roger turner

「THE LAST TRAIN」(FAKATA 10)
ROGER TURNER OTOMO YOSHIHIDE

 先日、ライヴを体験したロジャー・ターナーだが、あのライヴは凄まじかったなあ。共演の高岡さんの力も大きいと思うが、とにかく度肝を抜かれた。これまではどちらかというと「即興のひと」「小さな音で繊細な演奏をするひと」というイメージだったターナーだが、あれから「爆音のひと」「なんでもできるひと」「古くて最先端のひと」「引き出しがとんでもなく多いひと」という印象に変わった。本作はそのときの物販で買ったのだが、あのライヴを観たためか、ターナーの細かいフレーズやテクニカルな部分なども、非常にいきいきと躍動的に感じる。超微音から大音量までのダイナミックな音量変化はもちろん案外と激しいリズムで押し切るところなどもあり、大友さんととても合っている。この「合っている」という言葉は即興では良し悪しで、あまりに合いすぎるとスリルがなくなったりするわけだが、良いミュージシャン、いや、これは嫌な言葉だな、わかってるミュージシャン、これも嫌だな、なんといったらいいのか、真剣に自分の即興をみすえているひとならば、そういう段階はとうに越えていて、何百回共演してもスリリングな演奏を聴かせてくれる。しかし、「合っていない」ときは、これはどうしようもなくて、我々はその状況をドキュメントとして楽しむ以外にない。ジャズとかロックとかクラシックなら、曲というものがあるから、なんとか形になるが、即興の場合は見ているのもしんどくなることがたまにある。で、このふたりは本当にぴったり合っていて、躍動感と緊張感のある演奏をずっと聴かせてくれる。心を広い草原(?)に遊ばせてくれる。このアルバムを聴いているあいだ中、私は世俗のことを忘れた。そういう音楽ってほんと大事だと思います。現実に目を向けろと声高に叫ぶだけではなく、どんなしんどい苦しいみじめな境遇にあっても、魂をとんでもない高みに連れ去ってくれる音楽がどれだけ救いになるだろうか。ここにはそういう音が詰まっています。ただし、なにかをしながら聴いても、たぶん耳に入らないと思う。本作を底の底まで味わうには、真剣に向き合うように聴く必要があります。人間、たまにこういう純粋即興を真剣に聴く時間を持たないと、心が水気がなくなってぱさぱさになると思う。対等の演奏だと思うが、先に名前が書いてあるロジャー・ターーの項に入れた。

「DOING THE SPLASH」(MEGAPHONE026/KNOCK’EM DEAD 003)
KONK PACK

 ドラムのロジャー・ターナーのライヴのときの物販で購入したアルバム。ターナー、ラップ・スチール・ギターのティム・ホッジキンソン、アナログシンセのトーマス・レーンの3人による即興2本勝負。2012年の録音なので現在の演奏に近いと思われる。アメリカで大人気だというが、それもわかる。即興オンリーでこれだけかっこよく聴かせるというのはすごい。最初は抑えに抑えた表現ではじまり、かなり長い間それが続くのだが、じっと耳を傾けていると、次第にそれがうねりはじめ、渦を巻きはじめ、波が高くなり、激しくぶつかりあい、ついには怒涛となっていく。最初があまりに静かなので、その部分を真摯に聴くことによって、全体の盛り上がりがじつに自然であることがわかる。なにかの合図とかきっかけによって突然場面が切り替わるようにして盛り上がるのではない。聴き手の気持ちが演奏にずっとついていくことで、そのあたりがめちゃめちゃ楽しめる。2曲目はもうちょっと激しい演奏だが、基本的には1曲目と同じ。技術的にも音楽的にもすぐれた3人が、こういった抑制された即興を、互いの音を聴きつつ、じーっと展開していくというのは、よほどの信頼関係と自信がないとできないわけで、最後に全体がたいへんな高揚感に包まれて、「な? こうなったやろ?」というドヤ顔が見えるようだ。そういった瞬間のかっこよさは筆舌に尽くしがたい。こういう「アルバム」という形で生の即興が残る意味は、一旦最後まで聴いて「なるほど、こうなるのね」とわかったうえで、もう一度最初から、その抑制された部分のやりとりも新たな気持ちで聴き直すことができる、という点で、新しい楽しみを発見することもできるのだ。だから、即興というのはけっして一期一会ではないと思う。ターナーが、(私が見たときは)あれだけワイルドかつテクニックを前面に出して大暴れするドラムだというのがわかっているだけに、すごく面白かった。たぶん、生だともっと聴衆をぐいぐい引きずり込む魔力があると思うが、それはこのアルバムでも十分伝わってきた。

「LIVE AT SUPER DELUXE」(DOUBT MUSIC DMF−163)
ROGER TURNER + OTOMO YOSHIHIDE

 何度も来日しており、日本人ミュージシャンとの共演も多いロジャー・ターナーだが、本作は大友良英とのデュオで、じっくりと、シンプルに、たっぷりと聞かせてくれる。生で観るまでは、もう少しチマチマ叩くひとかと思っていたが、いやー、ものすごくダイナミックだし、ワイルドだし、しかも、超テクニシャンで、ちょっとぶっ飛んでしまい、いろいろCDを聴いたが、その結果わかったのは、このひとの演奏の迫力とか生々しさとか激しさみたいなものはなかなかCDには納まりきれないのだな、ということだ。レコードやCDというメディアのなかにスポンと納まるミュージシャンもいるのだが、とくにドラマーの場合は芳垣さんにせよエルヴィンにせよ、そしてこのロジャー・ターナーにせよ、生で聴いたあのド迫力がCDを聴いても伝わってこない。これはどっちがいいとかそういうもんではなく、単に私の印象なので仕方のない話だが、そういうなかで、スーパーデラックスでのライヴである本作は、ロジャー・ターナーの凄まじくもすばらしいドラミングをかなりパッケージングすることに成功しているのではないだろうか。それは相手が大友良英だったことも大きいかもしれない(大きくないかもしれない)。基準といってもなにもないのだが、目をつむって聴いていると、ロジャー・ターナーのあの阿修羅のような叩きっぷりが浮かんでくるのだ。2曲(?)で70分という長尺の演奏を、ドラムとギターだけで聴かせるのは至難の業だが、それができているのは、囁くような微細音から天井が落ちそうなほどの轟音までの呆れるほどのダイナミクスと、ふたりがともに柔軟かつ硬質であるということにつきるのではないか。ふたりとも、蛇のようにしなやかですばやくものすごいスピードでぬらりぬらりと疾走し、まったく尻尾をつかませないほどの柔らかさなのに、ときには巨大な鉈のように重く、激しく、空間を、共演者を、そして聴衆をぶった切るのだ。2曲目のはじめのところを聴いていると、標題音楽的ではないにもかかわらず、私は雨がしとしとと降り始め、それがトタン屋根や窓を打ちだし、しだいに激しさを増し、ついには驟雨となってなにもほかの音が聞こえぬほどになる……という場面を思い浮かべていた。「列子」にある「知音」という故事には、琴の名手伯牙とその親友で最高の聴き手である鍾子期の話だが、鍾子期は伯牙の琴を聴いて、「まるで泰山が崩れるようだ」とか「大河がとうとうと流れていくようだ」などと感想を言ったというが、もしかしたらこういうインプロヴァイズドミュージックを聴くとき、いまいちわかりにくいとか入り込めないと思ったら、禁じ手ではあるがそういう聴き方をするのもいいかもしれないと思った(即興を「なにかに似ている」という風に、べつのものに置き換えて聴くのはやはり危険でもあり、純粋に音、音楽、として聴くのが基本だとは思うが)。そういう発想からすると、このふたりははまさに互いに音を知り、相手を知った「知音」だなあと……あ、うまく感想がまとまったようでございます。おあとと交替。傑作です!

「LIVE AT HALL EGG FARM」(DOUBT MUSIC DMF−164)
ROGER TURNER,SATO MASAHIKO,AND OTOMO YOSHIHIDE

 ロジャー・ターナー〜大友良英のデュオアルバムはめちゃくちゃ楽しかったが、そこに佐藤允彦が加わるとどうなるかと考えただけでものすごくわくわくする。ぜったい面白いに決まっているが、「どう面白くなるか」がわからないだけに、これは聴かねばならん! という気持ちにさせられる。そして、聴いてみると、その「どう面白くなるか」は私の期待以上の展開だった。こういうものを聴く喜びはそれに尽きる。こっちがわくわくしながら聴く。そして、演奏は「こんな感じかな……」というこちらの予想とはまるで違っているが、なおかつめちゃくちゃすごい……それが理想だが(もちろん、こういう演奏だろうな、と思っていて、そういうもので、なおかつすごかった、というのもアリだが)、このアルバムはまさにそれでした。1曲だけ。しかも完全即興。66分。そして佐藤さんは75歳。たとえば、ターナー〜大友のスーパーデラックスでのライヴ盤を聴いて、そこに佐藤允彦のピアノが入ると、うーん、だいたいこんな風になるだろうなというのが頭にあるとしても、絶対そうはならない。そのことも我々はよくわかっている。わかっているのに、聴いて、いい意味で裏切られる、あるいは想像のうえを行くのだから、この3人は凄すぎる。ターナーのラフな感じのドラムソロからはじまり、それが千変万化しながら11分にわたって続く。ものすごく繊細で技巧的でもあり迫力と気合いに満ちたすばらしいものなので、このあと展開していくであろう「デュオ」「トリオ」の部分への期待がますます膨らむ。11分を過ぎたあたりでギターが満を持して入ってくる。ここからすんなりとデュオに移行し、これがまた重いグルーヴのある演奏でかっこええんです。そして20分ぐらいのあたりでこれも満を持してと言う感じでピアノが入ってくる。この緊張感とかっこよさ。ひーっ、たまらんなー。ここからは年齢も国籍も楽器もかまわぬ対等のトリオ即興が展開していく。たとえゆっくりに聴こえる部分でも、底に流れている潮流はめちゃくちゃ速い。もちろん斬り合いであり交感であり交歓でもあるのだが、このテンションはとても「楽しくわきあいあいとやってます」とは聞こえない。もちろん本人たちは案外そうなのかもしれないが、聴いてる身としては一音一音が銃弾のような重みをもって飛び交っている戦場にいるような気になる。よくもまあこの3人の組み合わせが実現し、それがダウトミュージックの手によってレコーディングされ、こうしてたやすく聴ける状態になったもんだと思う。これは一種の奇跡だ。どんな瞬間を切り取っても、いや、もうかっこよくて……ああ、涎が……。三人の即興の鬼たちの容赦のないガチンコのぶつかり合いがこんなにもすごい成果を生んだのだ。傑作という言葉すらうすら寒くなるような作品。みんな、聴きましょう!