「吉田野乃子サックスソロ」
吉田野乃子
ペットボトルニンゲンの吉田野乃子が最近取り組んでいるソロプロジェクトのデモンストレーション的なCD。基本的には自分の音をループさせてそのうえに音を乗せているのだと思うが、他にもいろいろエフェクターとか使っているのかどうかはわからない。とにかくかっこいい。こういうのは結局はなだかんだいってセンスの問題になってまうのだと思うがこのひとのセンスはめちゃくちゃいいと思う。めちゃくちゃいいという言い方が雑だというなら、めちゃくちゃ私の好みだと言い換えてもいい。それでも雑か。でも、そう言うしかないのです。ペットボトルニンゲンのライヴのときに、ちょこっとだけソロをしているのに接したことはあるが、こうしてがっつりソロをやってるのはこのCDでしか聴いたことはなく、こりゃーぜひ生で体感してみたいとセツに思った。このひとの良さは、いろいろあると思うけど、とくに根本的な音色の凄さというのがあって、これはもう何度聴いてもそう思う。この音があるから、それをどんなに加工しても大丈夫なのだ。ぺらっぺらの音のサックス奏者がいくらエフェクターで加工してアグレッシヴな演奏しても、やっぱりこっちには入ってこないのだ。これは、まあ聴き手の好みだから、そういうのが好きだというひとがいてもいいけどね。フリークトーンも、気合い一発の根性吹きではなく、きっちりと「ここでギャーっといわせたい」というところでちゃんと吹ける技術を持ってるし、ノイジーな音もテクニックのひとつとしてきっちりマスターしている。こういうひとが好みなのです。ともかく今後ますますこの音が磨かれていくかと思うと、楽しみで楽しみでしかたない。そして、歌心。2曲目のバラード的な部分での歌い上げとか、もうたまらん。金色の糸が充満する空間のようなひとりアンサンブルのうえを朗々と歌うロングトーンは切々として心を打つ。あと、作曲のすばらしさ。ペットボトルニンゲンでもその片鱗がわかるが、本作でもどの曲も曲作りのセンスが抜群だと思う。3曲目なんかめちゃええやん。4曲目もバラード的なところがあって、ダイナミクスも含めて、すごく繊細な気配りも感じられる。5曲目はループとかを使わないソロで、これもいいなあ。いやもう惚れぼれするわ。カナダでのコンサートで、ソロパフォーマンスをあのケン・ヴァンダーマークと分け合ったというが、これだけ吹ければそりゃ当たり前。今のこういった音楽シーンを引っ張って行ってる若いミュージシャンは、残念ながら(とはっきり言わしてもらいますが)テナーではなくアルトサックス奏者たちで、オーソドックな音楽でも、ニューチャプター的な音楽でも、オルタネイティヴな音楽でも、とにかくものすごく才能のあるひとというときまってアルトばっかりだ。テナーのひとも、すばらしいプレイヤーが多いとは思うが、みんなちゃんとしていて、こう、音楽をぶっ壊すとか変えていくとか捻じ曲げるというか、そういう大きな潮流を作り出すような凄い才能というのはやっぱり今はアルト(とトランペット)やなあー(管楽器以外はしらんけど)。そんなこんなで、もう何遍繰り返してきいたかわからんぐらい聴いたけど、飽きないですね。傑作。まあ、デモアルバムなので、ちゃんとした形でソロアルバムが出る日(遠い先ではないらしい)を待ちましょう。
「IWAMIZAWA QUARTET〜野乃子初期の発掘音源」
吉田野乃子
2007年の音源なのだが、冒頭いきなり響き渡るアルトの無伴奏ソロの完成度というかド迫力にはひっくり返りそうになった。ほかの曲は、きっちりとフレーズを積み重ねていくような、今とはやや異なるスタイルだが、こういうジャズ的な演奏の基礎がしっかりあるのだなあと感じた。メンバー全員、とても気合いの入った力強い演奏で楽しいアルバム(?)でした。
「LOTUS」(NONOYA RECORDS NONOYA001)
NONOKO YOSHIDA
吉田野乃子のサックスソロアルバム。夏にデモ盤を聴いて、めちゃくちゃ面白かったので、本作の完成を心待ちにしていたのだが、そうやってこちらが勝手にどんどんハードルを上げてしまい、いざブツが届いたときには、ものすごく高いハードルが設定されてしまっていて、いやー、これはまずいわ、いくら吉田野乃子でもこのハードルを越えることはできまい、申し訳なかったなあ……とか思いつつ聴いてみると……ぎゃーっ、高いはずだったハードルなんか遥か下方に残して軽々と飛び越えてしまうぐらいの最高の出来映えだったので、わしゃ驚いて口がふさがらん。もう30回ぐらい、いやもっとか……とにかく一日一回は聴かないとおさまらん時期があり、部屋に入ると自然にこの盤をCDプレイヤーにセットしてスタートボタンを押すというのが日課(?)になっているような日々だったのだ。音色がよくてスピード感があってリフがかっこよくて……というだけでなく、このコンセプト自体に吉田野乃子のチャレンジする姿勢を感じて、それがこちらの魂に火をつけてくれるというか、ああ、こんなすごいことやってるひとがいるのだ、俺もがんばって仕事しなくては……と思うのだ。だから毎日聴くのです。いい音楽というのは、「がんばろう」とか「走り出そう」とか「挑戦しよう」とかいった歌詞なんかなくてもそういう気持ちにさせてくれるものである。そして本作は、かなり難しいことをやってるのにそれを一切感じさせずただただかっこいいというのが泣ける。しかし、その裏側からサックスソロでこういうことがやりたいのだ、という確固たる信念のようなものが滲み出ている。私は知ってるひとは知ってると思うが、無類のサックスソロ好きで、とにかくサックスソロと言われるとどんなものでも聴かないとおさまらないほどなのだが、それはおそらく、管楽器のソロというのは、そのひとの個性とか音楽に対する考え方とか技量とか……いろいろなものが一番出る、出てしまうからだと思う。そして吉田野乃子が、今の時点で、これだけの音楽を作り上げたということそのものに、けっこう感動してしまっている。背伸びもせず妥協もせず、これが現在の吉田野乃子だとしたら、すごいんじゃないでしょうか。これからの吉田野乃子の活動には目が離せないですよマジで。というわけで、各曲について短いコメントを。
1曲目は本作のコンセプトの典型ともいえる演奏で、サックスの分厚いアンサンブルによるテーマとぐちゃぐちゃのフリーパート、最後にまたテーマという構成。聴きすぎて、テーマは完全に覚えてしまったぜ。フリーの部分は最低3人は吉田野乃子がいるようだが、それぞれが個性のあるフレーズを吹いていて、(あたりまえだが)それらがめちゃくちゃうまくぶつかり合って超かっこいい。途中でパーカッシヴな感じに移行するのだが、そこも楽しい。オープニングナンバーとして、なるほどこういうソロなのか、とリスナーにはっきりわからせるという意味では最高ではないか。2曲目は吹き伸ばしによる美しいハモリと、そこに乗っかる虫たちのざわめき、みたいなイントロダクションのあと、荘厳な調べのテーマがはじまり、それに乗ってアルトが歌う。哀しげ、というほど露骨な感情はなく、どちらかというとクールに吹いている感じだが、それがかえってしみじみとした慕情のようなものを生んでいる。ラストはバックが消えて、循環呼吸のソロパートになり、ここがめちゃくちゃかっこいい。そして背後から植物が芽生えてくるような各サックスが、次第に大きく伸びていく。最後はテーマの変奏のあと低音でしめくくる。この短い曲で、これだけのドラマチックな展開を作り出すというのは作編曲家としてもすばらしいと思います。3曲目は、7拍子のリズミカルなリフではじまり、ハモリやルバートっぽいところや集団(といってもひとりだが)即興などさまざまな展開が連続して起きる、目まぐるしくもギューッと詰まった曲であれよあれよと最後まで持っていかれる。4曲目は音を割るようなタイプのハーモニクスを駆使したフリーインプロヴィゼイション。まえにも書いたかもしれないが、激情的な演奏のようで、感情に流されないはっきりとしたクールネスがある。根性と気合いだけでこういう演奏をやっているひととはまるで異なり、フリークトーンひとつとっても、こういう持っていきかたで、この箇所でこういう音色のフリークトーンが必要だと思ったらそれをちゃんと出すことのできる技術を持ったサックス奏者であり、それは日々の練習のたまものだと思う。こういうストレートアヘッドな演奏がアルバムの真ん中に入っているというあたりがいいですね。5曲目は、何本かのサックスが最初、点のようにリズムを置いていくところからはじまり、それが次第にリズミカルなリフになっていき、どんどん複雑になり、吹き伸ばしがストリングスのように加わり、ソロが登場し……という曲だが、左右のスピーカーに割り振られた音の位置を聴いているだけでも面白い。壮大な楽曲を聴いた気分になるが、実際には4分ほどの演奏である。ラストもかっこいい。6曲目はバラード。(変なたとえだが)まるでシンセのようなディープなハーモニーが聴かれる。途中から出てくる、痙攣のようなパートが、酔っ払って聴いていると、なぜか泣いているみたいに聞こえてきて心を打たれる。この曲も最後に向かってどんどん荘厳になっていき、大勢がすすり泣いているように、また慟哭しているかのように聞こえて、これはすごいなあと思った。完成度めっちゃ高くないですか、この曲。まあ、演奏者にはそういう泣かせの意図はないだろうが。ラストも異常に美しいです。最後の7曲目は、まさかブレッカーブラザーズのあの曲……のわけがなく、バロックのようなリフとフリーインプロヴィゼイションが組み合わさった演奏。吹いている表情まで思い浮かぶような、オルタネイティヴなテクニックのかぎりをつくしたようなド迫力のソロ。ラストに置かれたこの演奏は、「ここがはじまりだ」と告げているかのようだ。次作にも、すでに期待が膨らむばかりだが、きっとこのひとはもっともっと可能性を秘めているのだろう。本作はその一部にすぎないのだろうが、その一部をはっきりと確認できた。それにしても、惜しげもなくどんどんアイデアを出してくるなあ。きっとまだ、いくらでもあるから、こういうことができるのだろう。どの演奏も、隅々にまで注意が払われていて、たとえば同じように聞こえるリフも二度目はニュアンスがちがっていたり、分厚く重ねている部分も、一本だけ音色を変えていたりするので、そういうのを味わうためにも何度も何度も聴いたほうがいいですよ。あと、極上のエンターテインメントになっている点も重要だ。
傑作であることはまちがいないし、大勢のひとに聴いてもらいたいと切に願うが、とくに世界中の、サックスを吹いている中高生がこのアルバムを聴いたらきっと勇気をもらえるのではないかと思う。
吉田野乃子DEMO CD−R
吉田野乃子
三曲が収録されている。1曲目はエレクトリックギターによるインプロヴィゼイションで、ギターでの録音ははじめてだというが、こういう思い切りのよい演奏っぷりは吉田野乃子の演奏につねづね感じることであって、たとえばデュオで、じゃあ即興でなにかやりますか、と相手が言った瞬間にもう出だしの音を吹きはじめている……というような、ぐずぐず考えずにパッと演奏して、最善を尽くしていく……という感じ(わかりますか?)。こういうのは性格的なものかもしれないが、もしかしたらニューヨークの最前線の即興シーンのなかでつちかったニューヨークスタイルとでもいうべきものなのかもしれない。とにかくギターの堂々としたノイズっぷりは見事。2曲目はナイジェリア(似たようなものは各国にある)のウドゥという、壺の口のところと側面の穴を手でどぅんどぅんと叩くようなパーカッションでベーシックなリズムをループさせておいて、そこにサックスを載せる演奏。複雑だがエキゾチックな雰囲気のあるテーマ。いつもはデュエットでやるらしいがそれも聴いてみたい。3曲目はこないだのライヴでも聞いた「空ヲ知ル」という曲で、空知という地名からの発想によるコンポジションだというが、そういう標題音楽的な作曲事情を最初に聞いたせいか、少し曇った空から数条の光が漏れる幻想的な光景をどうしても思い浮かべてしまうが(べつに悪いことではないが)、吉田野乃子の美しいアルトの「音」があってこその演奏であることは言うまでもない。ほんま、ええ音してるよなー。デュコフだというのはまえから知っていたが、まさかジョン・ゾーンから譲られたものだったとは……。私も吹かせてもらったが、もちろんベーッというひどい音しかしませんでした。デュコフをきちんとコントロールしてこんな美しいサウンドを出すというのは本当に基礎的な部分がしっかりしているということだ。循環呼吸やハーモニクスといったテクニックが駆使されて、この壮大なソロ演奏が成り立っている。最後、もっと聴いていたいのにプツンと終わってしまうのは残念。「ロータス2」が待たれます。
「目ヲ閉ジテ 見ル映画」(NONOYA RECORDS NONOYA002)
トリオ深海ノ窓
じつは購入してからたぶん15回ぐらい聴いたと思うのだが、なぜかレビューが書けないのだ。つまらない? いやいや、めちゃくちゃ面白い。しかし、どうもこのアルバムは一筋縄ではいかない。つまらない言葉を拒否するようなところがある。ま、私は音楽評論家てはないので、一旦リラックスして、書けることを書いてみたい。
吉田野乃子が帰国後にはじめたソロやエレクトリックバンドなど多彩なプロジェクトのひとつで、ピアノの富樫範子、フレットレスベースのトタニハジメと組んだトリオ。架空の映画のサウンドトラックという趣向で、えっ? それって今我々が作ろうとしているCDと同じじゃん、と驚いているひともいるだろう。私も驚いた。でも、聞いてみると、我々のようなアホなやつではなく、シリアスな主旨・曲・演奏だった(当たり前)。富樫さんというピアニストは普段はバップピアニストだそうだが、ここでは見事なまでにそういう演奏を封印し(もちろん完全にというわけではないが)、ちがうアプローチを行っている。そもそもこのひとがこのバンドに書いている曲自体がバップ的ではない。10曲中8曲(つまりほとんど)を書いているのだが、これがため息の出るようなええ曲ばっかりで、ほれぼれする。コンポーザーとしての才能に驚く。しかも、左手が強力で、まるでストライドピアニストのようにリズムとベースラインを提供する。1曲目はピアノとアルトによってルバート風に奏でられるイントロ風の音階が繰り返しなぞられるが、これが非常に耳になじむ音の組み合わせなのだ。そのあとピアノがリズムを出し、全員がバシッと合わせて、そこから三拍子ののびやかでかっこいいテーマがはじまるが、バップピアニストが書いたとは思えないなあ。吉田のアルトは暴れまくるのだが、なにしろピアノのガイドががっちりしているのでそこから飛び出すことはない。というか、できない。昂揚したところでイントロのリフに戻り、テーマ。うーん、なんといういい曲だろうか。この曲は吉田のアルトの美しい高音がないと成立しない。なんか、この曲、大学のジャズ研で若いひとたちががんがん取り上げそうな気がする。これをアルバム冒頭に置いたのは正しい。2曲目は、バップのパロディ的な複雑でかっこいいリズミックなテーマの曲で、ピアノがしっかりしたリズムとベースラインを弾き続け、アルトはそのうえで絶叫するのだが、ベースがもうひとつうえに乗っかってめちゃくちゃなノイズをぶちかますところがいい。3曲目はバラードで、これもものすごく印象的なリフを幻想的に高めていく。ええ曲や! このトリオならではの素敵な演奏。ブレイクでアルトのスクリームの数々が聴けます。この曲は吉田野乃子の曲で、たぶんソロツアーで聴いたことあるやつ。4曲目はこどもが雨傘をさして雨の中をスキップしてるような明るい曲調。シェルブールの雨傘の挿入曲とか言われたら信じてしまいそうなど「架空の映画音楽」である。5曲目はどこか日本の童謡などを連想するような、あたたかくほっこりした、そしてどことなく悲しげな曲である。いやもう、ええ曲すぎてねえ……と思って曲名を見たら「さくら」だったので、和風と感じたのもあながちまちがいではないようだ。この凛としたベースソロの歌い上げはどうだ。ほんとに惜しいバンドだよなあ。ベーシストが関西に活動拠点を移すので活動休止なのだそうだ。惜しい……と思ったけどよく考えると活動拠点を関西に、ということはもしかしたら近場で見られるかもしれないぞ。6曲目は、バップ的な曲でピアノの富樫範子のソロ。シンプルでかっこいい。7曲目はソプラノで奏でられる小品的な、かつ哀愁の演奏。3人が3人とも「哀愁のツボ」を突いてくる。ソプラノは暴れるとこやろそのあとスーッと消えるところまでも含めてひたすら哀愁。そしてそのあとのピアノがまた泣かせる。8曲目はベースが前面に出た演奏。さわやかな朝を感じるような曲調だが、ピアノとベースが兄弟のようにがっちりと手を組み合ったところに、サックスが奔放に歌う。このベースのひとは今後要注目です。この曲はベースのトタニハジメさんの曲である。9曲目は、これも哀愁ただようメロディは、夜中にひとりで酔っ払って聞いてたら泣いてしまうかも、というぐらい心に染みる。ところどころに登場するモワーンとした音はキーボード?(あるかたからトタニさんの「EBOW(イーボウ)による演奏」だと教えていただきました) ベースソロがまた味わいあるんだよねー。アルトが錐揉み状に狂っていくが、ピアノとベースがしっかりリズムとハーモニーをキープしているので、まるでアケタさんのようにひとりだけが狂気に陥っていく。これもまたよし。ラストの10曲目は、ゆるーいファンキーさのあるベースラインにのんしゃらんなサックスのメロディが乗る。私はなぜかベニー・ゴルソンのある曲を演奏しました。いやー、これもめちゃええ曲やん。ついに1曲目から10曲目まで「ええ曲ばっか」状態でしたね。ゆったりとスウィングする4ビートとアルトの吹くメロディは、たしかにタイトル通り「ノンレム睡眠」な感じ。ソロはないがピアノのからみかたが素敵。というわけで、いやー、これはすごいアルバムだった。さっきも書いたが、全曲がええ曲で、富樫さんの作曲能力全開である。もう才能ありすぎ。正直、吉田野乃子さんの曲が1曲というのは少なすぎるわけで、バランスという面でももう何曲か入っていてほしかったような気もする。でも、それはおそらく2作目以降に……とか思っていたら活動休止っておいおい。まあ、気長に見守るしかない。というか、気長にゆっくり付き合えるようなタイプのバンドだと思うので、折を見て演奏を続けてほしいとせつに願います。あと、吉田野乃子さんがノイズサックス奏者と自称し、また他称もされていることにはなんとなく違和感を感じていたのだが、私にとってノイズサックスというとボルベトマグースの連中みたいなひとを連想するのであって、吉田さんはあまりにきれいな音がベーシックにあるし、それをきわだたせるような演奏も多いので、「ノイズサックス」とはとても思えません。それを言うならボルベトマグースのジム・ソウターだって、生音はめちゃきれいなんだけどね。とにかくジャズだのなんだのといった狭い垣根をぶち壊す大傑作なので、みんな聴いてください。
「トリオ深海ノ窓 DEMO CD」
トリオ深海ノ窓
2曲ともCDに入っている曲だが、聴き比べてみたが上記CDとはテイクがちがうようである(たぶんマスタリングもされていないような)。だが、こちらのバージョンもけっして悪くはなく、アルトの音は生々しく、また楚々とした表現が狂乱していくあたりもええ感じである。富樫さんのピアノも情感たっぷりで、テーマの素朴さが引き立っている。ときどき吉田野乃子がフリーキーになり、それもまた音楽にはまっているのだが、正直、そんなことをしなくても十分に成り立つ音楽である。たぶんここではフリーにとかここではノイズでという仕込みなしに、心のなかで思っているとおりに吹いているのだと思うがそれにしてもバランスのいいトリオである。
「FLYING UMISHIDA」(NONOYA RECORDS NONOYA003)
CUBIC ZERO/立方体・零
はじめは「吉田野乃子エレクトリックバンド」という仮名がついていたグル―プだが、聴いてみると、正直、どちらかというと「アコースティックバンド」と名乗ったほうが実体に近いように思えた。なにをもってエレクトリックとかアコースティックとか分けるのか、というのは難しい問題かもしれないが、パッと聴いた瞬間の感覚でいうと、めちゃめちゃアコースティックな手応えである(と1曲目を聴いたときに思った)。まあ、そんなことはどうでもよくて、今はバンド名も正式に付いたことだし、吉田野乃子の音楽を演奏するバンドということで。帰国後のさまざまなアクティヴな活動のなかで、「ロータス」はルーパーを使ったソロ、「深海ノ窓」はピアノのひとのオリジナルが中心……ということで、このグループこそ、吉田野乃子が今自分のやりたい音楽を前面に押し出した「バンド」なのかもしれない(まあ、もちろんどれも「やりたい」には違いないと思うけど)。じつはもっとエグいのかと思っていたが、曲がどれも異なったアイデアのもとにしっかり作られており、めちゃくちゃ聴きやすく、ポップで、一曲一曲がコンパクトで、アレンジも練りに練られており、サックスは良い音で鳴りまくり、ノイジーな部分もノイジーというより美しく(これはまえからずっと思っていることで、吉田野乃子の音はいくら過激にブロウしても、マルチフォニックスやクラスターみたいな音を出しても、基本的に「ノイズ」というより「かっこいい音」に聞こえる。サックスにおけるノイズというのはもっと聞きづらい音のことで、わざとそういう聞きづらい音を出して聴衆に不快感を与える場合をさように私には思えるのです。そういう意味では吉田野乃子の音は、フリーキーに吹きまくろうがなにをしようが、ひたすら快感で、もっと浴びたい! という気分にされられるのだ)、びゅんびゅんびゅんびゅん……と飛んできて全身に鍼のように刺さる。痛いが快感だ。しかも、身体にいい(なんのこっちゃ)。
1曲目は、いきなりドバーン! という迫力のリフとドラムロール、そしてアルトのフリークトーンで開幕するオープニングにふさわしい「胸倉をつかまれる」感のある曲。そのあとかなりむずかしいリズムの譜面があって、聴いていると「うわあ、めちゃくちゃむずかしい」と思ってしまうが、そういうことは途中でどうでもよくなってしまうこのかっこよさ。教会音楽っぽいオルガンが鳴り響き、そこからぐちゃぐちゃになり、一旦終わるかと見せかけて、そこから気合いを入れ直してもっとぐじゃぐじゃになるところがいい。そのあとビシッとテーマ。2曲目は重厚でドスの利いたベースが導くカオスの世界。サックスがぴよぴよと鳴き、オルガンが風を起こし、ギターが突き刺さる。そして、幻想的なテーマが現れる。かっこいい。キーボードとベースのデュオがフィーチュアされるが、このあたりのわけのわからないかっこよさはめちゃ好みである。後テーマのあと、アルトのほぼ無伴奏のソロがフィーチュアされ(ほかの楽器もいろいろ弾いているが印象としてはアルトのカデンツァ)、まあ、こういうところは絶対アコースティックな印象です。そこからの展開もかっこいい。すごいええ曲やなあ。3曲目はノイジーな爆発がひたすら続く20秒ほどの演奏。4曲目は打って変わって美しいバラード。美しいといってもアルトのメロディとキーボードのメロディが不気味に呼応するあたりはグロかっこいいというべきか。サビ以外の部分のコードはめちゃくちゃ変で、それもまたかっこいい。名曲。5曲目はかっこいい(こればっかりやな。語彙はないんか)イントロではじまる、ちょっと変態グループサウンズっぽい5+7のベースラインのあと、だいたい5+5+12な感じの変なテーマが現れるがこれがめちゃかっこいいのだ。キーボードソロの途中でときどき頭のおかしいアルトとギターがぐちゃぐちゃなクラスターをぶちこんで邪魔をするが、キーボードは最初のうち「なにをすんねんな」という感じで無視して弾いている。しかし、度重なると、もうたまらん、おまえらええかげんにせえよ! という感じで対抗しはじめる。そのあと3拍子のシンプルなブンチャッチャッが続いて冷静さを取り戻したあと、テーマが出て、またしてもぐちゃぐちゃに……という展開。最後にハチロクのパターンが延々と続き、アルトがスクリームする。最後まで手を抜かない綿密なアレンジに感動。最後の最後の締めくくりかたもかっこいいですね。6曲目はインタールード。ウミウシっぽくはないが、関西弁でいうと「おもろいやん」という感じの曲。7曲目はキーボードのイントロに導かれるようにテーマが奏でられ、そのあとのキーボードソロは70年代の硬派ジャズっぽい麻薬的成分がぷんぷんする。そこにアルトがフリーキーにぶちかまして空気を変え、からみあったままゆったりと消えていく。8曲目は生活ノイズからはじまり、3拍子の明るくシンプルなテーマが奏でられるが、次第にテンポアップしていくという趣向。また、だんだんゆっくりになっていく。それだけのことなのになぜかしみじみする。9曲目はまたインタールード。ドラムとベースのうねるようなリズムパターンに乗って、サックスとギターが遊ぶ感じ。10曲目はタイトルチューンで「フライング・ウミシダ」というよくわからないタイトルの曲だが、何拍子かよくわからないベースとドラムのパターンが延々続いたあと、サックスが7拍子(?)っぽいリフをぶちこみ、そこからヘヴィな展開になる。これはかっこいいわ。ギターとキーボードが気が狂ったようにアグレッシヴに弾きまくる。このめちゃくちゃなパワーがよい。呑気に海中に揺れるウミシダというより、モササウルスが獲物を狙っているようなテンションを感じる。11曲目はインタールードで5拍子のサックスとドラムのリフにギターが好き勝手に弾く感じ。人力テクノ? 12曲目はめちゃくちゃかっこいい曲で、かなり難しい譜割りだと思うがそれをさらりとやりこなす演奏技術はすごい。ロックっぽくなったり、4ビートになったり、バラード風になったり、リズムがころころ変わるし、みんな好きなことをやってるようだが、それがなんとなくひとつにまとまって聞こえる不思議。最終的にはテーマに収斂していくのだが、そのあたりも含めて、この曲がいちばん不思議だった。13曲目はかっこいいイントロのあと、ゆったりとしたスピリチュアルジャズ的な3拍子のモードジャズみたいなリズム、そして、そのあと現れるテーマも70年代のハードなジャズ的でかっこいい。3拍子のところのノリというかグルーヴは「ニュー・ムーン」っぽいなあと一瞬思ったのだが、某「勝手に解説」というのを今読むと、「ニュー・ムーン」にインスパイアされたと書いてあって、なるほどと思った(実は、内緒だが、私も「ニュー・ムーン」にインスパイアされた曲を書いたことがあって、それはサビ以外は全部、インスパイアというよりパクリでしたね)。吉田野乃子のアルトソロは本作のなかでは一番ジャズ的なパッションのあるソロだった。すぐにキメになるが、もっと聴きたいと思わせるソロ。ライヴだとたぶんもっと延々吹いてくれそうな曲である。丁寧なギターソロもめちゃかっこいい。キメのあとローズっぽいキーボードソロ。これもウディ・ショウのバンドとかを聴いているようで味わい深い。ソフトリーっぽいフレーズが出たりする。ええソロやわー。この曲はそうとう名曲ではないでしょうか。14曲目はインタールードで、11曲目と同じく5拍子のリフをサックスが吹き、ドラムが好き放題叩く。最後の15曲目はどこか禍々しいベースを背景にサックスが二本ハモってコード感を出す。そこから一転、二転、三転していく、何重にもなったテーマ。途中でテンポアップしたり、フリーリズムになったり……とにかくめまぐるしく場面が変わっていく。五人で演奏しているとは思えないほど壮大な組曲で、たった6分の演奏とは思えないほど様々な要素がぎゅうぎゅうに詰まっているのだが、ぎゅうぎゅうとは感じさせない、ゆとりのある演奏だ。びしっと終わるが、あまりに唐突なので、もう一度この15曲目を最初から聴きなおすことになる。
全15曲、どれも濃密な曲ばかりで、通して聴くとへとへとになるが、それは心地よい疲れである。これだけの曲を(アレンジも含めて)これだけの数書けるこのメンバーはすごいっす。いやもう傑作としか言いようがない。そして、最後まで聴いても、やっぱりアコースティックな印象であるが、さっきも書いたが、そんなことはどうでもいいのである。
「あずましくない」
吉田塚原
吉田野乃子とギターの塚原義弘のデュオ。17分ちょっとしかないデモCD−Rだが、音質もよく、中身が充実しまくっているので、この長さでも十分満足できる。1曲目は、かなりガチンコのぶつかり合いで、アルトもほぼアコースティックな音で勝負している。その分、ギターはノイジーである。ああ、やっぱりこういうのが一番いいなあ。2曲目はエフェクターを使った幻想的な演奏で、サックスはディレイ効果がすごく長いエフェクトを使っているようである(ソロサックスのルーパーに通じるような感じ)。荘厳で、どこかエキセントリックな雰囲気のある即興は、なんとなくエジプトのピラミッドなどをイメージさせられた。ギターの作り出す空間とアルトサックスの鳴りの良さは心地よいのだが、それだけでなくどこか心の中心部に腕を突っ込まれたようなひりひりした感覚も残る。ああ、こういうのもいいなあ。3曲目はいわゆる「インプロ」という感じで、アコースティックで真っ向勝負のサックスに対して、ギターも単音で受けている。対決というより融合とか協調とかそういった言葉が浮かぶ演奏。うーん、これもいいなあ。結局全部ええんかい! というのが結論ということで、正規アルバムを待ちたい。
「WALTZ FOR POLLY」(NONOYA RECORDS NONOYA007)
ROOFTOP CAMELS(屋上駱駝)
やっぱりデュオはそれぞれの楽器の音色がはっきり聞こえるので好きだ。吉田野乃子のリーダーバンド「CUBIC ZERO」などで共演しているピアニストと本山禎朗と吉田のデュオ「屋上駱駝」の初アルバム。全9曲をふたりがコンポジションを分け合っている。1曲目は本山の曲でピアノの低音の軽快なバンプではじまり、サビが5+6になってかっこいい。最初は本山ひとりでリズムを保ったままのソロがあり、そのあと定型のパターンのうえでの吉田のノイジーなサックスがフィーチュアされる。どちらもさらりとやっているようで超絶技巧。曲も名曲で一曲目にふさわしい。2曲目は吉田の曲で、タイトルにもなっている。ソプラノによる演奏で、「ワルツ・フォー・ポリー」という曲名どおりの3拍子だが、日本のわらべ歌やマカロニウエスタン的なマイナーの哀愁のなかにグロスマンの「ニュー・ムーン」を思わせる凛とした現代ジャズの雰囲気もある。3曲目は本山の曲で、遊び心というかクラシックの小品のような味わいがある。4曲目は吉田の曲で、Aの部分は33332だが変拍子にはまったく聞こえない。吉田の音色やアーティキュレイションに気を配ったテーマの吹き方もすばらしい。泣かせや激情に走らない、クールなアルトソロのあとに登場する本山のソロはのときビートがなくなり、揺蕩うようなフリーな演奏からリリシズムのある叙情に吉田と共通する底辺を感じる。最後はダイナミクスの変化によるクライマックスへ。5曲目は本山の曲で、3拍子。個人的には「和」を強く感じるメロディである。今回はデュオだが、ピアノソロでもカルテットでもオーケストラでもいける感じのすばらしいメロディで、本山のコンポーザーとしての才能をひしひしと感じる。吉田の、メロディに寄り添う力強いソロ、そのあとの本山の自信みなぎるソロは本作の白眉ではないかと思う。吉田野乃子は、こういった曲ではいくらノイジーに、フリーキーにブロウしてもその音が曲に溶け込むように吹いていて、さすがである。6曲目は本山によるダジャレタイトルの曲だが、これも3拍子でめちゃくちゃいい曲。えーと……私が言うのもなんですが、もっとちゃんとしたタイトルをつけんかーい! 吉田のソプラノの音色やフレージングはこの曲にぴったりである。シンプルなコード進行なのにソロイストの力量によってものすごい深みがこの曲から湧いて出てくるのは魔法のようである。7曲目は吉田の曲なのだが、演奏は本山のピアノのみ。童謡のような叙情性をあからさまに押し出した演奏だが、その奥には透徹したものも感じる。8曲目は吉田の曲で、ええ感じに遊び心のあるコンポジション。本作中一番フリーな演奏かも。おもろい。ラストの8曲目も吉田の曲で、アルトの無伴奏ソロからはじまり、シンプルなリフの組み合わせによるテーマに。西行法師の歌を連想させるような、空を覆うほどに舞い落ちる花吹雪を思わせるアルトが感動的である。というわけで、フリージャズとかフリーインプロヴィゼーションといったものからはかなり遠い(8曲目を除く)、しっかりしたコンポジションとアレンジのうえにコードを意識した即興が繰り広げられるデュオだが、どの曲も、ライヴではどんな風になるのだろうと期待させるような奥行きのあるもので、ユニットの一枚目としては大成功ではないか。アルバム全体を通してのトーンに統一感があるのもすばらしい。繰り返し聴きたくなるような傑作だと思います。CDの表面に描かれている猫の絵がいいですね。
「FLOATING RABKA」(NONOYA RECORDS NONOYA008)
CUBIC ZERO
吉田野乃子率いるクインテット「キュービック・ゼロ/立方体・零」のセカンドアルバム(本当は3曲だけ入ったCD−Rが出ている)。1枚目は「フライング・ウミシダ」というタイトルだったが、今回は「揺蕩うラブカ」。海洋生物マニアであることを思わせるタイトルだ(吉田野乃子にはデメニギスという曲もある)。私もラブカはこどものころから好きで、カブラの漬け物も好き……と話が脇道に逸れるのでそれは置いておいて、本作はなんと14曲がぎっしりと収められている(ただし、インタールード的な超短い曲が5曲入っているので、実質は9曲か? しかし、14曲で52分しか収録時間がない、というのはいかに1曲がコンパクトに凝縮されているかということだよな)。コロナ禍の真っただ中でのレコーディングだったと思われ、いろいろな意味でたいへんだったのではないかと推察されるが、それを越えてのメンバーの情熱というかやる気を感じる内容である。変拍子による凝りに凝ったコンポジションとアレンジ、吉田のノイジーなサックスを中心としたソロの爆発、そして、そのあとビシッとテーマに戻る……という、ある意味お約束的な展開が多いにもかかわらず、これだけ聴かせるというのは、音楽の本質的なところを全員がガシッと掴んでいてゆるがないからだろう。こういうやり方というのは永久に古びることはないのだ、と思うが、それも「いい曲」あってのことだし、「いいソロ」あってのことだし、「いいリズム」あってのことだ。ここにはそれらがすべてある。ジャズファンにもロックファンにも、いや、こういう音楽を日頃あまり聴かないひとがなにかのきっかけで本作品を聴いたとしても十分とりこにできるタイプの音楽だ。「え? こんなにサックスがフリーに暴れまくってる音楽が?」と思うひとははっきり言って大間違いである。「いだてん」の音楽で示されたように、世間のひとたちはこれぐらいのノイズはちゃーんとわかるのだよ。いい音楽はだれが聴いてもわかる。逆に、ジャンルジャンルの頭の固いファンが自分の門戸を閉ざしているのだ。吉田野乃子のサックスはたしかにフリーキーなソロが多いが、このバンドを「フリージャズ」の文脈で語るのはラブカとブブカを同列に語るようなものであり、このバンドはいわゆる主流派ジャズのバンドだと思う。それも直球ど真ん中の。たぶん……。実際これだけストレートアヘッドなジャズもなかなかないと思うよ。めちゃくちゃ心地よい演奏なので、各曲解説も「コン太の父」大先生が事細かに書いておられるので(たぶんネットのどこかで読めると思う)、私ごときがごちゃごちゃ付け加えることはないが、ひとつだけ言いたいのは、変拍子だったりフリーキーだったり前衛的な部分があったり……とかなりたっぷり「ヤバい」要素のある不穏な音楽のはずだが、(前作でも感じたことだが)このバンドの演奏はどこか明るいのです。一曲目からそれは感じた。吉田野乃子というミュージシャンの特徴なのかもしれないが、それはすばらしい個性だと思います。傑作。なお、全体に真面目な作りのアルバムだが、CDの裏ジャケットのメンバーの記載のところに渋谷徹(DRUMS、ジンギスカン鍋)とあるのは「おいおい……」と思った。「鍋」でええやろ、「鍋」で。やはり北海道人のこだわりなのだろうな。でも、「鍋」でええやろ。つぎはこれらの曲が入ったブリブリのダンサブルでアナーキーでポップなライヴアルバムが聴きたいのだが、こんな状況下ではむずかしいのかな……。
「DEMO 2019 SUMMER」(NONOYA RECORDS 2019)
CUBIC ZERO 立方体・零
コロナ禍の直前、吉田野乃子率いるキュービック・ゼロのスタジオ録音によるCD−Rで3曲収録されている。正直、この3曲だけでかなり壮大なドラマを見せつけられたような気分である。1曲目は「デメニギス」で、例の頭が透明になっている深海魚のことである。ウミシダだのラブカだのを曲名にしている、深海魚好きの吉田野乃子らしい曲名であります。最初はノイズっぽい音も交えたインプロヴィゼイションから始まって、そこにリズムが入っていき、ドスのきいた変拍子のサックスのプログレ的なテーマと爆発するギター……という展開。ギターの音とサックスの音色がめちゃくちゃ小気味よい。2曲目は本田禎朗の曲で、カラッと明るいリズムのテーマのゴリゴリのフリーキーなパートが待っていてかっこえーっ! 3曲目は「フローティング・ラブカ」で2枚目のアルバムの表題曲でもある。変拍子(の部分がある)の曲だが、ええ曲やなあ、やっぱり(しかし、どこがラブカなのか……。私は昔、某新聞にラブカに関するエッセイを書いたこともあるぐらいラブカ好きだが、よくわからなかった。ラブカといえばシャークネードで空から降ってきて人を食う鮫のなかにラブカがいたりして……とつい脱線してしまうのでありますが)。全員いきいきとしているが、吉田野乃子のつややかなアルトの音色がピタッとはまっている。どの曲も短いデモなので、物足らないひとはライヴにゴー!(今はちょっと難しいですけどね)。