yoshinori yanagawa

「TEXTURE AND FIGURE ’91」(ART UNION RECORDS ART CD−29)
YOSHINORI YANAGAWA

 非常に期待して聴いた。冒頭部は「おお、これは……」と思ったが、うーん……そのあと、なぜか心が躍らない。こういう音は好きなはずなのだが、なぜだろう。アルトはよく鳴っており、力強く、縦横無尽に吹きまくっている。好きなはずの音なのに、どういうわけかこちらの集中力が途切れてしまう。多彩なフレーズも、フリーキーな高音も、濁った音も、フラッタータンギングや複音奏法も、澄んだ音も……「フリージャズとはかくあるべし」という予定調和に聞こえるのです。このアルバム一枚で判断するのは危険だし、よくないとは思うが、このひとはある意味「うますぎる」ような気がする。うますぎて、するするっと耳から落ちていく。きっとフリージャズを知り尽くしているのだろうな、このかたは。でも、ほかのアルバムや、とくに生で一度聴いてみたいとは強く思った。俺の耳、おかしいんかなあ(ときどきそう思う)。←これは30年まえの感想なので、その後生演奏に接したり音源もいろいろ聴いたりして感想は当然大きく変化しているのだが、若いときのアホな耳の感想ということで自戒のために置いておきます。

「邪神不死」(極音舎GO−5)
柳川芳命&早川大

 上記のソロアルバムを聴いたときはいまひとつぴんとこなかったのだが、本作はすばらしいと思った。ちょっと見るとデュオのようだが、じつはライヴの場で早川大という書家のかたが「書」を書き、それを見ながら柳川芳命さんがアルトで即興演奏を行った、というものらしい。つまり、音としてはアルトの音だけなので、CDを聴いているものにはアルトの無伴奏ソロということなる。CD帯に書かれた文章の末尾「聖なる死への悦楽と痙攣の瞬間」という文言は、何度読んでもよくわからない。まず、聴いて感じるのは音色が美しく、芯のあるすばらしい音の持ち主だということだ。演奏は、高音部に激しいビブラートをかけたり、音を強く濁らせたりといった柳川氏の独特の奏法が多く聴かれるが、全体として、音をどう響かせるか、ということにかなりの神経を使っているようだ。そして、その響かせ方がリアルにとらえられた好録音なので、非常に迫力はある。一時間にわたるアルトソロなので、注意深く個々の場面をみれば、さまざまなバリエーションを繰り出していて、おそらく同じことは二度としていないと思うが、アブストラクトなフレージングがほとんどなので、ちょっと単調に思える部分もある。そして、ほぼ全編が全力投球で激しくアルトを鳴らし続けているので(ほんの少しだけピアニシモの箇所もあるのだが)、やってるほうもしんどいだろうが、聴いているほうもへばってくる。緊張感があまりにずーっと持続するというのもたいへんで、たまには力の抜けたところもないと、よほど体調のいいときでないと、向き合って聴くのはたいへんである。それにしても、ド迫力のプレイです。

「炎群」(ARMAGEDDON NOVA AN−R9)
柳川芳命

 名古屋のアルトサックス奏者柳川芳命氏の無伴奏ソロ。ソロ作としては91年(つまり30年まえ)の「TEXTURE AND FIGURE ’91」に続く2枚目で、書家の早川大とのデュオ(といっても音を出しているのは柳川氏ひとりなので、CDを聴いてる分にはソロなのである)「邪神不死」を入れれば3枚目ということになる。これはスタジオ録音、ということでいいんですよね。1曲目は、メロディのあるラインではじまり、ときどきぐちゃっとフリークアウトする、その繰り返しが続き、あれ? どういうことかな、と思っていると、次第に全体の様相が変化していく。「間」をあけるときもあるが、それほど露骨にはあけない。すぐに埋めてしまう。2曲目も同じパターンで、最初はメロディックなマイナーのペンタトニック的音階を積み上げていく。しかし、2曲目では1曲目よりももっと「間」を大きく取って、音を出していない時間も素材として組み合わせていくので面白い。低音が出にくいときがあったり、音が裏返ったりしても、そのこと自体も「音」だとして、ていねいに即興に組み込んで織り上げていく。展開もドラマチックだし、緊張感もスピード感もあって、私は2曲目のほうがより気に入った。