ふえたこ日記
平成16年4月20日(火)
喫茶店で仕事。全然はかどらないぞ。
深夜、たまたまやっていた「携帯デカ銭形愛」というのを見る。本格ミステリー仕立てなのだが、ギャグとはいえ、脚本にアラがありすぎる。でも、あの人が「宮崎あおいが良い」といってる意味はやっと理解できた。来週も見よっと。
平成16年4月19日(月)
二日酔い。喫茶店で仕事。長編に復帰するが、調子出ず、5枚ほど。でも、書かないよりまし。
平成16年4月18日(日)
藤原ヨウコウ氏をさそって三ノ宮へ行き(またしても「すずめ」でうどんを食べる)、大原裕追悼ライブの最終日。ガンジー石原さんに言われて、けっこう長い文章を書いた「リ・ブラスバンド通信」の最終号をご本人から受け取る。私の文章は『「トロンボーンは神様の楽器」といった男・大原裕の音楽活動』というタイトルで、表紙にまるまる一ページ掲載されていた。客は超満員で90人ぐらい入っていて、酸欠状態。3日まえとはえらいちがいだ。知り合い率異常にに高い。懐かしい顔ぶれもあり(広兼に会ったのはほんとに久しぶりだが、「田中さん、読んでますよー。こないだ帰ったらうちの奥さんが『異形家の食卓』読んで、えずいてました」と言われてしまいました)。メンバーは、芳垣安洋、船戸博史のサイツメンバーを中心に、内橋和久、勝井祐二、登敬三、広兼剛、中島徹、渕上純子の8人。このメンツで、大原さんの曲ばかり22曲(!)をやりまくる。いやー、すごかったよ〜ん。大原さんの曲は、22曲並べたてても、どれもこれもあまりにいい曲なので飽きることはなかったし、大原さんの作曲をサイツ以外のグループでやっても立派に通用することも確認できた(芳垣さんは終演後、でもやっぱりサイツでやったようにはいかないのでいらいらした、というようなことを言っていたが)。どの曲を聴いても、その曲を吹いていたときの大原さんを思い出して、目頭が熱くなった。こういう聴き方は音楽を冷静に聴くという観点からは邪道なのだろうが、とにかくあまりに思い入れがありすぎるので、しかたない。11時まで演奏はひたすら続き、(22曲すべてが知っている曲ばかりだったことに自分で自分に感心したが)あっというまに終演。終わってからだらだらしていたが、夜中に、芳垣さんが急に「大原……あいつはアホやで」と言って泣き出したので驚いた。横にいた船戸さんも、顔は酔っぱらって真っ赤だったが、目がうるんでいたように思う。芳垣さんに、「ベルゼブブ」とかのことをいろいろ説教(?)されたり(「これからもああいう路線でいくんか」とか)、日本語の美しさについて教えてもらったり、新レーベルの話とか聞いたり(めちゃめちゃたいへんらしい)……貴重な時間でありました。近藤さんは、ずっと「ヨッシーのペペロンチーノ食べたいなーっ!」と叫んでいたが、あのあとどうなったのだろう。こちらも完璧に酔っぱらった山本信記氏は、わけのわからんこと(「かめくんなんかどうでもいいと思ってたけど読んだらおもしろかった」とか)をいろいろ言い倒したあげく、どこかへ行ってしまった。私は、急速に酔っぱらったので午前3時ぐらいに失礼したが(芳垣さんにタクシー代のカンパをもらってしまった。ええのか、こんなことで>俺)、家にたどりついたときは疲労困憊。仕事をする気力もなく、落語のビデオを見ながら、ビールを飲んでるうちに夜が明けた。
平成16年4月17日(土)
喫茶店で仕事。短編集用の雑文いろいろ書く。
平成16年4月16日(金)
喫茶店で仕事。短編書き直す。
平成16年4月15日(木)
西宮のコーナーポケットで仕事。短編の直しをがんがんやるが、結果的に改悪になってしまったような気がする。マスターが、アーネット・コブ(足が悪く、松葉杖をついて演奏するテナーサックス奏者)のフランスでのライブ(タイニー・グライムズが入ってるやつ)をかけてくれた。そのあと、三ノ宮に行き、「すずめ」という讃岐うどん屋に。まえに2回ほど行ったのだが、いずれも定休日だったらしく開いてなかったので、入るのは今回がはじめて。ぶっかけの大盛り。かなり待たされる点も、昨今雨後のたけのこのようにできたセルフの店とはおおちがい。で、肝心のうどんだが、めっちゃうまい。これは、ヒットでした。また来よう。一瞬で食べてしまったが、もう一杯食べたいところだった。そのあと、三ノ宮をうろついて、ちょこっと仕事したり、本屋に入ったりしているうちに、小腹が減ってきたので(うどん腹というやつですね)、たまに行くラーメン屋へ。ここは、老夫婦がやっているのだが、味はともかく、雰囲気がのんびりしているので、ときどき入るのだ。
「すんません、ラーメンとビールと中ご飯」
「ビールはアサヒとキリンとどっち?」
「じゃあ、キリンで」
「これ、タクアンや。食べてや」
「ありがとう」
「あ、アサヒ抜いてしもた」
「いいですよ、アサヒでも」
「ごめんな、にいちゃん。なんか、すーっと吸い寄せられるみたいにアサヒ抜いてしもたんや。はい、ラーメン」
「すんません。中ご飯は?」
「え? そんなん言うとったかいな。ご飯半分やな」
「ちがいます。中ご飯」
「ご飯半分?」
「中ご飯」
「小ご飯?」
「中ですて」
「(爺さんに向かって)しゃあから、私がさっきから中ご飯言うてるのに、あんたが半分やて……」
「知らんがな、わし」
「タクアン出したなあ」
「出てますよ」
「にいちゃん、ほら、タクアンや」
「さっきもらいました」
「おい、タクアン、出とるやないか。おまえ、何きいとったんや」
「しゃあから、出したなあ、てきいたがな」
「アホか」
「にいちゃん、野球はどこのファン?」
「えーと、まあ、阪神です」
「わたしも阪神好きやねん。いうても、よう知らんねんけどな。今年からファンになってん。ほら、あの人が好きやさかいな」
「岡田ですか」
「ちゃうちゃう。ほら、そのまえにやってた人」
「星野ですか」
「そうそう。あのひとが好きやさかい、今年からファンになってん」
「(今年はもう辞めとるがな)そうですか」
「でもな、ほんまはべつに好きちゃうねん」
「(どっちやねん)でも、勝ってたら、なんとなく気分よかったりしませんか」
「さあ……せえへんなあ」
というような会話があって、ラーメンを食べ終えた私は、金を払い、そのあとトイレに入った。トイレから出て、「ごちそーさま」と言って店を出て、てくてくてくてくてくてくてく歩いてビッグアップルへ。今日は、去年の暮れに火事で亡くなったトロンボーン奏者大原裕追悼4デイズの初日で、唐口〜塩谷〜渋谷毅(第一部は角田さん)〜三原脩〜北岡のクインテット。唐口さんは、耕耘機の操作をあやまったとかで、足に怪我をしており、松葉杖をついていた。ビールを頼んでお金を支払おうとすると、財布がない。記憶をたぐる。ラーメン屋だ。私は店を飛び出し、ダッシュで10数分、やっとラーメン屋にたどりつく。店内をざっと見渡してもそれらしいものはない。そうだ、トイレだ。入ろうとすると誰かが入ってる。いらいらしながら待つ。やっとあいて、なかから婆さんが出てきて、「どないしたん」と言うので、「ちょっと入らせてもらいます」と中に入り、窓際に財布を見つけたときはホッとした。「じつはさっき、財布忘れまして……」「アホやな、にいちゃん、しっかりしいや!」「すんません」……きくと、私が帰ってから、客は誰も来ていないそうで、それはそれで問題かも。暇な店でよかった。財布を握りしめてビッグアップルに戻ろうとするが、へとへとになっていて、もう走れない。とぼとぼ坂道をあがる。戻ってきたときは、一曲目のブルーボッサがはじまっていた。演奏は最高で、とくに塩谷さんのクラリネットがいい味を出していた。ソプラノは日本一だが、クラもすばらしい。二部から参加の渋谷さん(第一部のあいだ、ずっと熟睡していた)は、不協和音やクラスターを弾くわけでもないのに、なんとなくモンクっぽいのは、やはり間、かな。ときどき、「次に何を弾こうかな……」という感じで、ソロの途中で両手をはなして、じっと鍵盤に見入るのがかっこいい。こんな豪華メンバー、しかも追悼ライブなのに客が11人(途中でふたりほど増えたが)とは……。みんな、もっと聴きにこいよ。唐口さんや渋谷さんが、大原さんの思い出を語ったり、大原さんの曲(「インセクト・ハウス」とか「名無しのストリッパー」とか。ちなみに、「インセクト・ハウス」のサビのコードをつけたのは、角田さんだそうだ)を演奏したりした。終わってから、終電で帰宅(三ノ宮駅で号外が配られていた)。
家に帰って、あっと驚いたのは、横山光輝の訃報で、以前に足に怪我をして動けなかったところを、火事にあい、大やけどをおって、死去されたとのことであった。横山光輝のマンガの思い出はちょっと横に置いといて、なぜあっと驚いたかというと、きのうの夜からのいろいろの偶然の暗合である。
・きのうの夜、テレビをつけたら「鉄人28号」をやっていた。
・コーナーポケットに行くと、松葉杖のサックス奏者アーネット・コブのアルバムがかかっていた。
・火事で去年の暮れに亡くなった大原さんの追悼ライブに行った。
・唐口さんが、足を怪我して、松葉杖をついていた。
・帰宅してみると、「鉄人28号」の作者横山光輝が、火災にあったが、足を怪我していたため動けず、やけどをおって亡くなったというニュースを聞いた。
もちろん偶然なんですが……。
実は、もうひとつ変な暗合を感じたことがある。今日、たまたま桂枝雀さんが、弟子だった桂音也さんについて書いた文章を読んでいて、いろいろ考えさせられた。音也さんは枝雀さんから破門になったあと急死した新作中心の噺家だが、そのへんの事情にその文章は触れているのだ。私は先日、落語ミステリの主人公が破門になる場面を書いていたので、そういうときの双方の心情をつい考えてしまったのである。枝雀さんのその文章が書かれてから、数年後に枝雀さんご本人も亡くなるわけだが、今日、これもたまたまウォークマンで桂文我さんの「地獄八景」を聞いていたら、「師匠の枝雀は、近日(地獄に)来演する」(つまり、死ぬ)というギャグがあり、その約1年後に枝雀さんは実際に亡くなったわけで、かなり「洒落にならん」ギャグになってしまったわけだ。そのふたつの、ちょっとした暗合についてあれこれ思いながら、入った讃岐うどん屋の名前が「すずめ」だったというのも暗合かもしれない。それで、ライブを聞き終えて帰宅したとき、実は、横山光輝の訃報よりももっともっともっと驚き、残念に思い、ショックだったことがあって、それは、桂喜丸さんの突然の訃報だった。――これには、正直、参った。
もちろん偶然なんですが……。
こういう「偶然の暗合」話を、我孫子さんはひじょーに嫌がるというか「そんなわけない。たまたまや」と一刀両断するが、私はけっこう好きである。
横山光輝さんのマンガ(「鉄人28号」、「伊賀の影丸」、「仮面の忍者赤影」、「闇の土鬼」……)などがどれだけ好きだったか、とか、20年ぐらいまえに喜丸さんの「大安売り」を聞いて以来、ファンだった、とかいったことは、今回は書かないけど、なんかいろいろあって頭がぐるぐるした一日でした。
平成16年4月14日(水)
喫茶店で仕事したあと、日本橋のキャスバに行き、ブツを受け取る。
エッセイをそろそろ書けという連絡があったので、書きはじめる。短いものになるかと思ったが、けっこう長くなった。
夜中に、鉄人28号のアニメをやっていて、ふつうならすぐにチャンネルを変えるところだが、どういう気持ちの加減か、しばらく見入ってしまった。
平成16年4月13日(火)
喫茶店で仕事。夕方、ようやく短編完成す。ざっと読み返してメールで送付。よかったよかった。
夜は、ガンジー石原さんに頼まれた仕事。4枚と言われていたが、7枚になってしまったので、ごそっと削り、メールで送付。
平成16年4月12日(月)
喫茶店で仕事。かなりがんばったが、もう少し、というとこ。
平成16年4月11日(日)
11時にチェックアウトし、とっとと東京駅に行き、八重洲の地下で昼食。我孫子さんがラーメンを食いたいというので、二日酔いで完全に食欲のない私は、博多うどんにしてもらう。新幹線で、またまたずーっと宮崎あおい話を拝聴しながら、帰る。