「THE BLACK CAT」(OCTAVE−LAB/ULTRA−VIBE OTLCD2631)
MONTY WATERS
モンティ・ウォーターズはある意味謎のひとで、2008年に70歳で亡くなった場所はドイツだった。昔から、ホワイノットのカタログを見るたびに、このひとはどういうひとなのかとずっと思っていた。演奏自体はバップをベースにした、ややフリーっぽい感じだが、こだわりをもってひたすらがんがんやりまくるような演奏でもなく、こういう言い方がいいかどうかわからないがしっかりした基礎のあるオーソドックスなプレイであり、そのなかにそこはかとない前衛性が感じられる……という雰囲気かなあ。最初はBBキングやライトニン・ホプキンス、リトル・リチャード、ジェイムズ・ブラウンといったブルース系の大御所のバンドで仕事を開始したらしいが、さもありなんと思う。西海岸でプレイしていたときは主流派ジャズの大物とも共演していたというが、ニューヨークでファラオ・サンダース、ドナルド・ギャレット、デューイ・レッドマンらとビッグバンドを組織したこともあったという。パリに移住してからも主流派ジャズのひとたちと演奏し、その後ドイツへ移り、地元のミュージシャンたちと演奏を続けた、ということらしい。本作はそういうキャリアのなかの一場面を切り取った(ニューヨークでのロフトジャズ時代ということか)作品だが、かなり気合が入っているのはボーナストラックを含めて全6曲中全曲がウォーターズのオリジナルであることでもわかる。このひとはあまりアルトをフルトーンでバリバリ鳴らさないようで、ライナーの吉田隆一氏は「ブルージーな響き」と言っておれらますが、非常に繊細で、雑なところのない吹奏だと思う。それが淡白さ、というか、迫力のない感じにつながるといえばそうかもしれないが、「バンド」全体で表現しようというコンセプトなのがよくわかる。
1曲目のコンポジションやアレンジにその「バンドで表現」という感じが集約されており、すばらしい。なかでも増尾好秋のプレイがめちゃくちゃ目立つ。それぐらい際立ったソロをしている。しかし、あくまで「バンド」でのトータルな表現なのである。この浮遊感ただようソロ=インタープレイな感じはやはりオーネット・コールマンを連想してしまう。2曲目は露骨にバップ的な曲で、ソロはそれぞれ微妙に調性を外していくような、言ってみればバップのパロディ的な演奏で、ここでもやはり「オーネット的」に思えるが、音色を揺らすような吹き方も含めてすごく好印象なのである。3曲目もウォーターズのアルトは、ドルフィーのような切迫感ではなく、なんとなくほっこりした、飄々とした風でくねくねと調性から脱却していく。気持ちいい。増尾の硬質なトーンとフレージングがひたすら耳に響く。この淡々としたシングルトーンで奏でられる、独特のラインによる息の長いアドリブは、たとえばロリンズのバンドでも聴かれたような気がする。4曲目はスローブルース。ウォーターズのソロは正攻法のブルース演奏だが、愛おしむようにフレーズをつむぎ、ときに揺らしたり、ずらしたりしながら、ブルージーな雰囲気と緊張感を交互に演出するような吹き方をしている。増尾のギターのバッキング、そしてそれに続くソロもめちゃくちゃかっこいい。5曲目はタイトルチューンで、「ブラックキャット」というタイトルからはニューオリンズ的な雰囲気の演奏かと思いきや、和音階のようなスケールを設定した曲である。ここでの増尾のギターも、もう死ぬほどかっこいい。主人公であるモンティ・ウォーターズよりも攻めている演奏かもしれない。ラストの6曲目はCD化に際してのボーナストラックで、サックスとベースの弓弾きのデュオではじまる。これがなんともすばらしい演奏で、とくに主役のウォーターズのサックスに関してはかなり気合いの入ったソロを繰り広げていて、ドラムも弾けているし、なんでこれをオリジナルアルバムに収録しなかったのかと思うぐらいいい演奏。増尾さんのファンタスティックな表現もすばらしい。やはりここでも「バンド」としての表現をいちばんまえに押し出したリーダー、ウォーターズの意図がはっきりとわかる。
全体に、過激な前衛ジャズというより、オーソドックスと前衛的表現のあいだを揺蕩うような、絶妙の演奏ではないかと思う。吉田さんのライナーノートはこの演奏について全体を「ロフトジャズ」という文脈で書いているのだが(「まさに『ロフトジャズ』ミュージシャンです」という一文もある)、私はどうもあんまりロフトジャズ的な印象は感じない(たぶん、ロフトジャズというともう少しフリー寄りの演奏をイメージするからだろう)。私のロフトジャズ理解が浅薄だからだと思うが、非常にオーソドックスで、ストレイトアヘッドで、前衛性もある演奏だと思う。ジャケットも超秀逸。傑作。