「MOANIN’IN THE MOONLIGHT」」(CHESS LP 1434)
HOWLIN’WOLF
ブルースの知識なんか全然なかった大学生〜会社に入りたてだったころ、とりあえずP−VINEから出るチェス盤のうち、おもしろそうなものを買っていた。そこで、あまりに「自分にぴったり」な感じで驚いたのがこのアルバム。一曲目「深夜に唸る(なんちゅうタイトルや!)」の冒頭のモーンですっかりとりこになり、以来、ハウリン・ウルフの大ファンになった。いやはや、いきなり飛び出してくるしゃがれ声に、心臓を切り裂かれたような気がしたものだ。これがギター一本とドラム、それに自身のハープとボーカルのみの録音とは思えない、スピーカーが割れんばかりの迫力だ。ええ曲ばっかりだが、とにかくA面の怒濤の連打には圧倒される。すでにウィリー・ディクソン、ヒューバート・サムリンが参加している曲もおおく、ウルフの音楽はほぼこの一枚めで完成している。私の耳には、マディの系列のいわゆるシカゴブルースとは別のものに聞こえる。もっと、露骨で、あざとく、えぐく、エンターテインメントな感じ。ジャケットも秀逸で、ああ、生で聴いてみたかったなあ……。曲もキャッチーなものが多いが、とにかくどんなナンバーでも、あの声とあのリズムで畳みかけられたら、そりゃあつかまってしまいますよ。少なくとも私は完全につかまりました。マディも、ロバート・ジョンソンも、なぜかぴんとこなかった私だが、やっぱり耳が幼稚なのだろうか、いやいや、ロバート・ジョンソンが深くてウルフが浅いということはないよなあ、と思ったり複雑。しかしなあ……芸名とはいえ、名前が「吠えるオオカミ」って……日本ではありえないことでございます。
「HOWLIN’WOLF」(CHESS LP 1469)
HOWLIN’WOLF
タイトルが「ハウリン・ウルフ」というだけなのだが、ジャケットの椅子はなにを意味しているのだろう。ブルースファンのあいだでは「ロッキン・チェア」と呼ばれている作品で、ジャズファンが「ベイシー」を「アトミック・ベイシー」と呼ぶようなものか。このアルバムも「モーニン・イン・ザ・ムーンライト」とあわせて愛聴していた。曲がどんどんキャッチーで、シングルカットというかマーケットを意識したものになっていっているのがわかるが、ウルフはかわらない。というか、ウルフの凄さ、えぐさをより際だたせる結果になっている。こういう化け物じみたブルースマンのまえには、とにかくひれ伏すしかない。ジャズでも、ロックでも、たまーにこういう「魔人」というか「怪人」が誕生するが、そういうひとを聴くことこそが「音楽を聴く喜び」ではないのか。これはクラシックでも津軽三味線でも同じことだと思う。ヒューバート・サムリン、ウィリー・ディクスンとの相性もばっちり。「レッド・ルースター」「フーズ・ビーン・トーキン」「ワン・ダン・ドゥードル」「スプーンフル」「ゴーイン・ダウン・スロー」「ダウン・イン・ザ・ボトム」「バック・ドア・マン」「ハウリン・フォー・マイ・ダーリン」など佳曲が目白押しなのも本番の特徴で、とにかくよく聴いたなあ。こういう音楽を聴くと、明日への活力が湧いてくる、という点では、フリージャズを聴いたときとかわらないエネルギーに満ち満ちた凄い音楽だと思う。
「300 POUNDS OF THE BLUES」(CHESS PLP−6076)
HOWLIN’WOLF
これはあんまり聴かなかったなあ。ウルフは、とにかく「バック・ドア・ウルフ」ばっかり聴いてたから。内容はほかの作品と比べて遜色ないのに、まあ、あとは好みの問題です。でも、ジャケットはとにかくかっこよすぎる。
「THE BACK DOOR WOLF」(CHESS PLP−844)
HOWLIN’WOLF
このアルバムは、ほんとにはまった。ウルフファン、あるいはブルースファンにとっては、チェス初期のものと比べてたいしたことのない作品という感じなのかもしれないが(そういうことすら、よく知らんのだ)、一曲目がかっこいいのだ。この時期になっても、ウルフはまったくウルフそのもので、マディやBBキングが途中から微妙に変わっていったのとはちがう。もちろん曲調やバックのリズムは変化しているが、この声で吠え、唸るウルフの本質はまるで変わっていない。すごいなあ、たいしたもんだなあ……とひたすらひれ伏すほかない。ジャケットに大写しになっている横顔は、まさに「蘇る金狼」という感じ。このころはエディ・ショウがバンドや音楽性を仕切っているのかな。もちろんヒューバート・サムリンも入っています。とにかくよく聴いたアルバムだが、今聴き直してみても、やっぱり「ええなあ」と思ってしまう。ノリノリの一曲目の「ムーヴィン」(フェイドアウトがもったいない)もめちゃめちゃいいが、「クーン(黒ん坊)が今に大統領になったり、月に降り立つこともあるんだぜ」という最後のブレイクが死ぬほどかっこいい二曲目「クーン・オン・ザ・ムーン」の意気込みがほんとにすばらしく、気持ちがひしひしと伝わってくる。このアルバムは75年の吹き込みだが、30年以上たった今でも、月に降り立つことはおろか、黒人の大統領は実現していない(もしかしたらもうすぐ……という気配はあるが)。ええ曲や。そして、B−4の「ウォーターゲイト・ブルース」はあの、ニクソンのウォーターゲイト事件を皮肉った曲で、「みんな聴いたか、ニュースを……」ではじまる、捨て身のナンバーである。やるなあ、ウルフ! 吠えろ、ウルフ! いやはやしかし、このアルバムがラストアルバムとはなあ。ぜったいに死にそうにない感じですが……。
「LIVE AND COOKIN’(AT ALICE’S REVISITED)」(GEFFIN RECORDS UICY−76530)
HOWLIN’WOLF
酔っぱらったときに必ず聴くのが「モーニン・イン・ザ・ムーンライト」であるというぐらい「ハウリン・ウルフ大好き!」ではあるが、本作は正直、ブルースをよく知らない私にとってはなじみの少ないアルバム。でも、聴いてみるとかなり濃厚というかコテコテなサウンドが展開していて居住まいを正す感じ。ギターはヒューバート・サムリンで時折聞こえる雑な(ということはライヴ感あふれる)テナーサックスはエディ・ショウ、そして、あのフレッド・ビロウとサニーランド・スリムが加わっている。晩年(73年)のライヴである。あの遺作「バック・ドア・ウルフ」が72年なのでそれよりあとのライヴアルバムである。耳なじんだヒット曲こそ少ないが(8曲目の「トップ・オブ・ザ・ワールド」が始まると客席がざわつく)、ウルフのあの「声」が炸裂すると、そんなことはどうでもいいと思ってしまう。ウルフのプリミティヴなハープ、ヒューバート・サムリンのギター、フレッド・ビロウの弾けるシャッフル、デヴィッド・マイヤーズのエレキベース、スペシャルゲスト的な大物サニーランド・スリムのピアノ、そして、彼らを支えるL.V.ウィリアムスのサイドギター……がウルフのだみ声のもとに合体して巨大な熱い溶岩のように押し寄せてくる。ライナーノートには晩年におけるウルフの衰えについて書かれているが、数々の病魔を抱え、体調最悪であったはずのこの時期のウルフにしては、とんでもないメガトン級の集中力による演奏とシャウトが聴けると思う。声は悪魔的に凄いし、音程やリズムもすばらしい。エディ・ショウはリフを吹くだけのようだが、ブルースバンドのこういうサックスの役割は、ソロはギターがやるのでJTブラウンのようにひたすらリフに徹するという場合もある。ここでのエディ・ショウはまさにそれで、全体の雰囲気アップに大いに貢献している(トランペットだとかっちりした「ホーンセクション」という感じになるがテナーサックスだともうちょっとそこに雑なニュアンスがこめられる……とか書くとトランペットのひとに怒られそうだが)。こういうバンドでの曲はたいがいサックスにはかなり困難なキーで演奏されているので(たとえばショウがちょっとだけフィーチュアされている9曲目「ビッグ・ハウス」のキーはEで、テナーサックスではF♯になる)、しかたがないことだ……ということはギタリストやボーカリストに強く言っておきたいです。というわけで、本作はひととおりウルフのアルバムを聴いたあとで手に取るべきすばらしいライヴアルバムだと思います。最後の最後まで渋く、暑苦しく、パワフルに盛り上げてくれて、私はいつも感涙しております。