「KNKNIGHGH」(CLEANFEED RECORDS CF434CD)
NATE WOOLEY
アルトにクリス・ピッツィオコスが入っているのが一番の興味だろう。ネイト・ウーリーというインプロヴァイズドの権化と、クリスという超若い世代のインプロヴァイザーがはたしてどのような邂逅をとげるのか、というあたりが聴きどころかなあ、と聴くまえは思っていたのだが、正直言って、演奏がはじまってしまうとそんなことはどうでもよくなってしまった。それぐらい凄い内容で、クリスのアコースティックで伝統の延長にいるインプロヴァイザーとしての側面も味わえる。ほんと、堂々としていて、こんなこと100年もやってますねん的な貫禄さえ感じることができる。短いソロのあいだに山ほど各種テクニックをぶちこんでいて(スラップタンギング、フラッタータンギング、循環呼吸、マルチフォニックス……などなど)それらすべてを直薬籠中のものとしていることがわかる。そしてネイト・ウーリーは、クリス同様、テクニックの博覧会のようである。これはけっしてけなしているわけではない。フリージャズとかインプロヴァイズドミュージックというと、技術を見せびらかすのではなく、気合いとか直感的な、自然に出てくるものを優先するべきみたいな論調がかつてはあったように思うが、そういうようなことすべてが「技術」なくしてはなりたたないのである。なんせ楽器ですからねー。全曲ウーリーの作曲だそうで、なるほど、すべてが即興というわけではなく、要所要所を締める「ネタ」的なものが周到に用意されたおり、それに基づいて演奏が進められるのだ。たぶんコンポジションの部分はかなり少ないのだろうとは思うが、その部分によって全体の方向性とか雰囲気が定まるのだとすれば重要である。でも、聞く側としてはあまりそういうことを考える必要もなく、ただただハハハハハハと笑いながら聴けばいいんじゃないだろうか。たとえば、3曲目の途中にある、ウーリーが「タッター、タッター……」という単純なリフをひたすら繰り返すのをバックにベースが弾きまくるあたりの高揚感をなんと説明すればいいのか。こういう音楽は、ブルースとかそういったものと同じで、「それはだれそれがやってたよ」「そういうやりかたはだれそれと一緒だ」みたいなことはどうでもよくて、その場で出てくる瞬間瞬間の「気分」をテクニックによって前に出していく……というようなもんではないかと思う。その表現に、気迫とかノリとかいろいろなものが付け加わっていくことで、いきいきとしたものになる。ぜったいに新しいことをしなくては……などと思う必要はない。こうして結果をみると、ちゃんとどこにもないこれまでにもない新しいものになっているのだから、必死になって「オリジナリティを」とか「新しいものを」とかいわなくてもいいと思う。とにかく私は感動しました。傑作。