脱皮
田中啓文
ざっざっざっざっざっざっざっざっ
ざっざっざっざっざっざっざっざっ
よし、これでひとまず追っ手はまいたようだ。
俺の名はカムイ外伝。カムイが苗字で外伝が名前だ。外伝という名前が変だというものもいるようだが、そういうことを言うやつらは、高橋お伝とか田能村竹田とか塚原卜伝とかを知らんのかと言いたい。
俺は抜け忍だ。忍者というのは、伊賀とか甲賀といった団体に所属して、我々下忍は中忍の、中忍は上忍の、上忍は大名の命令にぜったい服従しなければならない定めだ。とくにわれら下忍は虫けらのように扱われる。そこで俺は組織から独立することにした。ただ単に、人間らしい生活を送りたい……そう思っただけなのだ。すると、規律を乱すという理由で、さまざまな迫害を受けることになった。大手芸能プロダクションでもよく聞く話だ。しかたなく俺は、それまで暮らしていた里から逃げ出した。そういう行動は許されない。忍者の鉄の掟に反するからだ。そして俺は、かつて仲間だった連中から追われる身となった。いろんなやつらが俺を追ってくる。今まではなんとか返り討ちにしてきたが、つぎはわからない。殺すか殺されるか……それが俺たちの宿命なのだ。
俺には特殊能力がある。脱皮した生き物の皮に入り込むことによって、その生き物とそっくりになる力だ。皮のサイズによって、大きくも小さくもなれる。この術を使って俺は追っ手から逃れ、こんにちまで生き延びてきた。
俺は殺気を感じた。パッと飛びのくと、俺がいた場所に手裏剣が数本突き刺さった。振り返って木のうえを見ると、そこにいたのはモンキーの大五郎だった。普通は、マシラの大五郎とか赤猿の大五郎とか名乗ると思うが、やつの美意識では「モンキー」がかっこいいらしい。
「うきゃっきゃっきゃっ……逃がすものか」
大五郎は枝から枝へと猿のように移りながら追ってくる。俺は逃げる。大五郎は俺のまえに回りこんで、
「モンキーターン!」
俺が方向を変えようとすると、殴りかかってきた。
「モンキーパンチ!」
俺は大五郎を振り切って逃げる。
森を出たところに海岸があった。砂に足をとられながらも浜辺を必死で走る。後ろを向くとモンキーの大五郎はチンパンジーのように両手を高くあけながら追跡してくる。
「きーっきっきっきっ……追い詰めたぞ。覚悟はいいな」
モンキーの大五郎は歯茎を剥き出しにして笑っている。ヤバい。そんなとき俺の目に飛び込んできたのは、カニの脱皮した殻だった。俺はためらわず、その殻に飛び込んだ。
「レッツ・ダッピング!」
(シュイュイュイュイュイュイュイ……)
俺はカニになった。しかし、なった途端に「しまった!」と思った。横歩きしかできないのだ。これでは逃げにくい。モンキーの大五郎は四つんばいになって追ってくる。俺は、砂のうえにたくさんたむろしているほかのカニたちのなかに紛れ込んだ。これなら、どのカニが俺かわからないだろう。
「おい……おい、そこの新入り」
「え? 俺ですか」
「そや。見かけん顔やけど、どこから来たのや」
「えーと……甲賀から」
「え?」
「甲賀から」
「甲羅から? ああ、甲羅な。わかったわかった」
「ほんとにわかったのか、こいつ」
「ほな、一緒にやろか」
「なにをです?」
「決まってるやないか。カニがこれだけぎょうさん集まってるのや。――クラブ活動や」
「あ……ああー、なるほど。みんなで力を合わせてなにかをしようと……」
「そんなえらそうなもんやない。遊んでるだけ、道楽でやってるだけや。ほれ、カニ道楽ていうやろ」
「ああ……はいはい。とーれとれぴーちぴちカニ料理……」
「ちょっと待て。おまえ、そこしか知らんのか」
「え? かに道楽の歌ってこんな歌詞じゃないんですか」
「それはそうやけど、最初からきちんと歌わんかい。わしらのテーマソングやないかい」
「テーマソングって、カニが食べられる歌ですけど……」
「ごちゃごちゃ言うな。知らんのやったら、よう聴いて覚ええよ。ぴんとはさみを打ち振り上げて、いきのいいのが気に入った。とれとれぴちぴちカニ料理。味で夢呼ぶ、味でひと呼ぶカニ道楽に。同じのれんの味つづき」
「へー、はじめて全部聴きました。そういう歌でしたか」
「カニはカニでも日本海の、海にもまれた本場の味だ」
「二番はもういいです。――あっ、モンキーの大五郎が来た。すいません、あの人間に追われてるんです。どうしたらいいでしょう」
「なんやと? それやったら砂に穴掘って隠れたらええ。早うせえ」
「いいことを聞いた。砂に穴を掘って隠れる、か。砂とんの術だな。よしっ」
カニはおのれの甲羅に似せて穴を掘る、というが俺は両手のハサミをフル回転させて穴を掘り、そのなかに隠れた。これで大丈夫だ……そう思って安心したとき、
「きーっきっきっきっきっ……隠れても無駄だ。サルカニ合戦ならサルが勝つに決まってるだろう」
俺は思わず、
「なにを言う。サルカニ合戦なら、サルは最後にウスやハチやクリにやられてしまうはずだぞ」
「そこにいたのか。馬鹿め、キジも鳴かずば撃たれまい。見つけたぞ!」
「し、しまった」
俺はより深く地面に潜った。ここまで潜ればいくらサルでも探せまい、と思った。しかし、それは甘かった。
「きーっきっきっきっ。おまえは、ここまで潜れば探せまいと安心しているな。ただのニホンザルやチンパンジーならそうかもしれない。ところが俺さまは、カニクイザルだ。世界の侵略的外来種ワースト100に選定されている悪者だ。いくら穴のなかに潜ってもすぐさま見つけ出してやるわ」
「うわっ、どんどん掘ってくる。これはまずい!」
モンキーの大五郎は、砂を掘って見つけ出したカニたちを片っ端から食べ始めた。
「おお、これは美味い。やっぱり冬はカニが一番。とーれとれぴーちぴちカニ料理〜」
大五郎は、俺を追う、という使命を忘れてカニを飽食している。俺は隙をみて穴を飛び出し、横歩きに逃げた。しかし、横歩きは遅い。なんとかならないか……と思っている俺の目に飛び込んできたのは、エビの殻だった。
「しめた! レッツ・ダッピング!」
俺はそこに飛び込んだ。
(シュイュイュイュイュイュイュイ……)
俺はエビになった。しかし、なった途端に「しまった!」と思った。エビは後ずさりしかできないではないか。これでは逃げにくいどころか、どんどんもとに戻ってしまう。悲しいかな、後ろ向きの人生なのだ。だが、なってしまったものは仕方がない。エビになった俺は必死で海岸を逃走した。しかし、逃げる方向が見えないので、なかなかまっすぐには逃げられない。
「待て、カムイ外伝」
ハッとして声のしたほうを見ると、べつの追っ手がこちらを見ていた。それは、恵比寿丸という忍者だった。頭に烏帽子をかぶり、にこやかな福福しい顔に福耳、釣竿の先には鯛がくっついている。
「ほほほほほ。エビで鯛を釣るというであろう。おまえを釣ってやる。商売繁盛で笹持ってこい。こっちへ来い。こっちへ来い。福を進ぜるぞ」
恵比寿丸は手だれの忍びだ。逃げ切るのはむずかしい。だが、ここにはカニのときのようにほかのエビがいない。
「ほほほほほ……広い砂浜にエビは貴様一匹。しかも、エビはカニとちがって砂に潜ることもできぬ。すぐに捕まえられるわい」
だが、俺は言った。
「甘いな、恵比寿丸。俺の分身の術を見よ」
「ふふん、分身といっても、白戸三平の『サスケ』に出てきた、必死に木のまわりを飛び回って残像を残す、というやつだろう。せいぜい3人か4人に見せるのが精一杯だな」
「ところが俺の分身は千匹にも見せることができるのだ。今はエビが一匹、エビいちそめのすけ状態だが、いつかはエビが増加していく。いつかわエビ増加というだろう」
「それは市川エビぞうだ。そんなことができるわけがない」
「できる。まずは10匹。エビてんの術。たあーっ」
「うわっ、本当に10匹になった」
「つづいて一挙に千匹。かっぱえびせんの術。たあーっ」
「うわっ、エビだらけになった」
「まだまだ! つぎは一万匹。エビまんげつの術。たあーっ!」
「うわっ、砂浜中にエビがあふれてる! こっちに向かってくる。助けてくれえっ」
恵比寿丸は無数のエビのなかに埋没していった。俺はふたたび先を目指した。かなり疲れてきているが、このままならなんとか逃げきれそうだ。俺は、たまたま目に付いたカエルの皮に飛び込み、ジャンプを重ねて逃げようとした。え? カエルが脱皮するかって? ウィキペディアによると、一部のカエルは比較的まとまった形で脱皮するが、その皮が薄いため目にする機会は少ない、と書いてある。俺はぴょんぴょんと跳びながら道を急いだ。
しかし、またしても追っ手が現れた。蛇忍者のスネークさん太郎だ。しまった。俺はやつに見つからないように大きな池に飛び込むと、一旦水底に潜り、しばらく息を潜めてから、こっそり向こう岸に上がり、ふたたび逃亡を開始した。もはやトライアスロンをしているような気分だ。疲労が襲ってくる。しかし、スネークさん太郎は忍法蛇変化で巨大なアナコンダに化身すると、すぐに俺を見つけて追ってきた。俺はひたすらぴょんぴょん跳びまくって逃げたが、蛇の移動の速さにはかなわない。たちまち追いつかれてしまった。
「ひゅひゅひゅひゅ……カムイ外伝、貴様の命もここで終わりだな」
「よく俺のいどころがわかったな」
「ひゅひゅひゅ……蛇(じゃ)の道はへびというやつだ」
「そのことわざなんだが、どうして蛇(じゃ)の道はへびなんだ。じゃの道はじゃ、もしくはへびの道はへびのほうがいいと思うが……」
「そんなことは知らん! とにか年貢の納め時だ。覚悟しろ」
「それもまえからおかしいと思ってたんだ。年貢というのはいわば税金だろう。税金の納め時というのが、どうして『悪事をしつづけたものが、ついに捕らえられて罪に服すべき時』という意味になるんだ?」
「それも知らん! どーでもいいわ! 食い殺してやる!」
ヤバい。蛇ににらまれたカエルというぐらいで、蛇とカエルではカエルが不利だ。俺は別の皮を探した。――あった! 俺はなにも考えずにその皮に飛び込んだ。しかし、その皮はなんとセミの皮だったのだ。しまった。セミの幼虫にはなにも特殊能力がない。樹液を吸うぐらいだ。しかも小さくて非力だ。俺はちょこちょこちょこちょこと必死に逃げたがアナコンダはみるみるやってきて、俺をひと呑みにしようと大口を開けた。もうだめだ! だが、予想もつかないことが起こった。スネークさん太郎が突然脱皮をはじめたのだ。
「くそっ、こんな大事な、あと一歩というときに……」
スネークさん太郎はもがきながら皮を脱いでいる。しめた! と俺はまた駆け出したが、なにしろセミの幼虫だ。がんばってもがんばってもたいして進まない。ただただ疲労だけが身体に蓄積されていく。これではまた追いつかれる。俺は別の皮を探した。ない……ない……皮がない! これでは変身できない。それに、もう疲れた。脚が一歩も進まない……。そんな俺の身体がふわっと浮いた。見ると、モンキー大五郎が俺をつまみあげていた。恵比寿丸とスネークさん太郎もいる。
「おい、カムイ外伝。もう逃げられんぞ」
「わかってます。観念しました」
「やけにあきらめがいいな。どうしたんだ」
「はい、逃げて逃げて逃げまくって燃え尽きて……すっかり抜け殻になりました」