toshiyuki tsuchitori

「銅鐸 黄金の鼓動(パルス)」(VICTOR ENTERTAINMENT INC.VZCG−684)
土取利行

 昔、サヌカイトがどうのこうのというアルバムを聴いた覚えがあるが、本作は奈良の畝傍山山頂での銅鐸を使ったインプロヴィゼイションの再発盤(のはず)。古代のメタルパーカッションということで、ガムランみたいな荘厳な響き、銅鑼やゴング、鐘などのようなグワーンという重低音を想像していたら、まるっきりちがっていた。どちらかというと、チキチキチキ、チリチリチリ……といった小刻みな金属音が、リズミカルに奏でられる。基本的にはすごく「上手い」ひとなので、聴いていると超絶技巧のジャズドラマーがシンバルの妙技をみせている……みたいな感じであるが、実際は奈良の山の中で銅鐸を叩いているわけだから不思議なものだ。じつは、今書いている作品(「郭公の盤」のこと)に、発掘した銅鐸を使って音を出す場面が出てくるはずなので、その参考として購入したのだが、そういった参考にはあまりならなかった。しかし、すばらしい即興演奏であることはまちがいなく、メタルパーカッションというのは、ときにパワーが出過ぎてしまい、また、金属音が耳障りであったりして、なかなか難しいものだが、本作はさすがに枯れた、古代の響きが耳に柔らかく、いつまでも聴いていられる。銅鐸とはいったいなんなのか。楽器なのか祭儀用の装飾品なのか。いろいろ議論はあるが、風鈴のように、内部につり下げられた舌と呼ばれる棒が外側に当たって音を出すというのがもともとの使い方だったと考えられる。このアルバムではそういう鳴らしかたではなく、銅鐸を打楽器として使っているわけだが、聴いている古代への思いがいろいろと広がっていく……という点、こちらの想像力に訴えかけてくるインプロヴィゼイションである、という点も私の好みです。それにしても久しぶりに土取さんの演奏を聴いたが、何十年もわたってこういう真摯な演奏を続けているという姿勢には頭が下がる思いである。

「ORGANIC DANCE PERCUSSION」(TOKUMA JAPAN COMMUNICATIONS TKCA−71484)
TOSHI TSUCHITORI

 パーカッションソロ。こういう音楽は、今はまた違った形でスポットが当たっているのではないかなあ。なんていうんですか、アシッドジャズ的な側面で。たしかに、タイトルに「ダンス」と入っているように、踊れる音楽、踊るための音楽のようでもあるけど、1拍の割り方が、こう、なまっているというか、ちょっと多かったり、足らなかったりに聞こえる箇所があって、それがずっと繰り返されるので、ああ、これはこういうリズムなのかと納得させられる。つまり、インドとかアフリカとかバリとかのリズムを表面を撫でただけではなくちゃんと体得しているので、我々の感覚ではもっときっちり割り算してしまうリズムを、微妙にずらすことができているのではないか。そういう「本物の現地のリズム」がベースになっているので、縦割りのものも、横揺れがあるものも、どちらもここでは「そういうもの」として聴ける。快感である。いわゆるフリージャズのパーカッションソロのように、空間を構築したり、音階のない打楽器だけでメロディックに聴かせたり、といったソロではなく、原始のころに打楽器が持っていた「叩いてリズムを出す」という快楽をストレートアヘッドに表現したらこうなった、という感じの演奏。あまりにも見事なパーカッションマスターぶりに驚いた。サヌカイトとか銅鐸とか叩いてる演奏は、こういうのと全然違うからなあ。とにかく圧倒的な演奏ばかりなのだが、それがものすごくたいへんそうだ、とか、すごく無理してこれだけのことをやってる、という感じがまったくなく、涼しい顔で「どや!」的に叩いているように聞こえて、それがまたすごい。叩くのが、リズムを生み出すのが楽しくて楽しくてしかたないように聞こえる。傑作。