「聴いて”ととのう”音(オト)サウナ」(デモCD−R)
IWAMIZAWA NOISE SUMMIT
メンバーのひとりKIM YOOIが書いたライナーによると「『ととのう』とはサウナ・水風呂・外気浴のセッションによって得られるリラックス状態や多幸感を意味します。サウナで身体をボイルしながら自分の内面と対峙し、水風呂で一気に身体を冷やすことで、意識は身体に向けられます。そしてその後はイスやベンチに腰をかけて外気浴、このとき脳内はトランス状態に陥り、その後精神は全ての呪縛から解き放たれた『ととのった』状態になります。その流れを今回『IWAMIZAWA NOISE SUMMIT』のメンバー3人と音で表現しました」云々とある。かなりの名文だと思うが、正直、なんのこっちゃさっぱりわからんのである。このライナーを読み、かつ、1曲目が「サウナ」、2曲目が「水風呂」、3曲目が「外気浴」というタイトルであることを考えると、「追体験」的なものかなあ……と、とりあえず1曲目から聴いてみると、ノイズだということでちょっと身構えたが、まったくそういう感じはなく、どちらかというとアンビエントというかミニマルな雰囲気すらある。美しく瞑想的ですがすがしいような音が積み重なっていく。暑苦しいサウナのなかでノイズをやりまくる……というようなエグい演奏か、と思っていたらまるで正反対だった。鳥のさえずりまで聴こえてくるではないか、サウナのなかで! でも、もしかするとサウナに入ってるときって、「暑い暑い暑い暑い……あー、暑い!」みたいな感じではなく、こんな風にじーっと押さえつけられているような、美しいメロディやハーモニーが流れているような感じなのかなあ……とサウナに入ったことが数えるほどしかない私は思いました。2曲目の最初の「水風呂に飛び込む音が大きいのでボリュームに注意」と書いてあったが、うなりでかい音でヘッドホンで聴いたいたけど、とくにそれほどのことはなかった。この2曲目は、やや1曲目よりヘヴィな雰囲気だが、それでもノイズというより心地よい。もしかしたら水風呂に入っていたときの暑さ→冷たさの変化を表しているのかもしれない。3曲目も鳥が鳴いているが、これは外気浴だからなのか。やや不穏な雰囲気での演奏が続き、ひりひりするような空気感が持続する。ガスが噴出しているようなノイズのなか、サックスが極めてクールで抑制された音をつなげていく。さまざまな小物の音が増幅して鳴り響くなか、演奏は終る。最後のガリガリという音はなにを表しているのか、それともいないのか。というわけで、楽しかったです。でも、サウナのことがわからない私には単に「楽しかった」という以外の感想は出てこないのだった。このグループ、たぶん三人対等なのだと思うが、便宜上、一番最初に名前の出ているベーシストの富川健太の項に入れた。
「炭鉱(ヤマ)の記憶」(デモCD−R)
IWAMIZAWA NOISE SUMMIT
炭鉱の町であった「空知」に「空知・炭鉱(ヤマ)の記憶マネージメントセンター」というのがあって、そこに保存されている石蔵のなかでライヴが行われたらしい(暗いなかでヘッドライトだけで演奏したそうで、まるで暗闇朗読会ではないか)。本作はそれに先立ってスタジオで録音されたデモCD。「炭鉱」というモチーフから連想されるさまざまなことを音で表現した、ということらしいが、めちゃくちゃかっこいい。「音で表現」というより、たとえばSLの音などをサンプリングしてそのままモロに使っている。全体として、サウナのアルバムよりもかなりハードに責めてくる感じである。1曲目はどぅんどぅん……というウドゥ(だったっけ? ジャグみたいな壺を手で叩く楽器)の深い響きに導かれるようにして全体が暗く、重く進行していく。エレクトリックなサウンドのなかにカリンバやバードコールみたいな音、水が流れるような音などのアコースティックな音色も浮かび、また消える。まるで洞窟のなかで明滅する蛍のように。低音の重厚な音が続き、そこにさまざまな音が乗る。それはノイズだったり、メロの断片であったりするのだが、先入観のせいか、バードコールは無数のコウモリの声に、シュワーッという音は圧搾空気の音に、ぶんぶん唸る音はモーターの音に思えたりもする。そして、ブルブル、バラバラというドリルをサンプリングしたような音が炸裂し、ノイズとともにどんどん高揚していく。ところどころに笛の音が混じるのもいいですね。いやー、かっこいい。2曲目はいきなりKIM YOOIのテナーがドドドド、ガガガガ……というノイズとともに前面に出る(がすぐに消える。もっと吹いてくれ!)。ノイズの嵐も、炭鉱のなかで聴いている音だと思えばなんにもうるさくないなあ。ギター(っぽい音)が激しく暴れ、全体がどっどっどっどっ……というヘヴィなリズムを刻みはじめたなあ、と思っていると、ふたたびテナーが登場し、ホンカーのようにブロウしたかと思うと……おおっ、汽車が走ってきたではないか! 昔、北島三郎の芝居を観にいったとき、突然、芝居の途中でスクリーンが降りてきて汽車が走ってくる……という演出があったが、あんな感じで、なんだなんだこれはなんだ……という唐突感があって大笑いしました。いやー、おもろい! とか言ってるうちにタタタタタタ……という音とともに汽車は去っていき、2曲目も終了。3曲目はベースのエグいソロではじまり、そこに他の音が集まっていく。3曲のなかではいちばん即興っぽくて、心が遊ぶ感じであるが、だんだんギャーン! とかグワーン! という激しい音が入ってきて、ノイズもキリキリと厳しくなって全体にハードな空気になっていき、これは遊んでる場合ではない……と思っているうちに、ひとつのノイズだけが残って終了。楽しいなあ。このグループの正規録音の発表が待たれる(そういう話があるのかどうかはわからないけど)。
「万字の空にジン鍋の月」
IWAMIZAWA NOISE SUMMIT
またしても(?)岩見沢ノイズサミットのアルバム。今回はなぜかジン鍋というものに特化した演奏で、そもそも私には「ジン鍋」が「ジンギスカン鍋」を意味するということすらわからない。だいたいジンギスカンを食ったことがほとんどないのだ。あー、「餃子の王将」とかで「ジンギスカン定食」を食うことはたまーにあるが、あれはジンギスカンと言えるのか? 北海道に行ったことが2回しかない人間にとって、ビール園で食べたことが一回あるだけのジンギスカン(の鍋)についてここまでの思いを音楽で熱く語られても……わからん! しかもあのたった1回の札幌でのジンギスカン体験はまだビールが飲めないガキのときだったし、二回目に行ったときは腹痛でなにも食べられなかったのだ。あー、ジンギスカン食いたい。ときどき「北海道展」とかで冷凍のジンギスカンを買ってきて家でひとりで焼いて食ったりするが、それはそれなりに美味い。でも、これがジンギスカンなのか……という思いはある。あー、北海道に行ってジンギスカン食いてー。そして、ジンギスカン鍋を「ジン鍋」と略するほどにジンギスカンが生活の、身体の一部になっているひとたちによるジンギスカン鍋ミュージックが私にわかるのか……というのはどうも不安なのだが、聴いてみると、まえに聴いたキム・ユウイさんのサウナをテーマにした演奏と同様、ジンギスカンを食べるために炭をおこし、肉を乗せ、焼き、食い、最後には鍋を洗う……という過程をインプロヴィゼイションで表現したもの……なのかどうか知らんけどとにかく面白かった。ノイズと言ってるけど、この「岩見沢ノイズサミット」はあんまりノイズっぽくはなく(というかまったくノイズっぽくないかも。曲が進むにつれノイズっぽくなっていくのかと思っていたら全然で、超聞きやすいっす)、このアルバムもほとんどパーカッションアンサンブルとかアンビバレント、ミニマルのノリで聴ける。吉田野乃子もキム・ユウイもサックスを吹いてないし、打楽器や小物中心の演奏だが、とにかくアホな企画にみえてめちゃくちゃ真摯な演奏であることは間違いない。だからどうなのだ……という気もするが、まともにジンギスカンを食ったことがない私のような人間にはなにかを言う権利もないのである。ただ、脳内物質が出まくる心地よい音楽であることは間違いないのであって、これがたまたま入ったジンギスカン屋で大音量でかかっていたとしても、私は楽しく食事ができると思う。えーと、マジで北海道でジンギスカンが食べたいのでだれか誘ってください。今んところ北海道になんの用事もないので。楽しいアルバム。