ということで、聴いてみる。――うーん……なるほど、おもろい。おもろいけど、やはりこのあとどんどん変態的になっていき、怖ろしいほどにものすごくなっていく自信たっぷりのスレッギルワールドに比べると、「いろいろ試してます」感があって、まだ自信なさげな、突き詰めていないところはあるが、正直、のちに展開するすべてが、よく読み解く(聴き解く?)とここには含まれているのだと感じた。曲はすでにスレッギルの個性がどーんと出ている。変なチャルメラみたいなやつとかフルートは素直におもしろいしすばらしい。そして、ホプキンスとマッコール(シンバルをディジョネットみたいにクラッシュさせまくる)もめちゃくちゃすごい。問題は、一見中途半端なこのアルトで、まだ未成熟なこのアルトのへろへろした動きについていくと、いろんなことが見えてくるような気がする。1曲目冒頭のチャイニーズミュゼットの咆哮から突然登場するアルト、そして思索的なインタープレイ。ホプキンスの骨太なブースがぐいぐいランニングし、マッコールがシャープな反応で肉付けする。めっちゃかっこいい。では、肝心の主役のスレッギルはどうなっているんだというと、これが必要最小限の吹き方で見事にトライアングルを形成しているのだ。なかでもやはりホプキンスの至芸に耳が行く。この緩急自在なベースに、アルトはただ乗っかってるだけじゃんと思わぬでもないが、それは化かされているのである。じつはそのベースの動きもスレッギルによってコントロールされているのだから。2曲目は哀愁のテーマ。もっと朗々と吹くとそれなりに感慨のある曲だと思うがスレッギルの吹き方はあくまでつっかえながらひっかかりながらおのれのペース。でも、ええ曲や。スレッギルは1曲目とはうってかわって、コルトレーンのように(というのは言い過ぎか)ひたむきにチェンジに乗っ取った熱い、武骨なソロを繰り広げる。「ジャズやなあ」という感じの演奏。3曲目はフルートによるアグレッシヴな演奏。といってもアグレッシヴなのはおもにベースとドラムで、フルートはあくまで幽玄。上質で硬派なフリーインプロヴィゼイション。アルコとピチカートを混ぜたベースソロもめちゃくちゃかっこいい。そのあとスペイシーなドラムソロが延々フィーチュアされる。最後はまたビート感のあるフリーインプロヴィゼイションに戻るが、ここもええ雰囲気。ラストもすごくいい。4曲目はしっかりしたコンポジション。3人による短いイントロのあとアルコベースが不穏な雰囲気を盛りあげ、なにがはじまるのだろうという期待感をあおる。そのあとはじまるのはテーマに基づいた、茫洋したなかにもパワーといびつな歌を歌い上げようとする気概が感じられる演奏。スレッギルはテナーを吹いていて、あまりテナーらしさを感じられないものの、ドスのきいたプレイになっている。こうして何度も何度も聴くと、しみじみとこのアルバムのよさはわかってくるのだが、1、2回聴いたくらいではなかなかわからんと思う。パッときいてこのアルバムのすばらしさがわかりました的な感想のひととは一度話をしてみたいと思うほど。というわけでAIR再探究はまだまだ続きます。