yoshisaburoh toyozumi

「SABU・MESSAGE TO CHICAGO」(NADJA PA−3162)
YOSHISABUROH TOYOZUMI

 これは夢のような傑作。昔、毎晩聴きくるっていた。四人のミュージシャンが参加しているが、ひとりでもほかのだれかと変わったら、まったくちがった音になっただろう。そんな、危うい均衡のうえに成立している傑作だ。AACMに単身とびこんで、客分となって年月を過ごした豊住さんが、アート・アンサンブルの曲ばかりを演奏したアルバムで、後年直木賞作家になった原ォ氏がピアノで参加しており、豊住さんが以前、
「このアルバム、中古ですごい高い値段ついてるんだって。原が入ってるかららしいんだ」
 と言ってたのを思い出す。A面はバリサクの宇梶さんのワンホーンで、B面にはそれに藤川義明のアルトが加わる。正直言って、B面一杯をしめる「苦悩の人々」など、アート・アンサンブルのレコードは売ってしまった。歴史的な傑作という評価がくだっているようだが、録音が悪いし、ああいった混沌とした演奏は、解像度が悪いとちょっと聞きにくいので、金に困ったときに売ってしまったのだが、このアルバムで同曲を聴きなおして、
「え? こんな曲だっけ?」
 とびっくりした。すごくいい曲で、なんだか印象とちがう。このあたりは豊住さんの曲に対する解釈とメンバーの人選によるものだろう。宇梶さんも藤川さんもすばらしく、個人的には豊住さんのアルバムのなかでいちばん愛聴しています。

「藻(WATER WEED)」(TRIO RECORDS PA−3163)
YOSHISABUROH TOYOZUMI

 豊住さんと高木元輝が真っ正面から向き合ったアルバム。ベースの徳広崇が加わったトリオで、A面、B面それぞれ一曲ずつの長尺演奏。高木さんは、バスクラとソプラノを吹いており、テナーはたぶん使っていないと思うが、本当にすばらしい演奏で、こういうのはまさに私の好みストライクど真ん中である。つい「メッセージ・フロム・シカゴ」のほうを聴いてしまうが、こちらも名盤だと思います。A面の「流星群」というのは、そういうタイトルがと思って聴いてみると、なんだか流星がつぎつぎと降ってくるような場面が浮かぶし(単純な頭だねえ)、B面の「藻」というのもなんとなく「藻」っぽい(?)ような気がするから不思議。豊住さんにとっても高木さんにとってもそのキャリアのなかで重要な位置をしめるアルバムだと思う。晩年の高木さんと豊住さんのデュオを生で聴いた私としては、このアルバム、ある種の感慨をもって聴かざるをえない。豊住さんのリーダー作ではあるが、豊住〜高木がほぼ対等のコラボレーションによるアルバムだと思う。

「KOSAI YUJYO」(IMPROVISING BEING IB14/INAUDIBLE CD 008)
SABU TOYOZUMI

 タイトルは「交際・友情」の意味で、豊住さんがヨーロッパの各地のミュージシャンと行った即興セッションを収めたもの。豊住さん以外の参加者の名前をひとりも知らない。それぞれ有名なひとなのかもしれないが、私がこういうインプロヴァイズドミュージックになじみがないということかもしれないし、以前に聴いて名前を忘れている可能性もあるが、名前を出して、あああの有名な……みたいなひとはいない。たとえば1曲目は参加者は8人と多いが(豊住さんは二胡)、聴いてみると、馬鹿でかい音を出したりヒステリックになったりする瞬間はほとんどなく、非常にコントロールされた中での微妙なダイナミクスの変化によって演奏が展開しており、全員が非常な集中力をもって臨んでいることがわかる。初期のカンパニーなどを連想するが、こういう風な抑制というのは、参加しているなかでの一番音の小さな楽器に合わせているから自然とそうなる……ということかもしれない。とりたてて過度に「小さく小さく」とか「もっと抑えて……」みたいなことを考えなくても、互いに音を聞き合った結果、こうなったのだろう。変化が連続して起きたり、停滞したり、昂揚したり……といった演奏の進展に耳を傾けていると「なるほど」と思うのだが、正直、じっと聞き入る感じで聴かないとほとんど面白みはわからないと思う。カンパニーもそうだが、ビート感とかグルーヴとか具体的なフレーズとかをよしとしない(と単純に言えるものではないが)純粋即興を貫こうとすると、こういう感じになるのかも。2曲目はヴォイスのひとと豊住さんの二胡のデュオで、これはかなりイケイケな演奏。ユーモアもある。3曲目は1曲目以上にぐっと抑制のきいたトリオ(ギターとヴァイオリン)で、まさに「インプロ」というやつ(あまりこの言葉は使いたくないが)。4曲目は同じメンバーで、もう少し大きな音量でスピード感もありフレーズも聞こえてくる「強い」即興(そんな言葉はないけど)。個人的にはとても楽しく聴けたが、やはり聴く側にも集中を要求する演奏で、おっ、おもろい、と思ったらつぎの瞬間にはするりとはぐらかされる(そして、それを良しとしている)ような感じだ。おっ、おもろい、となっても、このままどんどん行けっ、とはならないのである。5曲目はさっきのヴォイスのひとに、アルトサックスとピアノが入った4人で、20分の長尺。4人の人間が喫茶店かなにかで同じテーブルに着いているのだが、4人が4人とも別々のことを考えていて、勝手に自分のことばかりをひたすらしゃべっている。しかし、どこか気持ちはつながっていて、なんとなく会話が成立している……そんな感じで、決して4人が一丸となって、という瞬間はなく、ふたりがバシッと息が合っても、残りのふたりはあいかわらず……みたいな状態で延々と同じテンションで演奏は続く。これはたぶんわざとなんだろうな。ラスト、みんなが演奏を終えてもボーカルのひとはしつこく残っている。これは性格やな。
 2枚目の1曲目は豊住さんにソプラニーノ、バスクラ、ベースという4人。1枚目とうってかわって、「フリージャズ」的な演奏。うーん、やっぱりこういうののほうがしっくりくる。ニーノのひともバスクラのひとも上手い。結局この演奏がいちばん私好み(というか私向き?)。2曲目もフリージャズっぽくて好き。バスクラとベースとドラムのトリオで、骨太の演奏。3曲目は、豊住さん以外にアルト、ギター、パーカッションの入った4人。1曲目、2曲目に続いてこの曲もフリージャズっぽい演奏か……と思いきや、アルトのひとが1枚目の5曲目に入っていたひとで、ギターも1、3、4曲目に入っていたひとなので、やはりそういうタイプの演奏(つまりフリーインプロヴィゼイション的)ではあるが、1枚目に比べるとかなりガッツのある感じですばらしい。とくにアルトのひとはまったく具体的なフレーズを吹かず、ノイズというかちょっとした雑音程度の音を延々と吹く。ぴぴぴぴぴ……と断続的な音やキイキイしたフラジオ(というかリードミスみたいな音)、フラッタータンギング、スラップタンギング、ハーモニクスなどを使ったクラスターみたいな音などでブロウして、けっこう前面に出てくる。ここまでいくとフリー「ジャズ」といってもいいような、伝統的なものも感じるほどのシンプルで熱い演奏。途中、相当どさくさになるし、私はかなり好きです、これは。このアルトのひとは上手いのかどうなのかはわからんがそんなことは関係ない。すごくいい演奏で、最後のあたりは豊住さんの熱演もあってかなり盛り上がる。で、最後の曲は、なんと45分もある壮大な演奏だが、豊住さん(二胡)とソプラノ、バスクラ、コントラバスクラ、フルートを持ちかえるひとと、パイプオルガンという3人による即興で、おそらく冒頭で奏でられる低音はコントラバスクラリネットによるものだろう。二胡はほとんどひとの声に聞こえるが絶妙の手触りで裏へ表へと身をひるがえし、パイプオルガンも幽玄なシンセサイザーのようにきらめいている。即興をリードしているフロントのひとはなんの楽器を吹いてもめちゃくちゃ上手くて(とくにフルートは最高!)、ほんとにすばらしい。このひとがコントラバスクラ→フルート→バスクラ→ソプラノと順番に楽器を持ちかえていくたびに、全体の流れがあらたなシーンに突入する感じだ。この演奏がこの二枚組の白眉だろうと思うし、45分もあるのに収録したかった気持ちもよくわかった。このひとだけでもプロフィールを知りたいと思い調べてみたら、70年代からドイツのフリージャズシーンで活躍し、今はインプロヴィゼイション全般において活動しているひとで、セシル・テイラーやロスコー・ミッチェル、ペーター・コバルト、グンター・ハンペル、バール・フィリップス、ペリー・ロビンソン……といった超大物と共演しているひとだった(きっちり豊住さんの名も主な共演者に載っていた)。なるほどねー。というわけで、こうして聴くと、総じて2枚目のほうが私好みの演奏が集まっている感じだった。CDのレーベル面には豊住さんのかわいいイラストが描かれている。

「MISAKI CASTLE TOWER」(CHAP CHAP RECORDS CPCD−019)
TOYOZUMI−COUNTRYMAN

リック・カントリーマンというアルト〜フルート奏者はもともとアメリカ出身だがフィリピンに移住して、同地の即興音楽シーンで活躍しているひとだそうである。演奏は「SAXOPHONE ANATOMY」などで耳にしていたが、本作はがっつり聞かせてもらった。豊住さんとのコラボレーションでも多数の録音があるし、何度も来日している(生では聞いたことがないと思う)。「岬城天守閣」というアルバムタイトルは、豊住さんが現在住んでいる家をそう名付けているのが由来だそうである。2曲目に「阿部薫に捧げる」というタイトルの曲が入っているのが気になって購入したのだが、このタイトルは事前に決まっていたものなのか(つまり、阿部薫に捧げる気持ちでふたりが演奏したのか)、それともあとで聞き返してみてそういうタイトルをつけたのかはわからない(「間」というか「無音」を駆使し、強烈な単音で聴衆をハッと目覚めさせるような阿部薫の演奏と、基本的に柔らかな音でメロディアスなカントリーマンのスタイルはかなり異なるので。しかし、阿部薫の良き共演者である豊住さんとの演奏ということなのかもしれない)。豊住さんはいつもどおり嬉々として共演者の吹くフレーズに耳を傾け、全身全霊でそれに反応しているのが伝わってくる。カントリーマンはヒステリックに絶叫したり、フラジオでびゅーびゅーいわせたり、グロウルしたり、さまざまなタンギング等を駆使したりして聴き手の耳を強引にそちらに向けさせる、という手法を(あまり)使わず、柔らかい音色やダイナミクスの変化などで丁寧にフレーズを積み重ねていく。そういう演奏はややもすれば平坦に聴こえがちだが(よく聴くとそんなことはないのだが)、そこに豊住さんの躍動的なドラムが加わると全体の演奏が俄然いきいきとしてくる。カントリーマンは、メロディを感じさせるとともに、ぐしゃぐしゃっとしたクラスターのようなひと塊のフレージングによってコミュニケートすることも多いようだが、そのためか、たいへん初期の「フリージャズ」的なものを感じる。淡々としたところもあるが(そこも良い)、終始非常にひきつけられる。つねに殻を破ろうという意欲も感じるし、熱血ブロウも随所にあり(4曲目での昂揚感は最高)、バラエティに富む手応えのある演奏。面白かったです!

「HOKUSAI」(NOBUSINESS RECORDS NBCD134)
SABU TOYOZUMI/MATS GUSTAFFSON

 豊住芳三郎とマッツ・グスタフソンのデュオだが、マッツはサックスはバリトン(ほかにフルートホン(自作楽器)とフルートもかなり吹いていてそれもじつにかっこいい)。ライナーノートで金野吉晃氏は、マッツに「間」の感覚を強く感じる、と書いているが、たしかに本作におけるマッツはいつものイケイケ、ゴリゴリ……だけでなくときに「間」を生かした演奏をしている(フルートのときにとくにそれを感じる)。それはもともとこのひとのなかに備わっていたものなのだが、豊住さんとの共演のなかでそれが現れ出たということでもあるだろう。かつて、バリー・ガイらとの硬派なインプロヴィゼイションを演奏しまくっていたことを考えるとなにも不思議はないが、金野氏の指摘には納得であります。マッツは千変万化して、ゴリゴリにパワーで押す場面(それもそんじょそこらのパワーではないから凄い)、秋の虫が鳴くようなピアニシモで聴かせる場面、ノイズを押し出す場面、リフや同じパターンにこだわる場面、もうひとつのドラムのようにパーカッシヴにぶちかます場面、バリトンの低音をいかした場面……などなどがめくるめく感じでつぎつぎ現れ、うひゃー、すごいすごい、と言ってるうちに演奏はどんどん進む。それにしてもマッツのスラップタンギングは上手いなあ。そして、豊住さんのドラムも、見事にマッツのサックスとからみあっていて、理想的な共演だと思う。パワーにはパワーで応え、パーカッシヴなプレイにはリズムで応え、ノイズにはノイズで応えているが、「応え」ているだけではなく、積極的に仕掛けていく。3曲目はグスタフソンのバリトンソロ。なんともドラマチックで、さまざまなテクニック(驚異的!)を駆使しての演奏のなかに力強いビートと絶叫が浮かび上がる。かっこいいですねー! このアコースティックな表現のなかにマッツ・グスタフソンの今(といっても4年前だが)思っている「即興」があるのだと思う。すばらしい。4曲目は豊住芳三郎のドラムソロ曲。15分と長尺だが、いつもの、それこそ「間」をいかしたプレイからパワフルな演奏などをつなぎ合わせてひとつのストーリーにしていく腕はすばらしい。いやー、15分なんてあっという間ですね。そしてラストの5曲目はいちばん長尺の演奏(約21分)。とにかくマッツのタンギングが凄まじい。やはりテクニック=表現なのだ(全部が全部そうではないが)。ラストに暴風のごとく荒れ狂うマッツの低音からのフリークトーン(これはマジでどうなってるのかわからん。しっかりした低音と高音部のギョエーッというスクリームが同時に鳴っている)に圧倒されるが、それがしっかりと音楽的な表現として成立しているうえ、豊住とのからみあいも絶妙なので、「惚れてまうやろ!」という感じであります。傑作!