seiichi yamamura

「ひとり日和」(OHRAI RECORDS/YOU RECORDS ORCD9007)
山村誠一

(CDライナーより)
 私にとって、音楽を言葉や文章で表すのはとてもむずかしい。そんな私でも、このアルバムの演奏は一言で言い表すことができる。つまり、これは「楽しい」音楽だ。本作は山村誠一がスティールパンを弾き、それにパーカッションをダビングした、いわばひとりで産み、ひとりで磨き、ひとりで仕上げたものだ。その結果、こんな楽しい音楽ができあがるとは、山村誠一というかたはよほど楽しいひとなのだろう、と勝手に想像してしまう。
 よく「人間的な音楽」というが、たとえばコンピューターを使った音楽が非人間的・機械的で、路上で生ギター一本でがなり立てられるフォークソングや手作りの民族楽器を使った演奏が人間的というわけではない。どんな楽器を使い、どんな形式、録音方法のものであろうと、底に流れるのが血の通ったものであれば、それは人間的な音楽なのである。
 オルゴールの音色を使ってヒット曲や有名曲を奏でる、という趣向のCDが多数発売されている。いわゆる癒し系の音楽だ。BGMとして、右の耳から入り、左の耳から出ていく。あとになにも残さない。残してはならない。シャボン玉のように消え、リスナーは、今なにを聴いていたのかすら覚えていない。そういう作りになっているのだ。
 このアルバムに収められている演奏も、一聴、そういうタイプの演奏に聞こえるかもしれない。耳に心地よい音色とシンプルなメロディー、軽いリズム……。私も最初はそう思っていた。しかし、聴いているうちにしだいにわかってきた。音は無難に行きすぎるだけではない。BGMにしようとしても、つい聴きこんでしまう。ぽつり、ぽつり、となにかがひっかかる。耳に、大脳に、心のどこかに。演奏の内包する小さな粒が襞や溝や穴を見つけてはそこに入りこみ、じっと踏みとどまっている。透明なせせらぎが、じつは小石や砂を運んでいるようなものだ。そういった「心にとどまるなにか」こそ、山村誠一が伝えたかったものであり、古来多くの音楽家がなんとかして聞き手に伝えようと努力してきたものなのだ。
 もちろん、そんな理屈をこねなくても、ここにある音楽はひたすら楽しく、ポップコーンのように軽く、ガラス片のようにきらきら輝いている。
 ダビングがなされているとはいえ最小限度であり、音の重なりはひじょうに薄く、スカスカだ。音と音のあいだから空気が見える。この「空気」が軽さと輝きを生んでいる。瑕疵をごまかそうというのか、なんでもかんでもべたべたと分厚く重ねていき、しまいに身動きがとれないほどの厚化粧にしてしまう今の音楽と、じつはこの演奏は真っ向から対立しているのではないだろうか。