kazuhisa uchihashi

「FLECT」(INNOCENT RECORDS ICR−009)
UCHIHASHI KAZUHISA SOLO ELECTRONIC GUITAR

 内橋さんのソロの何枚目か。ギターと、いろんな機材を駆使してのインプロヴィゼイション。ひとつのモチーフを繰り返したり、つなげたりして、そのうえに、いろいろな雑音、騒音の類を重ねていくという、「砂上の楼閣」的な危うい即興オーケストレイション。土台が危うければ危ういほど、そのうえにそびえ立つ音楽がいきいきと際だつ。だいたい、ソロライブの場ではギターを弾くというより、変な装置のスイッチをぺこぺこ押したり、つまみを回したりしているわけだが、その姿はなんとなくかわいい。私はだいたいノイズ系の即興はあまり好みではなく、ライブで接するならまだしも、アルバムとしては購入する気になれぬものが多いのだが、内橋さんのソロは別。どうして、こんな耳障りで、かんに障るような「音」が好ましいのか、しかも、時として懐かしさすら感じるのか、と考えて、こないだやっとその理由がわかった。このアルバムに詰まっているノイズは、こどもの頃から私の頭のなかで鳴っている音とそっくりなのだ。そんなはずはない、という人、一度、ひとりだけのときに、自分の頭のなかの音に耳を傾けてみてはいかがか。

「STOROBO IMP.」(FALSE WALLS FW04)
UCHIHASHI KAZUHISA & GENE COLEMAN

 バスクラリネットのジーン・コールマンと内橋さんのデュオ。ギター〜バスクラのデュオは1曲目(12分強)とラストの7曲め(21分という長い演奏)の2曲だけで、あとの5曲は内橋さんはダクソホンを演奏している。ダクソフォンは、ハンス・ライヒェルの手作り楽器で、なんというか説明しがたい変な楽器である。ギターとバスクラのデュオのほうは、管楽器奏者をあいてにしたときのいつもの内橋ペースで、つまり、共演者を振り回し、場面をどんどん変えていき、それに共演者がついてくるようだったら、振り払い、寄り添うようにみせかけて突き落とし、そこからの反応がどう返ってくるかをみる。共演者に力がないと、内橋さんに振り回されるだけで終わるが、力量のある人だと、逆襲がなされ、そこからすさまじい音楽が展開していく……という一種の格闘技だが、ジーン・コールマンはやはりある意味、「寄り添い」ぎみであって、内橋さんにあわせようあわせようとしているみたいだ。それはそれでおもしろいし、楽しくきけるのだが、ダクソフォンとのデュオになると、これは私だけの感覚かもしれないがいつもとちがった内橋さんが聴ける。つまり、内橋さんが寄り添う側にまわったり、バスクラについていったりして、なんちゅうか、ふつうのインプロヴァイズド・デュオになっていて、なんとも興味深い。いずれにせよ、7曲ぶっ通しで聴いても飽きることのないデュオでした。即興は楽しいなあ。

「PHOSPHORESCENE」(ZENBEI RECORDS ZEN 004)
UCHIHASHI KAZUHISA GUITAR SOLO 2

 内橋さんのソロはどれもこれもいい。今のところ一番好きなのは、「FLECT」というアルバムだが、ほかのも全部いい。これは二枚目のソロということだが、かなりきっちり構成されていて聴きやすいが、だからよくないというわけではもちろんなく、しょっちゅう「おおっ」と思わせてくれる瞬間があり、ふと気づくと、興奮して顔をギーッとしかめていたりする。なんというか……自由ですよね。ノイズとかインテンポとかフリーとか即興とかそういったことから内橋さんはすっかり自由になっている。自由だから自在なのだと思います。

「FLECT U」(INNOCENT RECORDS ICR−013)
UCHIHASHI KAZUHISA

「FLECT」の一枚目は、ほんまに、マジで愛聴した。「ミステリーズ!」という雑誌の「私の愛聴盤」というコーナーにけっこう長文のエッセイも書いた。即興的ノイズのオーケストレイションとしては、これほど極上のものはない。当然、本作もめちゃめちゃ期待したが、もちろんその期待は裏切られることはなかった。これは、何べん聴きかえしても、そのたびに酔える最高の酒みたいなもんですね。

「UCHI−MANI DELUXE」(INNOCENT RECORDS ICR−014)
KAZUHISA UCHIHASHI/MANI NEUMEIER

ドラムのマニ・ノイマイヤーと内橋さんのデュオ。スーパーデラックスでのライヴなのだが、即興の見本といっていいぐらいの完成度。見本とか手本というと初心者向けという感じがするが、この音楽はまったくインプロヴィゼイションを聴いたことのないひとにも、1万枚のCDと1万回のライヴを体験してきたひとにも、同様に「すーっ」とわかるはず。それぐらい「到達」してしまっている。どの部分がどう、というのは意味がないが、とにかく20年以上まえから私がずっと思っている、即興デュエットにおける内橋さんの場面転換というか先読みというか、つぎつぎにめまぐるしく現在の土台を思い切って変革していくその潔さと着想の豊富さ、強烈なリズム、そして具体的な音の心地よさは筆舌につくしがたい。ジャケットがサイケデリックなような、ほんわかしているような、ちょっと妙味がある感じだが、それがそのままこの演奏の芯を言い当てているような気もする。どの部分を切ってもすばらしく、楽しく、かっこよく……こういう即興なら、ほぼ永遠に聴き続けていられそうである。傑作。

「2006.8.26.音や金時」(TEST−0001)
林栄一 内橋和久 外山明 古澤良治郎

アルトとギターに2ドラムという、お世辞にもバランスがよい編成とはいえないが、これがすばらしい。きっちりした編成にくらべ、偏った楽器による演奏は、ときとして各楽器の個性や能力を際立たせることがあるが本作がそうだと思う。内橋さんのギターはいつものように場面をバシバシ転換していく、過激で具体的な魅力に満ちているが、なぜかわからんけど林さんのサックスが妙にクローズアップされて聞こえ、うわあ、かっこええ! と叫んでいると、そこに古澤さんと外山さんのドラムがからむという至福状態。うーん、これはずーっと永遠に聴き続けてもええなあ。とにかく即興なのだが、そして内橋さんはもろにエレクトリックなのだが、印象としては「これぞまさしくアコースティック」というもの。それは4人の奏者がみずからの個性を、まえもって準備することなしに、その場で露骨にぶつけあっているからだろう。現場に4人がいる、という感覚……それこそがアコースティックを感じさせるものなのだ。このアルバムがどういう内容であるかをここで文章で説明してもむなしいので、とにかく聴いてもらうしかない。そういうライナーノートを何度も読んで、「ライナーやねんから言葉で説明せえよ!」と思ったものだが、いやはやこれは口では言えんわ。林さんの名前がいちばん先に書いてあるが、プロデュースおよびミックスを内橋さんがしているのでこの項に入れた。

「UCHIHASHI KAZUHISA KATO TAKAYUKI DUO」(FULLDESIGN RECORDS FDR−2014)
内橋和久+加藤崇之デュオ

 最近すごく忙しいのと、仕事部屋の暖房がぶっ壊れて、部屋に入ると北極のように冷たいので、べつの部屋で仕事しているのだが、CDとかレコードは全部仕事部屋に置いてあるので、その間ずーっと、同じCDをひたすらかけている(取りに行くのがめんどくさいからね)。というわけで、その「同じCD」というのが本作なのであるが、たぶん10回は繰り返して聴いたと思うけど、まったく飽きないし、聴くたびに新しい発見がある。これはよく聞くフレーズではあるが、このアルバムに関して「まさにそのとおり」としか言いようがない。ふたりのギタリストの即興演奏によってこれほどひとの心を打つ演奏ができるというのは驚異です。もう、世のなかには、作曲とか編曲とかドラムとかピアノとかサックスとかトランペットとか……そういったものは一切不要であって、ギター2本さえあればすべては救われるすべてははじまるとさえ思う。もちろんそんなことは幻想であり妄想なのだが、そう思いたくなるほど2本のギターであらゆるものが表現されているように思う。「聴くたびに新しい発見がある」のもあたりまえではないか。いや、ほんと、そうなんですよ。何遍聴いても、情報量が多すぎて、えっ、こんな箇所あったっけの連発である。集中して聴いてるつもりやねんけどなー。というわけで、すごいです。ギターにはほんとにあこがれるし、腹立つし、うらやましいし。そういうアルバムである。なお、対等のデュオだと思うが、便宜上、先に名前の出ている内橋さんの項に入れた。

「IMPROVISATIONS 2」(MAGAIBUTSU LIMITED MGC−30/31/32)
UCHIHASHI KAZUHISA YOSHIDA TATSUYA

 これはもう「極楽の音楽」と呼ぶしかない。3枚組で3500円という価格も破格だが、そこに詰まっている音楽の極楽ぶりといったら半端ない。宝の山というか、掘っても掘っても掘り尽くせぬ金鉱というか、この3枚組を持っているだけで、ああ、この演奏をいつでもどこでも楽しめるなのだ、という豊かな気分になれるというか……とにかく即興好き以外にも、あらゆる音楽好きにおすすめしたい。ギターとドラム(とヴォイス)だけでこれだけ豊饒な音楽が作り出せるのだということに驚くしかない。凄まじくもかっこいい、最高の瞬間が、テレビのチャンネルをどんどんザッピングしていくように、つぎつぎとなだれをうって押し寄せてくるので、1曲聴くごとに「ふわあ〜っ」となる。そのバラエティたるや半端ないのだが、それも、「ちょっとバリエーションにやってみました」的な軽い感じではなく、そのときそのときはそこ一直線で演奏がまっしぐらに行われているので、こちらも身構えるひまもなく、一瞬でびびゅーんっと持っていかれてしまう。それぐらいのパワーと説得力と強引さがある。冒頭から延々とひたすら快感の連打が続くので、死にそうになる。いやもう、これ以上書けんなあ。この音楽をフリージャズとかインプロヴィゼイションとかロックとかノイズとか……なんと呼ぼうと自由だが、音楽史に残るようなとてつもないモンスター級の演奏だということはまちがいない。もう、死ぬほど好きです。こういう演奏が、日々、日本の、いや世界中のどこかのライヴハウスで行われているのだから、今、このときの音楽シーンこそが史上最高なのだ。昔はよかったねとか抜かしてるやつは全員坊主になれ(ほんとうは死ねといいたいところだが、そんな暴言を吐くわけにはいきませんからね)。で、内橋さんと吉田さんのデュオがとにかくあまりに最高最強なので、ゲストなんかいらんがな、と思ったりするのだが、ゲストが入ったら入ったで、それはそれでまためちゃめちゃ最高最強なのだから、もう知らん! と言いたくなるぐらい、この3枚組はすごい。梅津さんのバスクラ、アルト(あとたぶんソプラノも)はぶっ飛んでいて、とんでもない演奏をしているし、佐藤研二のベースもナスノミツルのベースも山本精一のギターもめちゃくちゃかっこいい。アルトの小森慶子は2曲しか入っていないけど、存在感ありますなー。というわけで、毎日聴いても飽きないであろう極楽浄土の3枚組。音楽でも小説でも、TPOによってジャンルわけが必要な場合と必要でない場合があるし、ものによってもジャンルわけが必要な音楽とそうでない音楽があるが、この音楽はまさにジャンルわけが不要だろう。ひたすら没頭して聴くべきだし、そうするしかないです。こんな楽しい音楽はない! マジか? マジです。デザインもすばらしくて、ほんと、(沼田さんが帯で書いているとおり)家宝です。

「ALTERED STATES−4」(ZENBEI RECORD ZEN−003)
ALTERED STATES

 アルタード・ステイツのアルバムはかなりあるが、もしかしたらこれが一番好きかもしれない(ちがうかもしれない)。ニッティングファクトリーでのライヴ。シンプルかつ大胆で、ひたすら疾走する。ゆっくりしたスペーシーな演奏であっても、その疾走感は薄らがない。なんというか、即興なのにゴールがあるような感じなのだ。そのゴールが、聴いているものが思っているゴールとはちがっての遥か彼方にあり、そこへ向かって一直線にぶっとばしているみたいに思える。たぶん本人たちはそんなことを考えておらず、気持ちのおもむくままなのだろうが、どうしてそんなことを思うかというと、たとえば1曲目冒頭の、ノーリズムのフリーインプロヴィゼイションのように聴こえる部分からして、この「間」にスピードがある。この凄まじい一体感とスピード感、まっしぐらにひたむきに突き進んでいる感覚が、どう考えても結末がわかっていて、そこへ向かう求心力のような気がしてしまう。もしチャートなしで走ってるのだとしたら、とてつもない自信とメンバーへの信頼のたまものだろう。それぐらいとまらずに突っ走っているということだ。とくにこの4作目はそういう「突っ走る感」が強い。即興もコンポジションも区別は必要ない。彼らはどっちからどっちにも楽々と行けるからだ。変なヴォイスもいいですねー。1曲目のラストに内橋さんのチューニングの音が入ってるのも笑える。2曲目のユーモア感覚も楽しい。3曲目の頭のほうに「チキン」のベースラインみたいなのが入ったり、最後のほうで「とんとんとんからりと隣組」が入るのも楽しい(3曲目は、本当にどんどん曲調が変わっていくのですごい。まあ、そういう人たちだが)。そして、結局私は内橋さんのギターが死ぬほど好きなのだ。今から20年まえ、ノリにのっているアルタード・ステイツのすばらしい記録である。そして、アルタードは今でも荒野を走り続けているのだ。(便宜上、内橋さんの項に入れておきます)

「AWESOME ENTITLES」(DOUBTMUSIC DMF−168)
KAZUHISA UCHIHASHI AND RICHARD SCOTT

 内橋さんはギターとダクソフォン、リチャード・スコットはモジュラーシンセという組み合わせらしい。内ジャケの写真を見ているだけで萌える。とにかくこんな面白い音楽はない。演奏者はたいへんもしれないが、聴き手としては、CDかけてスピーカーのまえでじっと聴いてれば壮絶な快楽体験が味わえるのだから、簡単すぎて笑えてくる。さまざまな音色、さまざまなリズム、さまざまなボルテージ……をもった音塊がつぎつぎとひっきりなしに降ってきて、ときに渦を巻き、吹き荒れ、過ぎ去ったあとにはなんの痕跡もとどめない。そして、すぐにつぎの音塊が降ってくる。まるで幻術である。お茶の葉っぱ程度の小さなものから宇宙規模の壮大なものまで意味があったりなかったりいやそこに意味を聞き取れたり聞き取れなかったりする数々の物語が猛スピードで行き過ぎる。ああ、そうかこれを走馬灯というのかなどと考えているうちに曲はつぎへと移り、すべてはなかったことになって広がるのは豊饒の荒野だ。ここにある音は気持ちよかったり気持ち悪かったりするけど、結局はすべて気持ちいいのだなあ……とか、わけのわからないことを書き連ねたくなるほどにこの音楽はすばらしい。すばらしすぎて笑えてくる。こういう音楽は、ネタがつきてしまうと、つまりはイマジネーションがつきてしまうとおしまいなのだが、このふたりは無尽蔵なイメージを持っているらしく、永遠にネタが尽きることはない。いやー、どれだけふところが深いのか、どれだけ多くのアイデアを持っているのか、驚くしかない。もちろん、そのアイデアを瞬間的に音にする演奏力も不可欠だし、とんでもなく長い音楽的経験をふまえた結果だとは思うが、それを、音を鳴らした瞬間にいきいきとした「今」の音に変換して放出するのはやはりすごいひとたちなのだ。ダクソフォンは究極の「生楽器」だと思うし、モジュラーシンセも「人間」を強烈に感じる。こういう音楽も、いや、こういう音楽こそエンターテインメントとしても楽しめるのだということを何度も主張してきたが、このアルバムについても強くそう思う。このアルバムをでかい音で真剣に聴いて、そして楽しんでほしい。いや、ぜったいおもろいって! 7曲目がなぜか異常に好きで繰り返し聴いている。

「LITHUANIA AND ESTONIA LIVE」(TRIGRAM TR−P903)
ALTERED STATES FEATURING OTOMO YOSHIHIDE

 めちゃくちゃすばらしい! アルタード・ステーツ単体でもすごいのはわかりきっているが、ゲストに大友さんが加わって、とんでもない爆発を起こしている。ゲストが入ると、トリオの緊密なコラボレーションやシンプルさが失われる場合もあるかもしれないが、大友さんはここではゲストというより完全にレギュラーメンバーのように溶け込み、また自己主張していて、その結果が異常にすげー音絵巻となっていて、興奮興奮また興奮。ここでの大友さんはターンテーブルが主だが、これがリトアニアとエストニアでのライヴというのもまた面白い。ある種の主張というか、イラク攻撃のニュースやら進軍ラッパやらデモの中継やらなにやら日本語がわからないと伝わらないような音源があるからで、それをこうして日本で聴けるというのもめちゃくちゃありがたいことである。スーパー・ジェッターやハーレム・ノクターンには笑った。恣意的なようで、かなり意図的でもある。きちんと効果を狙ってたうえでの即興的選択なので、それをちゃんと受け止められるように聴くだけだ。それ以上は言うことがない。いつものようにすごい。いやー、これだけすごいと感想が出てこんなー。副プロデュースとミックスは内橋さん。傑作。

「TALKING DAXOPHONE」(INNOCENTRECORDS 2017 ICR−023)
KAZUHISA UCHIHASHI

 内橋さんのダクソホンのソロアルバムは本作がはじめてだそうで、そのことにまず驚いた。そして、私がこのアルバムを購入していなかったことにも驚いた。知らんかった。広瀬淳二さんとのデュオは死ぬほど聴いたのに。で、本作は今年(2019年)の頭にたまたま東京に用事で行ったときピットインで梅津和時大仕事を見て、そのときの物販で買ったのである(メンバーは梅津さん、元ちとせさん、内橋さん、そして芳垣さん)。それ以来、ずーっと毎日、日課のように聴いているが、タイトルどおり、ダクソホンがしゃべっている。もともとダクソホンという楽器は人間の声というか、人間がしゃべっているように聞こえる楽器なのだが、ここでは本当に内橋さんが腹話術師のようにダクソホンをもうひとりの人間としてしゃべらせているような感じである。すごいなあ。内橋さんの音楽については、何度も書いたけど、私の頭のなかにときおり鳴っているけど、ほかのひとには聞こえていないノイズ……があのひとのギターソロとかに近いので、とにかくひたすら好き好き好き好き状態なのだが、このダクソフォンソロもそんな感じである。こういう音、朝起きてしばらく布団のなかでボーッとしているときや、雑踏のなかをしんどいなあ、とか言いながらほつほつと歩いているときや、電車のなかで本を読んでいるとき……なんかに頭のなかで鳴っている頭蓋骨のきしみというか耳や骨を伝わって入ってきた音の増幅というか脳のどこかで発生したノイズというか……そんなものがリズミックに聞こえていて、そのこと自体に気づかないことがあるのだが、それはまさに「こういう音」なのだ。内橋和久が私にとってワンアンドオンリーなミュージシャンである理由のひとつである。傑作としか言いようがない。アルバムデザインもかっこいい。

「LOOP HEAVEN」(R−RECORDS RRCD011)
UCHIHASHI KAZUHISA ONO RYOKO

 最初は、アルトの生音でしずしず……とはじまるのだが、それが次第にひくひく、ぐぷぐぷ……と増殖していき、気がついたらとんでもないことになっている。小埜涼子も内橋和久もともにルーパーの使い手なので、複数の音を出し、そこにまたかぶせていく……という一種のタイムマシンのような行為をしているのだが、ふたりが同時にそれを行いながら触発しあい、しかも、それが内橋和久と小埜涼子というめちゃくちゃすごいふたりなのだから、結果はもう聞くまえからわかっていた。そう、こうなるということは。こうなってしまったのだ。いやー、このアルバムはほんとに良かった。50分一本勝負の即興だが、正直、ひたすら楽しく、刺激的で、興奮するすばらしい音が詰まっていて、聴いてるとニコニコ顔になり、よだれがダラーっと出るような状態になる。まさにタイトルどおり「ループ・ヘヴン」である。この、ふたりのすげー即興演奏家の異常なまでの集中力とテクニックと、それともちろん音楽性によって、この50分の即興ドラマができあがっているわけで、こんなすごいことはこのふたりでないとできないのです。「できないのです!」と私が声を大にしてもしょうがないのだが、とにかくこの一期一会の演奏がこうしてCDになって、現場に居合わせなかった私も楽しめる……という幸福を噛み締めたい。ふたりの「人間」が対峙している、と思える部分もあり、壮大なオーケストレイションが形作られていく過程とその結果を見せられる部分もあり、クラシック、ジャズ、ロック、民族音楽……などすべてを含む「音楽」というものの根幹にあるようななにかを突きつけられているような気もする。大げさな書きかたのように思えるかもしれないが、私としてはもっと強い表現を探しているぐらいのとてつもない演奏で、この最高の至福を世界中のひとと分かち合いたい。こういう作品を聴ける、というのも生きてりゃこそである。いやマジで。聴けてよかった。内橋さんと小埜さんに感謝。傑作。

「IMPROVISATIONS 5」(MAGAIBUTSU LIMITED 2020 MGC−57/58)
UCHIHASHI KAZUHISA YOSHIDA TATSUYA

もう超めちゃくちゃかっこいい。死ぬほどかっこいい。かっこいい以外の言葉が見つからん。まあ、このひととこのひとのデュオだとしたらこうなるわなあ、という感じだが、冒頭から飛ばしに飛ばしている。デュオというのはこれでいいのだ。好き放題に、自由に勝手に、やりたいようにやればいい。ここに収められた曲はすべて即興なのだろうか。だとしたら、これはとんでもないことだと思う。2枚組全21曲のこの演奏は、「即興だろうがコンポジションだろうが関係ない。いいものはいい」「どう聞いても即興に聞こえないからすごい」「よくわかり合っている相手同士だから即興でもいかにも準備してきたような演奏ができる」「手慣れてる感じ」「即興だからこそすばらしい」「即興でないとダメみたいな風潮はよくない」「即興なのに即興のように聞こえないのはすごい」……みたいなしょうもない言説をぶった斬る。そして、結果として、音楽における「即興」というものの意味を聴き手に突き付ける。だが、それだけではない。重要なのはこの演奏がハイクオリティなエンターテインメントとしても十分成立していることで、でないと2枚組、聞きとおすのはむずかしい。この音楽は、即興とコンポジションという区別を超越しているだけでなく、芸術とエンタメという区別も超越している。しかし、考えてみればほとんどの「めちゃくちゃええもん」はそういう区別とは無縁である。例を挙げようとしたが、とにかくすべてを列挙しなくてはならないのであきらめた。ただ言えるのは、この演奏が「かっこええ」ということだ。もちろんかっこ悪くてもいいのだが、ここに収められている演奏はかっこええ。そして、そのかっこよさには「即興」であることはやはり大きくかかわっていると思うのだけどなー(ものすごく「生もの」な感じが演奏の細部からビシビシ伝わってくる。これはなにものにも代えがたいのです)。あとは圧倒的な技術力とか音楽性のこともものすごく重要だと思うが、それを語るには私では役不足である。まあ、聴いたらわかる……というおなじみの結論になってしまうが、ほんまにそうとしか言いようがない。傑作。なお、対等のデュオだと思うが先に名前の出ている内橋和久の項に入れた。

「CAFE 9.15」(PHENOTYPE PP−001)
ALTERD STATES WITH NED ROTHENBERG

こんな滅茶苦茶凄すぎる音楽を私は言葉をもってレビューすることなどできないので、ひたすら手足を振って踊り続けるしかない。評論家の人たちはこの音楽をなんとか言葉で表すことを要求されるわけで、あー、音楽評論家でなくてただの小説家でよかった、と思う。ネッド・ローゼンバーグというと即興の鬼みたいなイメージがあるが、ロック的な激しいリズムが根本にあるアルタード・ステイツとうまく融合するのか、と思っていたが、はじめて生で観たときにその完璧といっていいコラボレーションに驚いた記憶がある。冒頭、いきなりはじまるネッドのアルトソロの過激さにまず「おおーっ」となるが、そこに絡みまくるアルタード・ステイツの3人の躊躇なさにも感動する。ネッドと内橋和久の容赦のないインプロヴィゼイションの応酬、ベースとドラムの千変万化するがつねにグルーヴする激しいリズム、「フリーなロック」としか言いようがない演奏で、これは正直、だれが聴いても「すげーっ」というタイプの音楽だと思う。こういうのをそれまで聴いたことがなくても、たぶんすんなり頭に、そして身体に入ってくるだろう。それにしても、アルタード・ステイツとネッド・ローゼンバーグの相性のよさは異常なほどだ。ギター〜エレベ〜ドラムというスリムで先鋭的なロックバンドのフロントにバスクラリネットがドーン! と入っていてなんの違和感もない。ネッドの驚異的というか超人的なテクニックと管楽器で表現されるすさまじいリズム感のせいだと思う。アコースティックな管楽器の過激なブロウとストイックなロックの接点がこういうフリーインプロヴァイズドミュージックあるというのはうれしいことだし可能性は無限に広がる。「自由」という言葉はこういう音楽にこそ使いたいですね。至福の音楽体験が詰まっている最高の作品。最後の最後(11曲目)の怒涛の展開はタイトルどおり三蔵法師一行が天竺に到達した、ということか。傑作!

「SINGING DAXOPHONE」(INNOCENT RECORDS ICR−025)
KAZUHISA UCHIHASHI

 ダクソフォンによる数々の即興を行ってきた内橋和久が「曲」を奏でたアルバム。ダクソフォンを知らないひとが聴いたら、普通にシンガーがスキャット的な唱法で歌っていたり、トランペットが吹いていたりするアルバムだと思うかもしれない。これまでダクソフォンは人間の声にめちゃくちゃ近い、ということはわかっていたが、こうして「曲」を演奏されるとそれはもうほとんど人間が歌っているのと同じである。まさに「シンギング・ダクソフォン」! それはラストの「ファット・ア・ワンダフル・ワールド」で思い切り、あからさまに提示されるが、これはダクソフォンという楽器によるインストゥルメント演奏であるにもかかわらず、聞こえてくるのはサッチモの声なのである。人間の声とはなにか、ヴォーカルミュージックとはなにか、そして、「メロディ」とはなにか、ということまでこの演奏は我々に突き付けてくる。もちろんそんなややこしいことを考えることもなく、ひたすらこのすばらしい演奏を楽しめばよいし、そういう風に作られており、そのあたりも内橋さんのセンスに感動するところだ。選曲も最高で、この配列……見事としか言いようがない。天才だよなー。ジャケット、めちゃくちゃいいなー、と思っていたのだが、よく見るとこれは「ベルリンうわの空」の香山哲さんではないか! ほんとにすばらしいジャケットで、グッズとかあったら買いたいぐらい。マジで最高のアルバムなので、インプロヴィゼイションが、とか、フリージャズが、とか、ノイズが、とか言ってるひとはもちろん、まったくそうではない、普通に音楽好きの若者(でなくてもいいけど)に聞いてほしい。ぜったいシューン!と身体のなかに入ってくるはずである。傑作!!!