kazutoki umezu

「SHOW THE FROG」(DOUBT MUSIC DMS−104)
KAZUTOKI UMEZU

 ありそうでなかった、梅津さんのバスクラソロのみのアルバム。もっと前衛的な、重たい内容かと思っていたら、意外と、スタンダードやバラードをやったり、と、すごく聴きやすくて、ユーモアもしゃれたところもあり、しかも、技術的にはほれぼれするぐらい完璧で、一回聴き終えると、また聴きたくなるような、実に、ちゃんと考えて作った「アルバム」になっている。いや、即興で、ガーンと二曲ほど録って、あとは知らん、みたいなのも大好きだが、バスクラのソロアルバムで、こういうものができるとはなあ、と感心した。ジャケットのセンスもよくて、ほんといいアルバムだと思います。

「その前夜」(BRIDGE−049)
集団疎開 LIVE AT 八王子アローン

 ずーーーーーーっと欲しかったこのアルバムが再発されたというので、その日のうちに梅田のタワーレコードまでわざわざ買いにいった。ジャケットやライナーも「時代やなあ」と思わず嘆息。ドラム、ピアノ、アルト二本という変則的な編成だが、楽器のバランスよりも同じ志をもったものたちが集まった、という感じのグループである。聴いてみて、ほんと、「ああ、わしゃあ、こういう音が好きだ」と絶叫したくなるような、熱い、熱い、暑苦しい音がつまっている。あー、楽しいなあ。何度も聞き返したが、そのたびに「楽しい」のだ。音はかなりシリアスで、今の目からみると「暗くて重い」音なのだが、私にはめちゃくちゃ楽しく聴こえる。小山みつるというひとの、当時(1976年)のライナーノートがおもしろいので引用すると、、「いわゆる音楽を追い続けた渡辺貞夫が東京虎ノ門の国立教育会館で光栄なる昭和51年度芸術祭大賞をなんとか文部大臣からいただいて、いまや日本ジャズ界の老人たちはバンザイバンザイの連発で、日の丸片手にドラムを、ベースをサックスを片手にジャズが芸術として日本に認められたとはしゃいでいる。それがまたそれ、流行好きのにいちゃん姉ちゃん、おじさんがやんやヤンヤとコンサートに出向き、JBLなんかが置いてある部屋に辺貞(原文ママ)のポスターを張り、二千五百円も払って公害を買ってばらまいている。田舎で牛を追いかけてるおいら……、辺貞ら主流派?の連中はもうすでに死んでしまったと決めつけているのに……、やつらのジャズの中には牧場で牛がモーッとなくほどの感動すらありゃしない」……なかなか露骨な文章である。このあと、山下トリオをけなし、「既成の主流派ジャズメン、鍵谷、岩波らのエセ評論家がのさばっている現実場面」を塗り替えろ、とアジる。非常に痛快である。これはこのまま、このグループ「集団疎開」の鬱屈したようなパッションに通じるものがある。今、こういう音はどこで聴けるのかなあ……。ライナーを読むかぎり、四人対等のバンドのようだが、梅津さんの名前がいちばん多くでてくるので、一応、梅津さんの項目に入れました。

「ワルツ」(NANI RECORDS NCD−1003)
ベツニ・ナンモ・クレズマー

 梅津さんの活動のなかではあまり興味を持っていなかったクレズマー関係だが、いろいろあって考えを改め、おおいに反省しつつ、このアルバムを購入。一曲目を聴いてみて、うわー、こんな凄いものを聞き逃していたとは……と猛省。一曲目のボーカル曲からすっかりとりこ。どの曲も、たしかに異国情緒あふれるのだが、どこか日本的なところもあり、チンドン的でもあり、またフリージャズ的でもある。こういったマイナーグルーヴの演奏というのは、日本人の心にぴったりなのだなあ。やはり日猶同祖説というのはあながちでたらめではないのかも……などと思ったりした。巻上さんの声もいつまでも心に残る。最高のメンバーが集まっているが、なかでも梅津さんの「うまさ」が光る。とにかくクレズマーとかロマの音楽とかいうのは、テクニックも重要な表現力のひとつだから、うまさというのはこのグループにおいては大事なことなのだ。

「アヒル」(NANI RECORDS NCD−1002)
ベツニ・ナンモ・クレズマー

 ちょっと自分で自分にびっくりした。ラストの曲「アヒル」を聞いているとき、あまりによくて、涙が出てきた。こんなことはめったにない。東京ナミイがアヒルみたいな声で歌うところの歌いっぷりがたぶん琴線に触れたのだと思うが、とにかくこのアルバムはあまりにすばらしい。ベツニ・ナンモ・クレズマー万歳。メンバーに、野本さんや板谷さんなど、物故者の名前が見えるのも、しみじみする。この音楽は時代を越えると思う。傑作。めちゃめちゃ傑作。

「大雑把」(BLUES INTERACTIONS PCD−4389)
シャクシャイン

 グルーヴ! 一曲目を聴いて、ああ、これはソロがどうのこうのというより、ただひたすらグルーヴすることを目的としたグループなのだ、と思った。もちろん、グルーヴといってもいろいろあって、リズムボックスでドラムンベースでもグルーヴする。このバンドは、「ちょっとしたひっかかり」のあるメンバーを集めて、そのうえでグルーヴしているので、ただのグルーヴではなく、大きな、底深いうねりになっている。その頂点を梅津さンのアルトがとぐろを巻くようにして駆け抜けていく。ああ、会館……じゃない、快感。全曲、作曲がいいし、ソロもいいが、とにかく聴くべきは、全員が一丸となってのグルーヴであって、個々のソロもそのために奉仕しているのだ。しかも、踊れればいい、ソロなんか聴かなくてもいい……みたいなおざなりのソロではなく、ソロが爆発すれば、それが火に油を注ぐというか、全体にガソリンを入れることになり、バンドのグルーヴがますます燃え上がる……という結果を生む。これは、向かうところ敵なしですなー。めっちゃ気持ちいい。永遠にリバースして聴いていたような地獄のグルーヴを作り出すためのバンド。梅津さんがソプラノを吹いている点も、それを裏付けていると思う。タイトルとは裏腹で、まったく「大雑把」ではない、怒濤のノリが隅々まで注意深く行き渡った、感涙の一枚。傑作です。

「EIGHT EYES AND EIGHT EARS」(ITM 1412)
DOCTOR UMEZU BAND

 DUBになる直前のアルバム。海外での録音、しかもスタジオ……ということで、一種のドクトル梅津バンドのショーケース的な内容になっている。しかし、このアルバムが出るまでのドク梅バンドのアルバムは、ゲストが入ったりした変化球的なものが多く、かえって本作がいちばんストレートアヘッドなこのバンドの魅力を伝えているかもしれない。何度も生で観たが、たしかに本作のような演奏だった。私がいちばん興奮したあの音が、このアルバムでは聴ける。曲も、おなじみのナンバーがそろっており、録音も良く、梅津さんと片山さんの豪快かつ繊細なブロウが存分に楽しめる。最高傑作かどうかはわからないが、めちゃめちゃ好きな作品です。今回、聴いていて、なんども「おおーっ!」と叫んでしまった。日本のジャズはこのときここまで行っとったんやで、おまえら、よう聴けよ! と叫びたくなるような傑作である(だれに向かって叫んでいるのか?)

「DANKE」(NEXT WAVE 25PJ−1007)
UMEZU−HARADA DUO

 めちゃめちゃ好きっっっっっ!! 学生のころ、本作をはじめて聴いたときは、あまりに私好みなので、笑い出してしまい、聴きながら身をよじり、ひっくり返り、そうかそうかそうだったのか、こうゆう風にやればいいのだ、と膝を叩きまくったものだ。もしかしたら梅津さんの作品のなかではいちばん好きかもしれない。もっとすごいアルバムもたくさんあるだろうが、いちばん身近に感じるアルバムだ。冒頭、原田依幸のフリーなピアノソロが出発して、ぐんぐん加速し、ここぞというところで梅津のアルトが渾身の力で飛び出していくところなど、何度聴いてもかっこいいし、演奏が終わった瞬間、ベルリンの観客たちが総立ちになって怒濤の拍手を送っているようすも如実に捕らえられており、普段はそんなことは思わないが、(日本人として)思わず感激したりする。B面は日本でのスタジオ録音だが、これもなかなかよい。でも、やっぱりライヴのA面にとどめをさすなあ。ピアノとアルト(あるいはバスクラふたり)という小編制で、これだけの即興が形作れ、しかもリズムにあふれ、ユーモアも毒もなにもかもが詰まっているような演奏……ほんとうにすばらしい。とにかくものすごく影響を受けた。宝物のようなアルバムであります。対等の作品だと思うが、先に名前のでている梅津さんの項にいれた。

「ANOTHER STEP」(UNION JAZZ ULP−5004)
KAZUTOKI UMEZU/MAL WALDRON

 梅津さんはなにをやらせてもうまい。うますぎる。だが、こういったまとも(?)な4ビートジャズのレコードというのはもしかしたらあとにも先にもこれ一枚かもしれない。それはマル・ウォルドロンとの共演という一種の「重石」があるせいで、自分勝手にめちゃくちゃできない、という制約ゆえのことだろうが、それがこのアルバムに一本芯の通ったコンセプトを与えることになった。たぶん、これが全員日本人だったら、梅津さんはもっと逸脱していたのではないだろうか。いつもの梅津さんに比べると、アルトの音色とフレーズだけで勝負しているが、だからといってパワーダウンしているわけではなく、逆にそこにエネルギーを注ぎ込んでいるためか、非常に聴き応えがある。梅津さんのオリジナル曲もよく(とくにB−1はかっこええ!)、スタンダード(「ラウンド・ミッドナイト」)も逸脱しすぎず、真っ向から受け止めての演奏であり、こういう梅津さんもいいですねー。

「沖縄浮浪」(DISK AKABANA SKA−3002)
梅津和時

 梅津さんが沖縄のあちこち(店やライヴハウスだけでなく、路上や市場や海岸や洞窟などなど)でソロサックスを吹き、それを録音した一種のドキュメント。これが最高にいい。かっこいい。しびれる。露骨である。リアルである。即興である。そして、若干予定調和的である。そこがいい。そのバランスがいい。芸術であり、演歌であり、ジャズであり……なにより沖縄である。沖縄ホーボーというタイトルがいい。聴くまえは、ソロサックスなら東京でも、スタジオでも録音できるし、なんで沖縄? なんで路上? と思った。単に演る側と録する側の「気分」の問題であって、「結果おんなじなのはわかってるけど、沖縄で録りたかったんだよなあ……」的なものか、と思ったりしたが、聴いてみてわかった。ちゃんとここには、沖縄で録音した意味がある。どういう意味かは私の文章で伝えられないが、聴いたらすぐにわかる。沖縄でのソロと北海道でのソロはまったくちがった「音楽」になる、というすごーくあたりまえのことをこのアルバムは再認識させてくれた。傑作です。

「LAND DIZZY」(EWE INC.EWCD−0053)
KAZUTOKI UMEZU”KIKI”BAND

「目眩の国」という意味らしい。ということは、ディジー・ガレスピーというのは目眩ガレスピーか。強烈なロック的グルーヴとそれに乗るエキゾチックなメロディーラインのしつこいまでの反復、そして力強いソロ……。何度も書いていることだが、これってカルロ・アクティス・ダートのカルテットの方法論と同じではないのか。しかし、そんなことはどうでもいい。梅津の吹く、力強い、異国風のメロディーを聴いているだけでトリップしてしまう。ギター(鬼怒無月)が全体的にフィーチュアされていて、そこだけ聴くと鬼怒さんのリーダー作みたいであるが、もちろん全体に梅津さんの音楽になっていることは言うまでもない。何度聴いても、とにかく心地よい瞬間しかないので、どこがどうとはいえないが、かっこええわ。

「GREETINGS FROM AFRICA」(EWE EWCD0045)
KAZUTOKI UMEZU”KIKI”BAND

一曲目、激しく重たいリズムから梅津のテナーと聞きまがうようなぶっとい音のアルトが飛び出してきて、スタートボタンを押してから数秒で、もう興奮のるつぼ。鬼怒のギターがリズムに乗って蛇のようにのたくり、踊る。2曲目もテンションは同じ。梅津さんの音楽はパワフルなリフがいくつか組みあわさっている場合が多いように思うが、このキキバンドはほかのグループにも増して、リフ以外の要素を削ぎおとし、ほんとうにシンプルな曲でシンプルなメンバーでシンプルなソロで勝負しているようだ。それにしても……ああ、かっこええ! 3曲目の冒頭のアルトの絶叫(絶唱?)を聴いて興奮しないひとがいるだろうか。アフリカにおけるライヴで、現地の聴衆が盛り上がりまくっているのがよくわかる。梅津さんの音楽はだれにでもわかるということだな。そりゃそうだろうな、と私は納得するが、たぶんこのアルバムを聴いたひとはみんな、そりゃそうだろうな、と言うにちがいない。梅津さんのアルトを聴くと、いつも「自由自在」という言葉が頭に浮かぶ。これだけ奔放に、好き勝手にアルトを吹けるひとっているだろうか。サックスの音域の最低音からフラジオのはるか高みまで、どんな音でも出せるし、音色もスピードも完璧にコントロールできる。頭のなかで鳴っている音がそのままアルトから出る。あたりまえのことのようだが、なかなかできないことですよ。4曲目のダンサブルな楽しい曲の曲名が「熊本」というのはどういう意味なのだろう。5曲目でアフリカ人(だと思う)の能天気なボーカルがフィーチュアされて楽しさは絶頂に達し、ようやくこのグループの(というか、このアルバムの)聴きかたがわかったころにはもう6曲目、ラストナンバー(アンコール曲)はおなじみの「マライカ」。手拍子も入り、最後には合唱になる。キキバンドがアフリカで完璧に受け入れられているのがわかって、感動的ですらある。内ジャケットの絵もいいなあ。

「LIVE AT MOERS FESTIVAL」(ZOTT RECORDS ZOTT−001)
KAZUTOKI UMEZU KIKI BAND

 冒頭、MCによる紹介を受けて、ガーン!と飛び出すキキバンドのインパクトは相当のもので、まるでメールスに自分が居合わせたかのような迫力。梅津がブロウし、鬼怒が弾きまくるといういつもの展開だが、同じようなことをやっていてもそのポテンシャルは常よりも高く感じられるのは、メールスという大舞台における「気合い」か。その気合いがびしびしと伝わってくるのが二曲目で、おおっ、これは名盤「目眩の国」の冒頭を飾ったあの名曲「出雲屋」ではないか。うひーっ、かっこいい! キキバンドでの梅津はフリージャズというよりロッキンサックスであり、ブロワーであり、ホンカーだ。鬼怒のギターは(これはよくそのように書いてあるが)プログレ的である。そういうバンドが、メールスでこれだけウケるというのは、やはり底にある「自由さ」がフリージャズとまったく同質のものとして受け取られるのだろう。早川岳晴のベースがいつにもまして奔放で、むちゃくちゃで、しかもどっしりと存在感を示すのもすばらしいです。

「おめでと。」(NANI RECORDS NCD−1001)
ベツニ・ナンモ・クレズマー

 もう、極楽浄土の音楽。一曲目のドイツ語で巻上公一がひたむきに、饒舌に、パワフルに歌う……この演奏だけでもノックアウトされ、二曲目がはじまるまえに、もっぺんリピートして聞いてしまう。いつでもそうする。二曲目はド迫力の「ドナドナ」で、これがまた心穏やかではおれぬ演奏。ええなあええなあ。三曲目で板谷博の破壊力満点のトロンボーンが大きくフィーチュアされているが、このアルバムの全体の印象として「板谷が凄い」というのがあって、じつにイキイキとでっかい音でめりめり吹きまくっている。「魔法使いサリー」という飛び道具もなぜかアルバムに溶け込んでいるし、どの曲もめちゃ楽しい。アルバムを通しての統一感もあり、何度でも聴きたくなるほんとうに楽しく、かっこよく、鋭く、私好みの音楽です。

「すっぽんぽん」(GOK RECORDS GKR−0103)
こまっちゃクレズマ+おおたか静流

 こまクレとおおたか静流のコラボレーションだが、これ以上ないというぐらいばっちりはまっている。どの曲もいいのだが、とくに「迷うのやめよう」というマイムマイムの替え歌(?)は、歌詞が身につまされるというか、すごく深いような浅いような投げやりなような意味深なようなすばらしい内容で、ついつい繰り返し聞いてしまう。ええアルバムですわ。

「ECLECTICISM」(KNITTING FACTORY WORKS LC5650)
KAZUTOKI UMEZU

タイトルのエクレクティシズムというのは「折衷主義」という意味らしいが、なかなか意味深なタイトルである。マーク・リボー、サム・ベネットというおじみのメンバーに,カーティス・フォークスというトロンボーンなどが加わったセクステットでのニッティング・ファクトリーでのライヴである。最初に書いてしまうが、傑作である。共演者でいうと、とくに轟音ギターと歯切れのよいボントロが秀逸だ。ライヴとは思えないアンサンブルの見事さも特筆すべきだろう。ここで聴かれるのは、いつもの梅津さんである。すばらしい作曲、すばらしい音色、すばらしいアレンジ、すばらしいプレイ、すばらしい即興、すばらしいグルーヴ、すばらしい高揚感……。どれをとっても超一級品だ。だからこそいつもの梅津さんだと断言できるのだが、ある意味、いつものとおりのようでいつものとおりではない。それは、メンバーによるものであったり、場所によるものであったりする、微妙な緊張感がなんらかの影響を及ぼしているせいかもしれないが、しかし……やっぱり何度聴いてもこれは「梅津さん」である。なにをもって「折衷主義」という言葉をタイトルにしたのかよくわからないが、コンポジションと即興、日本とアメリカ……といったブレンド具合をそう表現したのかもしれない。梅津さんに関しては、アルバムを聴くたびに、「ああ、これこそ最高傑作」と確信し、つぎのアルバムを聴くと、いやいやこれこそ、と思い、また昔のやつを聴き直すと、やっぱりこっちが……と思う。そういう意味で「いつもの梅津さん」は「最高の梅津さん」ということなのだ。梅津さんについて、いつか真面目に語りたいことがあって、それは音色(楽器の鳴り)や演奏のグルーヴ感などとシリアスな即興の関連……みたいな内容なのだが、もちろん私の手にあまることでいつまでたっても語りだせずにいる。

「ARCHEMIC LIFE」(NOT TWO RECORDS MW802−2)
KAZUTOKI UMEZU KIKI BAND

 あいかわらずめちゃめちゃかっこいい。60歳になろうとするリーダーをはじめ、この連中のなんと若々しく、なんとえげつなく、なんと尖っていて、なんと技術がありあまっていて、なんと表現したいものが大量にあって、凄まじいパワーがあることよ! ようするに創造性と娯楽性がこれほどまでにがっしりと手を結んだ演奏というのはほかにはあまり例がない、ということだ。ほんとに「心地よい」なあ。いろんな意味で心地よい。サックスのとてつもない鳴りと表現力が大きな要素をしめていることは言うまでもないし、すばらしい作曲もそれに拍車をかけているが、それだけではない。4人のメンバーが完全にひとつになって、聴くものを攻め立ててくる。こっちは防戦に必死だが、いつのまにか身体の何百箇所かを撃ち抜かれて、死んでいる……そんな感じだ。「キキバンド」は梅津さんのバンドのなかではかなり長く続いていると思うが、やはりこのメンバーというのは会うべくして会った最良に近い人選だったということか(ドラムはかわってるけどね)。あー、今回も堪能しました。レーベルも「なるほどなあ」という感じ。

「梅津和時演歌を吹く〜木管無伴奏ソロ」(DOUBTMUSIC DMS−126)
梅津和時

 衝撃作。演歌をサックスで吹く、といえば、片山広明さんがやりそうな企画であるが、梅津さんというところがまずおもしろい。そして、バンドを従えて、ではなく、無伴奏ソロというところがすばらしい。ソロであることによって、主人公は完全な自由を得て、演歌というモチーフをストレートに吹くもよし、モチーフとして好き勝手やるもよし、という状態になった。そのことがこの作品を大傑作にした理由のひとつだと思う。そして、選曲の妙、楽器選択の妙にくわえて編集というか曲順の妙もある。まず1曲目はアルトの凄まじいフリークトーンにはじまり、どうなることかと思うと、グロウルを駆使したど真ん中の演歌が奏でられる。フリーキーでパワフルではあるが、ムードサックスの王道ともいえるど迫力のブロウに、なるほど、こういうことか、とリスナーは勝手にこの企画を「見切った」気持ちになるが、2曲目「夢は夜開く」が、どこが「夢は夜開くやねん」という感じの、循環呼吸によるひたすらフリーに吹きまくる演奏で、原曲はほとんどどこにもない状態という凄まじい破壊ぶりに驚愕する。3曲目「北帰行」は、バスクラで小林旭の世界を日本のどこかの田舎に移し替えたような牧歌的な演奏で、童謡のようにも感じられるドレミファ的アドリブと木管の深い響きがすばらしい。4曲目「女の意地」はアルトによる正統派演歌サックスの真髄で、場末のスナックを思い浮かべるような、嫋々たる泣き節。完璧な楽器コントロールと一音一音考え抜かれた音色やダイナミクスの選択が、まるでオーケストラをバックにサム・テイラーがむせび泣いているかのような錯覚を生じせしめる。5曲目「津軽海峡冬景色」は、クラリネットの木の響きを前面に出したブルージーな演奏。メロディをいかした、ギミックのない素朴な演奏がかえって心に染みる(が、じつは相当高度な演奏技術が使われている)。6曲目「喜びも悲しみも幾歳月」はドルフィーの「ゴッド・ブレス・ザ・チャイルド」みたいなバスクラの名演。7曲目「矢切の渡し」はソプラノによる、まるで尺八のような余韻切々とした和風の見事な吹奏。8曲目「懺悔の値打ちもない」は1曲目と同様アルトでキング・カーティスのようなど根性の入ったファンキーなブロウをみせるが、合間合間に演歌が顔を出す。9曲目「ペンノレ」は韓国民謡だそうだが、哀愁あるメロディーラインに演歌の節回しとの共通項が感じられ、演歌のルーツは韓国だという説もうなずける。こういう曲を演奏すると梅津さんの独壇場となる。10曲目「雨の慕情」はクラリネットによる、そっとささやくような音量での演奏で、微妙なダイナミクスの変化や抑揚で表情をつけている。ほとんど低音部を使わないのでソプラノと聴きまがう、その透き通るほど透明感のある音は、くーっ……泣ける! 11曲目は「花と蝶」は、ソプラノによる10曲目と同工の演奏で、つまり、メロディを注意深く注意深く、そっと抱きかかえるようにして吹いていく。精神性の高い演奏。12曲目「無言坂」はクラリネットによる演奏で、玉置浩二の曲だが、梅津さんはまるで古い日本のわらべ歌のように吹く。こうして4曲ほど、か細く美しい音色による演奏が続いたが、13曲目「なみだの操」は一転してまたド演歌ブロウに。スタッカートとグロウル、こぶしのまわしかた、激しい持ち上げ(ベンド)、おおげさなビブラート……が演歌サックスの肝だな。最後14曲目は「リンゴの唄」。クラリネットによる、リンゴの果実を大事に手の中で温めるような、素朴で、飾り気のない、温かい演奏によって、このアルバムは締めくくられる。日本の心「演歌」のフリージャズ的解釈だ、とか、黒人がブルースやスピリチュアルソングに回帰するように日本人である梅津が原点に戻ったのだ、とか、そうではなくて梅津はいつもどおり素材を揶揄しているのだ、とか、これはフリージャズでもなんでもなく、ごくストレートな演歌だ、とか、いや、そのベースには前衛精神が息づいているのだ、とか本作を聴いていろいろなとらえかたがあるだろうが、とにかくそういうことをすべて梅津印に染め上げているのだからアッパレというしかない。これを、アイラーの作品のように聴こうが、日本酒を飲みながらバックに流そうが、聞き方は自由だと思うし、そのどちらもできるという稀有な作品であります。

「PLAY TIME」(LONG ARMS RECORDS CDLA04062)
KAZUTOKU UMEZU & VLADIMIR VOLKOV

 ロシアでのスタジオ録音。完全な即興デュオだが、梅津さんはアルトだけ、ボロコフもウッドベースだけで、この豊饒な世界を作り出している。サックスの「鳴り」やベースの「鳴り」、どちらもアコースティックな輝きのみでできていて、ものすごくものすごくものすごく説得力がある。電化して加工したサウンドは説得力がないのか、と突っ込むひともいるかもな。「アコースティックならでは」の説得力ということです。ついでにいうと、アコースティックといっても電気を使ったマイクで、電気を使った機材で録音してるんだろ? 完全なアコースティックサウンドなんか、録音された音楽にはありえないよ、とかいうツッコミもあるだろうな。そらそうですわー、と答えておきましょう。だが、ここに聴かれるものはまぎれもなく人間の息が吹き込まれた金属管が震動して空気中に放出される音と、木でできた巨大な弦楽器を人間が指で鳴らすことによって得られる音だけによる圧倒的に存在感のある音楽だ。で、このアルバムだが、裏ジャケットには6曲入っていることになっているが、実際には7曲入っていて、それも隠しトラックとかボーナストラックではなくて、1曲目のまえに5分強の演奏が入っている。なので、ジャケ裏の曲リストにある曲名と中身が果たして正しいのかという問題がある。もちろん、そんなことは気にせずに楽しめばいいのだが、ちょっと示唆的な曲名もある。たとえば1曲目は高音で細かいフレーズを弾きまくるアルコベースとアルトの演奏で、「イントロ」という曲名になっているが、これがイントロなのかそれとも2曲目がそうなのか。全部ずれてるのではないのか。よくわからなん。それにしても1曲目にしていきなりクライマックスが来た感じで、とてもイントロとは言えないすごい演奏。2曲目は「ジャスト・ジャズ」というタイトルだが、どこがジャスト・ジャズなのかと言いたくなるような、でも、いやまて、たしかにジャスト・ジャズといえるかもと言いたくもなるような演奏(速い4ビートになるところがあるからね)。つまり、ジャズに根ざしてはいるが、ジャズから遥か遠い高みまで達した即興。後半、梅津さんがメロディックになるあたりが、一瞬で空気が変わっておもしろい。これも、1曲ずつずれてきているかもしれないので、意味のない分析。3曲目の「サムシング・スラヴィック」というのは、たしかにスラブ風の部分もあるが、梅津さんの吹く旋律が逆に日本風だったりしておもしろい。これもずれてきて……あ、もういいですか。5曲目の「サムシング・ジャパニーズ」というのは、これはもう「どこが日本風やねん!」とキレそうになるほどの純粋無垢な即興だが、どこかに日本人としての梅津さんが顔を出しているということかも、と思えば思える。4曲目は(順番が逆になったが)、「ヒー・ガット・リズム」というタイトルどおり、リズミックな音をぶつけ合うような演奏ではじまり、途中からは間をいかしたやりとりになる。ジャズっぽいリフがでてきて、ベースが狂ったような声を出しはじめるところなんか、もうめちゃかっこええなあ。6曲目は即興の極地で、梅津さんは(ノイズや唾液の音なども含めて)サックスから信じられないぐらい多彩な音を引きだし、それを継続し、拡大する。ボロコフもベースから千変万化の音色とリズムを引きずり出す。どちらも、そのときそのときの互いの音に対して一番あった音を引っ張り出しているので、説得力があり、なおかつ自然だが、何よりも迫力満点でこのアルバム中の白眉といっていい演奏かもしれない。7曲目は(なぜかジャケット裏の曲リストには載っていないが)、びんびん鳴りまくるリアルなフルトーンのアルトの音色とアルコベースによるガチンコな演奏で、私が「ジャズ」を感じるのはこういった、フリージャズ的な演奏のほうだ。ジャズの尻尾をひきずったような即興というべきか。こういうのが一番好みにあうようです。「プレイタイム」というのは「休憩」という意味だそうだが、正直言って、全編かなりテンションが高く、くつろいだ休憩ではないようであります。傑作。

「FACE OUT」(ZOTT RECORDS ZOTT−101)
KAZUTOKI UMEZU × CALVIN WESTON

 これは凄いよ! サックスとドラムの即興デュオというと、フレージングとフレージングが互いにからみつくような演奏になると思われるかもしれないが、このふたりのデュオは、梅津さんはいつもの梅津さんなのだが、カルヴィン・ウェストンがフレージングではなくビートやリズムでそれに反応するのだ。ドラマーがビートでコミュニケイトしようとするのは当然のことだが、フリーフォームの演奏の場合、片方がビートだけを提示し、もうひとりがフレーズを吹いていると、サックス奏者のソロ演奏みたいになるのでは、という思いからか、なかなかそういう演奏はない。しかし、ものすごいプレイヤーがふたりそろうと、そういうやりかたでもすばらしい演奏が成立してしまうのだなあ、と感心した。デニス・チェンバースが以前、ジョン・スコフィールドのバンドだったかで、このバンドでは俺はほかのプレイヤーの即興に対してフレーズではなくビートで応えるようにしている、と語っていたのを思い出した。実際、ここでの梅津さん演奏はいつにもまして凄まじく、ブロウにつぐブロウでつねに攻めまくり、自分のいちばんいいところを出そうとしているように聞こえる。それに対してカルヴィン・ウェストンも凄まじいドラミングで応じており、フリーフォームの場合、リズムが希薄だったり、ビート感をなくそうとするような場合が多いのに、ウェストンは思いっきりそれを強調している。これだけドカドカやられたらたいがいのサックス奏者はとまどうか、飲み込まれるか、一定のビートのなかでの同じことの繰り返しになってしまいそうなところを梅津さんは、逆にウェストンを飲み込むぐらいの勢いで吹いて吹いて吹きまくっている。これは新鮮なデュオだ。なかなかやろうとしてもなしえない演奏だと思う。全編ガチンコの即興だが、ラストに「ロンリー・ウーマン」が入っており、これも泣かせる演奏だ。傑作!