「筒井康隆文明」(VICTOR FJSP−40)
筒井康隆
A面を「バブリング創世記」、B面を朗読だけで構成するという大胆なアルバムだが、そのために、筒井康隆ワールドを「家」以上にたっぷりじっくり味わえるぜいたくな作りになっている。こういう音楽、というか、アルバムのすばらしさはよくわかっているし、これは大人の遊びだということもわかる。しかも、めちゃめちゃレベルが高く、たんにワハハと笑うだけでなく、がっつり手応えと深みのある「文化」であることもわかる。しかも、こういうのはものすごく好きだし、高校生のころはこういうことばかり考え、また、このひとたちのやってることにあこがれていた。だから、今の自分があるわけだが、こうして今聞き返してみると、すごいことはすごいけど、たしかに「遊び」、それも信じられないほど文化度の高い遊びなのだ。朗読の「眠る方法」はともかく、「バブリング創世記」と「熊の木本線」については、あまりに思い入れがある作品なので、自分の頭のなかにイメージ、それもメロディやリズムつきのものができあがってしまっており(とくに「熊の木本線」)、こういう風に具体化されるとけっこう違和感がある。これはあくまで、山下洋輔の頭のなかの「バブリング」であり「熊の木本線」なのだ。筒井康隆の読者が100人いれば100人、それぞれの「バブリング」があり「熊の木本線」がある。もちろん山下洋輔はそんなことは100も承知でこの作品を作ったのだろう。そして、それは大成功しており、ギャグとして聴くもよし、だが、坂田の熱いソロやリズミックな詠唱による呪術的な雰囲気や即興の要素など、「音楽」としても、ひとつの世界を築いており、さすがと舌を巻くしかない。筒井ファンは、これはひとつの解釈なのだ、という前提で本作を楽しめばよいし、そういう風にできている。朗読のほうは、聴衆がものすごく熱心に聞いているようで、細かい部分にも笑いが起きる。これは驚きだ。
「THE INNER SPACE OF YASUTAKA TSUTSUI」(SUOER FUJI DISCS/DISKUNION
FJSP−60)
筒井康隆
これは、もともと筒井全集の付録としてついていたレコードを復刻したもので、ひとつのアルバムとして独立して売られていたものではなく、まあ一種のおまけであり、ファンサービスの一環だとおもう。朗読の「昔はよかったなあ」のほうはさすがにすばらしい内容だが、演奏のほうはメンバーも(失礼な言い方だが)玉石混淆で、プロ中のプロからアマチュアまでが混じっており、そういったあたりが逆におもしろいといえばおもしろい。