1.ジャズテナーからブローテナーへ
さて、前章までで私はテナーブローの起源とその発展について語った。しかし、それはあくまでもジャズ史のサイドヒストリーの一つとしてのブローテナーの歴史であって、登場するミュージシャンも全てジャズミュージシャンである。イリノイ・ジャケーがブローテナーの元祖であり、アーネット・コブがブローの王者だと言っても、彼らは本来の意味での「ブローテナー」ではない。彼らはブルースを強烈にブローすることもできる一方、スタンダードナンバーやジャズの曲で流暢にアドリブをとることもできる。そのフレーズは多彩であり、音楽的知識も豊富だ。ジャケーやコブを始めとするジャズテナーマンたち(ウィリス・ジャクソン、アル・シアーズ、バディ・テイト、エディ・ロックジョウ・デイビス、ジミー・フォレスト、アイク・ケベック、ジーン・アモンズetc・・・)は、あくまで「ブローもするジャズテナー」であって、私がこの文章のタイトルに掲げている「ブローテナー」とはかなり違うのである。
それでは、いかなる連中のことをブローテナーと呼ぶのか。彼らは、普通「ホンカー」「スクリーマー」などの名前で総称される有象無象のテナー吹きたちである。50年代の黒人街のバーやクラブにはこの手の連中がうようよところがっていたのである。彼らは、ジャズ史には全く名前は登場しないが、R&Bの本にはちゃんと名前がでてくるスターなのである。では、いかにしてこのような「ホンカー」が発生したのか、想像をめぐらせてみたい。
ここに一人の若い黒人がいて、仮にMとしておこう。彼はジャズミュージシャンをめざしている。テナーサックスの練習は怠らないが、理論とかスケールとかを練習するよりも、いかにして気合いのこもった音を出すか、というようなことに関心がある。コールマン・ホーキンスがアイドルで、あんな風なでかい音を出すにはどうしたらいいかと、いろんなマウスピースを試したりしている。そんな彼が、ある日、ライオネル・ハンプトンのビッグバンドを聴きにいった。そこで彼の見たものは、一つの音をリズミックに続けて吹いたり突然最低音を吹き鳴らしたり、濁った音色で荒々しく吹きまくったり、音程のない遥かなハイノートで絶叫したりするテナーマンと、それを盛り上げる凶暴なリフ、そして観衆の拍手とどよめきであった。「これだ」と彼は思った。「これは商売になるぞ」。さっそく自分のバンドでやってみる。めちゃめちゃ受ける。客は、こむずかしい曲や洒落た粋な演奏よりも、エキサイティングで聞いていて体がむずむずするような曲調のものだけを求めるようになる。こうして、彼はもうロックするテンポのブルースしか演奏しなくなる。ワイルドな音色とビッグトーンを求めるため、特殊なマウスピースを使うようになり、繊細なフレーズを吹くことは不可能になってくる。バーのカウンターに飛び乗って、大袈裟な身振りをつけて歩きながら、ジャケーやコブから学んだブローのテクニックを駆使した絶叫的な演奏を繰り広げる。時には興奮のあまり、床やテーブルの上に倒れて、寝ながら吹きまくる。しかし、ジャケーやコブから彼が学んだものは、ブローする表面的なテクニックのみで、フレーズや楽理的なことは学んでいないから、それ以上彼のフレーズは増えない。こうして、ジャズを吹けないテナーマンが誕生する。彼はプロとして、ブルースだけをブローし続ける。これが、「ホンカー」の発生なのである。ほんとかなー。
もちろん、これは一つの例である。次にあげるビッグ・ジェイ・マクニーリーのように和声学と対位法を学んでいる男もいるし、いちがいに彼らが音楽的にレベルの低い、気合だけの連中であるとはいえない。しかし、彼らがジャズミュージシャンとは一線を画した世界を築いていることは確かだ。その中では、ジャズができないということは恥にはならない。たとえジャズのフレーズを知らなくても、彼らにはそれを補って余りあるブルースフィーリングとエモーションがある。「ホンカー」や「スクリーマー」たちがライオネル・ハンプトン楽団の小型版を模して、酒場で毎夜ブローするブルースが、後のR&B音楽の基礎を築いたのである。鑑賞音楽になりさがってしまったジャズなんかより、ずっと黒人大衆の身近でエンタテインメントに満ちたファンキーな音楽として、一般的な存在だったのである。こうした「ジャズミュージシャンではない、純粋にエンタティナーとしてのブローテナーの誕生」により、太い「ジャズ史」という大河の傍流として細い河ができた。これが、後に「ジャズ」を凌ぐ発展を遂げる「R&B」「ロックンロール」そして「ロック」という大河の源流となるのである。
2.ビッグ・ジェイ・マクニーリー
ビッグ・ジェイ・マクニーリは、代表的なブローテナー奏者である。1927年にロスで生まれた彼は、最初アルト、後にテナーに転向。当初は、和声学や対位法を始めとするクラシックを学んだが、クラシックの勉強をしているうちにサックスの音色がだんだんきれいになり、チェロのような音になったので、これはまずいと思い、先生のところにいくのを中止したら、ゴリゴリの音色になった、という48年にサヴォイに歴史的な「ディーコンズ・ホップ」をレコーディング。かなりのヒットを記録し、他のミュージシャンの目を開いた。どういう曲かというと、最初手拍子をバックに8小節のイントロのようなものがあって、その後はただただホンクしっぱなし。音はほとんど2つぐらいしか使っていない。音色は常にダーティーで、ぶっとい音だ。グロウルしすぎて音が裏返っても全く気にしない。
一時、ブームが去って引退していたが、復活後はヨーロッパ各地でも大人気である。来日もしたが、その時の凄まじい演奏の模様は「おまけエッセイ」参照のこと。ほんとすごかったんですから。
吾妻光良氏によるビッグ・ジェイの紹介文があって、非常に面白いので、少し引用させていただこう。
「このてのサックスは「バー・ウォーキング・サックス」とも言われ、演奏しながら、バーの中を歩きまわるということが演奏の一部分として定着していた。(中略)ポール・ウィリアムズもやっていたのだが、ビッグ・ジェイの場合は無茶苦茶だったらしい。ギタリストならば、コードの長さで行動範囲が限られるし、コードのあとをつけて行けばどこに隠れているかすぐ解るが、サックスには線がついていない。歩きまわったあげく外に出て吹き出した。ところが、これがなかなか帰ってこない。ビッグ・ジェイという人は、1曲1時間とも言われ、客も気長に待っていたが、本当に帰ってこないので、「ビッグ・ジェイ!ビッグ・ジェイ!」というコールがかかり始めた。するとどうでしょう、電話ではありませんか。「もしもし、こちら警察だがね、変な奴が公道で騒音をたててたから、拉致したんだが、きみんとこの楽士だっていってるんだが。うん、警察まで来てくれたまえ」という話もある。」
ソニー・クリスやチャーリー・パーカーとも共演し、ビバップを演奏していたとも語っているビッグ・ジェイだが、サボイ録音を聞く限りでは、とてもとてもそんなことは本当とは思えない。来日時のインタビュー(ブルース・アンド・ソウル・レコーズ)で、いわゆるホンカーからの影響は、と聞かれ、「私がファースト・ホンカーだからねえ」と答えている。
あらゆる有象無象のブローテナーたちの頂点に立つビッグ・ジェイ。その演奏の凄まじさはとにかくレコードを聞いてもらわないと分からないが、レコードを聞いても分からない部分もある。それは、彼のステージアクションの凄さである。スウェーデンのサクソフォノグラフというブローテナーのレコードを専門的に出しているレーベルの「ロードハウス・ブギー」と「ザ・ベスト・オブ・ビッグ・ジェイ・マクニーリー」という2枚のLPは、見開きジャケットで、中がビッグ・ジェイの写真集になっているという豪華なものだが、この写真がすごい。床に寝そべって(というか、倒れ込んで)、両足を天井にむけてばたばたさせながら、テナーを吹きまくっている。ひっくりかえってテナーをブロウするビッグ・ジェイを取り囲むようにして、一緒になって叫んでいるのは全て白人のティーンエイジャーばかりであり、まさしく昔のロカビリー時代のスターたちを思わせる。中にはビッグ・ジェイの方を見ずに、天井を向いてうっとりと目を閉じて、絶叫している若者もいてエルビス・プレスリーの絶頂期もかくやと思われるファンの熱狂振りである。
とにかく、ステージに寝ころがって吹くのが好きな人で、そんな写真が多い。
というわけで、アーネット・コブやイリノイ・ジャケー等の「ジャズの」ブロータイプのテナー奏者しかご存じない方は、おそらくビッグ・ジェイ・マクニーリーの演奏を聞いたら、びっくりするだろうと思う。まあ、いろんな感想を持たれるだろうが「なんとでかい音だろう」「なんと濁った音色だろう」「ブルースと循環しかできないのではないか」「この人はフレーズというものを少しでも知っているのだろうか」「なんと下手な人だろう」「無茶苦茶なおっさんだ」「なんとワンパターンなんだろう」「ライブは面白いかもしれないが、レコードじゃ全部同じに聞こえるな」「きっと「じゃりん子チエ」に出てくるテツのような無茶苦茶な顔のおっさんではないか」というような印象を得る方が多いのではないだろうか。ほとんど当たってますわ。ただ、楽器が下手という点に関しては、来日時に見た限りでは、それどころかむちゃくちゃうまい。音もでかいだけでなく、メロウで、ファンキーで、個性的だった。これは、はっきり言って、「うまくなった」のだと思う。
最後にビッグ・ジェイ・マクニーリーの代表レコードを挙げて、この項を終わりにしたいと思う。まず、代表作の「ディーコンズ・ホップ」は日本盤のサボイのアンソロジー「ブローテナー」に収録されているが、とにかくこれを聴かなきゃ話(にならない。このレコードには他に、ワイルド・ビル・ムーアの「ウィゴナ・ロック、ウィゴナ・ロール」や、ポール・ウィリアムズの大ヒット「ハックルバック」を始め、ハル・シンガー、サム・テイラー、キング・カーティスなどが入っていて、お買得である。
あと、筆者が気にいっているものとしては、さっき上げたサキソフォノグラフの2枚と、フランスのパテ・マルコーニというレーベルから出た「ディーコン・ライズ・アゲイン」などがあるが、なんと言ってもとどめを刺すのは、イギリスのエースから出た「フロム・ハーレム・トゥ・キャムデン」で、なんと83年、ビッグ・ジェイ・マクニーリーのカムバック録音である。これは、すごいよ。冒頭1曲目の「ハーレム・ノクターン」を聞いて、のけぞらない人がいたらお目にかかりたいというものだ。私もこれでサム・テイラーやシル・オースチンを始めとして、アール・ボスティック、ウィリス・ジャクソン、イリノイ・ジャケー、松本英彦などかなりの量の「ハーレム・ノクターン」を聞いてきたが、こんな凄いのは初めてだ。とにかくサム・テイラーのように「むせび泣く」とかいうのではなく、「絶叫し、狂ったように咆哮する」ブラックでアーシーな「ハーレム・ノクターン」である。一度、耳にしてください。他に「ナイト・トレイン」とかも演っているし、見つけたら買っておいて損はないですよ。
最近のものとしては、ロケット88というバンドと共演した「AZ BOOTIN’」や「ディーコンズ・ヒップ・ホップ」の入った「ピープル・ウィル・ビー・ピープル」、キャンディ・ダルファーの父親のダルファーが選曲したとかいうベスト盤(日本盤あり)などいろいろあり、どれもおもしろい。あと、CDで入手しやすいものとしては、「スウィンギン」というのがあって、このジャケットでもビッグ・ジェイは寝そべっている。
とにかく「生きているブローの歴史」であるビッグ・ジェイ。来日ライブを聞いてますます好きになってしまった。一人でも多くの人、とくにサックスをやっている人に、ビッグ・ジェイのことを知ってもらい、CDを聞いてもらいたい。
今回の原稿を書くにあたって、中村とうよう氏の文章と吾妻光良氏の文章を参考にさせていただきました。深く感謝いたします。
第五章に続く