ブローテナーの歴史 第一章

歴史以前(コールマン・ホーキンスとレスター・ヤング)

1.コールマン・ホーキンス

 今、手元に一枚のレコードがある。プレスティッジの「ヴェリー・サクシイ」だ。このタイトルはもちろん「ヴェリー・セクシイ」のもじりだが、ジャケット写真に写っているのは、アーネット・コブ、バディ・テイト、エディ・ロックジョウ・デイビス、そしてコールマン・ホーキンスという4人の豪快荒くれおやじたちで、いかなるセクシイ好きのエロいおっさんでも、この4人にテナーを持って「うーん、ヴェリー・サクシイ・・・」と迫られた日にゃあ裸足で逃げ出すであろう。
 さて、このレコードは、プレスティッジを代表する4人のブローテナーががっぷり組んだバトルセッションだが、他の3人はいいとして、どうしてここに「ジャズテナーの父」コールマン・ホーキンスが加わっているのだろう。

 コールマン・ホーキンス! このつるつる頭の、剥いたゆで卵みたいな顔をしたおっさんが、あらゆるジャズテナーサックスの父であることは疑問の余地がない。
 今でこそ、ジャズといえばテナーといわれるぐらい、テナーサックスはジャズの王道を行く楽器であるが、もともとサックスはジャズの世界では異端児であった。その証拠に、ニューオリンズジャズにおいては、管楽器はトランペット(コルネット)、トロンボーン、クラリネットであって、サックスは出てこない。これは、サックスが発明されたのがドイツにおいてであって、それを理由にフランスの軍楽隊は最後までサックスを加えようとしなかったことと、植民地時代のアメリカで、ニューオリンズがフランスの植民地であったことと関係があるらしい。ま、それはともかく、初期のジャズにおいては、サックスは、クラリネット奏者がソプラノに持ちかえたり(シドニー・ベシェ)、チューバのかわりをバリトンもしくはバスサックスがやったりといった代用楽器であり、また、吹けもしないのに、バンドスタンドにソプラニーノからバスサックスまでをずらりと並べ、観客の好奇心をあおる、といったノベルティな存在であったようだ。
 当時のテナー吹きがどのような音を出していたかはわからないが、クラリネットの持ちかえが多かったこと(クラリネット的な吹きかたであったと想像される)と、シカゴのデキシーテナーからの推察では、おそらく、バド・フリーマン的なか細い音で吹いていたのではないかと思われる。
 そういったジャズテナーの世界をホークが一変させた。一変させた、というより、なにもなかったところに新たなものを一人で作り上げたのだ。先輩テナー奏者からの影響とかではなく、彼の前に「ジャズテナー」と呼べる人はまだいなかったのだから、ホーキンスこそがジャズテナーの発明者だと言っていい。彼は、ルイ・アームストロングのトランペットを聴いて、自分のテナースタイルを作り上げたと言われている。サッチモとホーキンスはフレッチャー・ヘンダーソンのバンドで一緒だったからだ。
 ホーキンスが作り上げたジャズテナーのスタイルとは、こうだ。
・太く、たくましく、荒々しい男性的な音色。
・露骨で振幅の大きいビブラート。
・「ラプソディック」と評される、コードの流れに縦に乗った豪快なフレージング(つまり分散和音)。
 おやおやおや、もしかするとこの「ホーキンス・スタイル」とは「ブローテナー・スタイル」そのままではないのか。
 ホーキンス絶頂期といわれる40年代の録音を聴いていると、まず耳につくのは、その音色だろう。何ともぶっとい、豪放な音。しかも、朗々たるホット・ビブラートを伴っている。彼は(というかスイング期のサックスは皆)、フレーズの終りだけにビブラートをかけるのではなく、フレーズの合間もずっとかけている。たとえアップテンポの曲でもそうなのだ。そこから、あの「うねるような」フレージングが生まれてくるわけだが、モダンジャズ期になると、テナーマンたちはこういう「ずっとビブラードをかける」のをやめてしまった。せいぜい、バラードの長く伸ばす音ぐらいである。コルトレーンなどは、ほんとうにビブラートを排除した吹き方をする。しかし、ホーキンスは、ビデオを見ても、常にマウスピースが揺れている感じである。そして、ブローテナーたちがよくソロの出だしでやる、ちょっと濁り目の音で、トニックの音を、フォルテピアノクレッシェンド気味に吹く・・・楽器を「唸らせる」という表現がぴったりのあの感じは、すでにホーキンスの演奏にしょっちゅう見られる技法である。また、ホンク的な、同じ音をリズムにのせてしつこく吹く奏法も見られ、たとえば43年にオスカー・ペティフォードやシェリー・マンらと吹きこんだ「クレイジーリズム」などのアップテンポ物を聴くと、ほとんどあと一歩でホンカーという状態である(ただし、ハーフタンギンクはないので、あくまで明朗快活なホンクである。くさーい感じ、ねちっこい感じはない)。これをもうちょっと意識的に長くやればイリノイ・ジャケーである。そうしないのはおそらくホーキンスの美意識ゆえであって、ライブではどうだったかわがたものではない。それに、ほとんどのブローテナーに顕著ないわゆるグロウル(ダーティートーン)はホーキンスにおいてはあまり見られないが、それでも高音部では音が濁った感じになっている場合があるし、とくに高音から下の方の音域に下がってくる時などにみられる。ベン・ウエブスター以降のテナーマンのように、グロウルしだしたらとまらない、といったことはなく、あくまでも基本的には音色は濁らないナチュラルトーンだが、やはり気合いの入った時はしゃがれた音色になっているようだ。もっとも、意識的に濁らせているのか、マウスピースやリードのせいなのかはさだかではない(後期は、後輩ホンカーからの逆影響で意識的に濁らせている可能性もあるが、初期の録音の場合は、中音域が濁っていないことから意識的ではないような気もするが・・・)。また、分散和音を中心としたラプソディックともいわれるフレージングだが、最高音あたりから降りてくる場合は、時に、ロックジョウ・デイビスを思わせるようなシュールなフレーズになっている(なってしまっている)こともあって、影響という意味で興味深い。
 こうしてみていくと、「ジャズテナーの父」は「ブローテナーの父」でもあったことがわかってくる。ジャズテナーは、はじまった時からブローするものだったのである。このことは、この拙文全体を通してのテーマともなってくるので、念頭に置いておいていただきたい。

・参考レコード
「CLASSIC TENORS VOL1 COLEMAN HAWKINS AND LESTER YOUNG」(CONTACT)

2.レスター・ヤング

 コールマン・ホーキンスが「ジャズテナーの父」ならば、プレスことレスター・ヤングは「ジャズテナーの母」あるいは「モダンジャズの父」ともいうべき存在である。上記で述べたように、コールマン・ホーキンスがジャズテナーというものを確立したあと、テナーサックス奏者は我も我もとホーキンス一辺倒になり、ベン・ウエブスター、チュー・ベリー、ハーシャル・エヴァンス、ジョー・トーマスなど、ホーキンス派というか、少しでもホーキンスみたいに吹こうという連中が満ちあふれた。テナーの吹き方としては、ホーキンス流以外のものなど考えられないような状態であった。むりもない。ホークがあまりに完璧で魅力的なテナー奏法を確立してしまったがために、それに続く連中は彼の吹き方を真似るところからはじめるしかなく、一生、物まねのうちに終ったプレイヤーも多かったはずだ。ホーキンス流一色のジャズテナーの世界に新風を吹き込むには、ホーク以上の天才の出現を待つしかなかった。
 それが、プレス(大統領)と呼ばれたレスター・ヤングである。
 よくいわれるように、プレスの吹き方は、ホーキンスのそれとは正反対であった。まず、一番耳につく「音色」の問題。時に押し付けがましく感じるほど、野太く、でかい、暑苦しい音のホーキンスに比べ、プレスの音は、か細く、リリカルで、優しかった。これは、本人がそうしたかったというよりも、資質の問題らしく、誰かが、プレスはいろいろなマウスピース、リード、楽器を試してみたが、彼の音は小さいままだった、と語っていたのを覚えている。そして「のり」。ホーキンスが、スイングビートのバスドラムの4つ打ちを基本にした「どうっどうっどうっどうっ」という豪快な縦のりなのに比べ、レスターは、どんなに重たいリズムのドラマーと共演しても、彼自身のソロは、ビートに対して横にのっていくような、非常にわかりにくい言い方で申し訳ないが、のりがとても軽やかで、すいすい進んでいく、という感じである。また、「フレージング」。ホーキンスは、上記でも説明したように(というか、レコードを聴いていただければ一発でわかるのだが)、コードに対して縦にフレーズを積み重ねていく分散和音的な方法であるのに、プレスは、コードからコードに、横に流れていくというか、非常にメロディックな流れを重視したフレーズである。ホーキンスは、一つ一つのコードで立ち止まって、それを和音としていちいち分解してから先に進んでいくのに対して、プレスは歌心の方を優先して、立ち止まらずにどんどんメロディーをつむいでいく、といった感じである。重戦車のようなホークと鳥のようなプレス。どっちがいいとか悪いとかいうべき問題ではないが、のちのモダンジャズへの影響という点からみれば、勝敗は明らかである。既存のコードチェンジの上に全く新しいメロディーを即興的に創造してしまうレスターのやりかたはまさにビーバップのものであった。
 しかし、これらの特徴ゆえに、当時のレスター・ヤングの評価は、「音が小さい」「めめしい」「軟弱」「おかまみたい」「なよなよ」「豪快じゃない」「軽い」というようなものだった。つまり、もっともブローテナーからは遠いところにいるタイプと考えられていた。そりゃそうだろ。ブローテナーというのは、ぶっとい、でっかい濁った音で、豪快に、大迫力のブローを展開する・・・というものだから、レスターのイメージはそれとは正反対である。
 だが、レスター・ヤングは、「ブローテナーの母」なのである。それを今から検証したい。
 レスターは音の魅力に乏しい。今日的にみれば、小さく、押し付けがましくないクールなサウンドというものもまた魅力的というのはわかるのだが、当時としては、何しろホーキンスの吹き方以外には考えられないような状況だったのだ。その欠点を補うためだったかどうかはわからないが、プレスはものすごいアイデアマンだった。ジャズテナー界に君臨していたホークは、「これしかおまへん」といった感じで、どんな曲でも同じようなアイデアのソロをする。これは悪いことではない。自分のオリジナリティというものが完全に確立しておればこそできる自信に満ちあふれたプレイというやつであろう。しかし、プレスのソロは毎回ちがっていた。毎回新しいアイデアに満ちていた。彼は、毎晩、バンドスタンドで、昼間思いついたアイデアをいきなり客の前で試していたのだ。
 たとえば、
・テナーの最低音をボーッと汽笛のように吹く。
・中音域でのホンク。盛り上がると、高音に移る。
・引用フレーズ。思わず引用しちゃった・・・ではなく、完全な確信犯。
・低音と高音を使ったトリッキーなフレーズ。
・サックスを横にして吹くけったいなポーズ。
などなど。
 これって、もしかしたら、全部、ブローテナーたちが使う典型的なわざではありませんか。実際、レスター・ヤングは初期のレコードからかなりホンクをしており、彼がホンクの元祖であることはまちがいないと思う。史上初のホンカーなのである。また、最低音を吹き鳴らして客の度肝を抜くわざは、イリノイ・ジャケーが循環物のサビでよく使うし、低音と高音を交互に使うフレーズはデクスター・ゴードンがそっくりコピーして使っている。サックスを横にする奇抜なポーズも彼のトレードマークになったが、考えようによっては、ビッグ・ジェイが床に寝たりするのと同じようなものだ。
 つまり、後世、ジャケーやコブたちによって広まったブローのテクニックのほとんどはプレスに端を発するのである。
 あの、モダンジャズの元祖とまで呼ばれた芸術家レスター・ヤングが最も正反対と思われるようなエンターテインメントの極致であるブローテナーの系譜の出発点だなんて、まさか! そう思うのも無理はない。全ては、レスターの音が小さく、のりが軽い、というところから来る誤解なのである。嘘だと思うのなら、彼の初期(中期以降だと、ジャケー他の後輩ブロー派からの再影響が疑われるからね)の名盤を聴いてみたまえ。とくに、アンプテンポの循環やブルースにブロー的フレーズが出る。
 しかし、プレスはブローテナーではない。矛盾した言い方に思えるかもしれないが、彼は、ブローフレーズを発明はしたが、彼自身はブローテナーではないのである。彼にとっては、上にあげた典型的なブローのテクニックも彼が開発した数多くのアイデアの一つにすぎないのだ。そのうちの幾つかがブローテナーの歴史につながっていったというだけで、彼自身はブローテナーでも何でもない、強烈なオリジナリティをもったジャズの巨人であったのだ。
 とあるジャズの本を読むと、次のような記述があった。
「ベイシー・バンドを辞めたレスター・ヤングは、ノーマン・グランツのJATPに参加したが、そこで彼は自分よりはるかに力量の下のテナーマンたちがくりひろげる大ブローに挟まれて、やむなく自分の意にそわぬブローを演じなければならなかった。こうして、彼は失意にうちのめされるようになったのである」
 当時のコンサート会場にいあわせなかった私には、この文章の真偽はわからない。しかし、ここでいう「はるかに力量の下のテナーマンたちがくりひろげる大ブロー」というのは、要するにJATPのスターだったイリノイ・ジャケーやフリップ・フィリップスらのことだが、残されたレコード(「40年代のJATP」「Blues in Chicago1955」など)を聴くと、たしかにジャケーらが観客の大拍手にあおられて鼻血ものの大ブローを展開するのに比べて、レスター・ヤングはぴよぴよ吹いているだけだ。しかし、けっして「意にそわぬブローを演じ」ているようには聞こえない。むしろ、嬉々としてそれを行っているように聞こえる(ときもある)。何といっても、後輩ホンカーたちが目の前で吹いているフレーズは、全部、彼が発明したものだったのだから。

・参考レコード
「CLASSIC TENORS VOL1 COLEMAN HAWKINS AND LESTER YOUNG」(CONTACT)
「レスター・ヤングの肖像」(CBS)
「LESTER YOUNG AND THE KANSA CITY 6」(COMMODORE)
「PREZ ON KEYNOTE」(MERCURY)

3.この章のまとめ

 これで、ジャズテナーの開祖コールマン・ホーキンスとレスター・ヤングの二人が、どちらもブローテナーの系譜の出発点でもあることがおわかりいただけただろうか。ブローテナーたちは、レスターからブローのフレーズを、ホーキンスから豪快な音色をそれぞれ会得したというわけだ。何? わからん? それなら、上記のレコードを百遍もくりかえし聴いてもらうしかないね。なお、参考レコードのところに記したアルバムは、わが家にある、という理由であげたものであって、今、現在、それがどこでどのようなCDとして発売されているのかは当方は一切あずかりしらないからそのつもりで。

第二章に続く

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